ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

On Green Dolphin Street Ⅲ

2011-07-25 00:49:08 | Weblog
この曲の前半部分の後半、最初のトナリティーでⅡ-Ⅴ-Ⅰがあった後、短3度上がって同じ動きをする。この部分を転調というのかどうか?どっちでもいいと思う。もうちょっと時間が長かったら調号を書き換えてもいいけどこの長さではさすがに調号の書き換えまではいかない。記譜上のいろんな決まりごとというのは読みやすいかどうか理解しやすいかどうかが基準だ。どちらでもいいものがいっぱいある。転調というのは12音平均律が音楽にもたらした大きな財産のひとつだ。ある一定の長さ、ひとつの基音を頼りにやっていた音楽が次の一定の長さ、基音が変わってしまうのだ。この転調による効果は12音音楽独特のもので、使い方によっては曲そのものを作ってしまう。だからこういう場合メロディーが和声をひっぱるのではなくて、和声の変化がメロディーを作ってしまうケースもある。これは音楽構造全体の問題なので微妙なところもあるけど、和声が幅を利かす、これが転調なのだ。音楽以外の芸術でこの転調に似たようなものがあるかな?詳しくないので何にも言えないけど・・・。

On Green Dolphin Street Ⅱ

2011-07-20 01:23:24 | Weblog
インプロヴィゼーションの素材として選ばれるいわゆるジャズスタンダード曲の条件は一種類ではないけど、コード進行に全音階と半音階が適度に混じっているというのが代表的な条件であるのは間違いない。この曲はまさにそうだ。コード進行から感じられるトナリティーに沿って音を選んでいけば曲の構造が勝手にふたつの音楽的要素を取り入れたジャズサウンドにしてくれる。インプロヴィゼーションの音選びはそれでいいと思う。実際の演奏の時に注意するのは「リズム」、これにつきる。まあでもコード進行やスケールはちゃんと把握して自分のものにしておかなければ、あまり考えなくてもいいはずの音選びに神経を使っていい演奏ができなくなる。やはりなんといってもジャズの演奏はタイムに追っかけられる。それをキャッチするのに全精力をつぎ込む。リズムの目盛の微妙な感覚はジャズインプロヴィゼーション独特のところがある。はまったりはまらなかったり・・・。でもそれが面白い。でなければ何十年もやれない。アドリブを想定して曲を把握する作業もジャズ独特といえばそういえる。その演奏のための準備作業もジャズ演奏の一環だ。それをしないとなんのためのジャズスタンダードか、なんのための「On Green Dolphin Street」か分からなくなってしまう。

On Green Dolphin Street

2011-07-10 23:38:03 | Weblog
1947年の同名の映画のテーマ曲、B.Kaperの作曲。ジャズ演奏の優れた素材として世界中のミュージシャンに認められている曲だ。形式としてはA-B-A-B'。この曲の演りかたとしてトニックペダルを多用する方法がある。というか、もうそれが世界中の普通のやり方になっている。ペダルポイントという手法は一種の音楽の掟破りみたいなところがある。ほとんどは音楽の最低音の力を利用したものだが、高い音でもそれなりの効果はある。この曲の場合は最初のAの部分、低音でトニックの音をペダルポイントとして使う。上のコードはⅠ-Ⅲ♭-Ⅱ-Ⅱ♭、トライアードが半音階的に動く。これがペダルに効果的だ。この上のトライアードの動きは半音階的なシステムで解釈するとトニックーサブドミナントードミナントの動きだ。コードネームだけを見ると和声の緊張度は均一に動いていくが、低音にトニック音が継続されていることでⅡの場所Ⅱ♭の場所は緊張度が加わる。そして開放される。これがペダルポイントの効き目だ。そしてたとえ上声部の動きが理不尽なものであってもこのペダルポイントがその理不尽さを正当化してしまう。これがいわば副作用だ。音楽技法というのはもちろん全部適材適所ではあるけど、ペダルポイントはその中でも使い方に細心の注意を要求されるものだ。

Joy Spring Ⅳ

2011-07-04 20:04:53 | Weblog
インプロヴィゼーションのときにプレイヤーが頼りにする「コード進行」とはなにか?それはその曲の中での和声的な意義をコードネームという記号を使って示しているにすぎない。それをどう実際の音にするかはミュージシャンの裁量に任されている。和音それぞれの濁り度、緊張度はその時使う音に左右される。和音の表情を言葉で表すのは難しいけど、どのぐらい濁っているか?どのぐらい緊張しているか?そして3全音を内蔵したコードのように「あいまいさ」をふくんでいるか?そしてそのコードの中でいろんな音を組み合わせて濁らせ、澄み切らせ、緊張させ、また緩和させる。そうやって即興的に和音のいわゆる「勾配」を作っていくのだ。第一義的な意味ではコードネームそのものにもその勾配を示唆するものもあるけど大部分はプレーヤーの個性でその勾配を作っていく。これがジャズプレイの中での「自由」だ。こう考えていくとモダンジャズという音楽は和声に対する深い認識が不可欠だということが分かる。そして大雑把なところもあるけど、たくさんのミュージシャンで作り上げてきたジャズの演奏のルールというのは誇るべきもので、いろんな価値観を受け入れるジャズという音楽の一番素晴らしいところをよく表現している。