ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

When I Fall In Love Ⅱ

2015-10-28 00:24:22 | Weblog
インプロヴィゼーションを展開していくうえでコードネームは、便利なアイテムではあるが、インプロヴィゼーションのためのものはどうしても2拍や4拍ごとの即興演奏を想定したものになりやすく、元の歌には合わない場合も多い。演奏するほうがちゃんと分けて考えて切り替えれば問題ないが、いろんな理由で引っかかることもある。この「When I Fall in Love」の2小節目、メロディーはトニックの音のまま終わる。歌詞は「Love」だ。コードはドミナント、ベースは5度の音。当然サスペンションさせなければ歌とバッティングしてしまう。アレンジャーなら当然そのための処置をする。ヴォーカルアルバムのストリングスを使ったアレンジだと歌もバックの音もズーッと伸びるから内声のトニックの音を半音下げることはあまりできない。このケースだとその前からベースラインも変えて1度と5度だけにしないとおかしくなる。でもジャズのコンボ演奏になるとⅠ-Ⅵ-Ⅱ-Ⅴと最初から2回やってしまうケースもある。まあ歌があるときはピアニストが注意して4度の音をキープしていれば問題ないし、ドミナント7thにコードがなってしまったときでも歌手が音を伸ばさなければ気にはならない。でもそんなこと関係なく声を伸ばすひともいるから要注意ではある。この場所は音楽的な「細部」にこだわってヴォイシングしている人と気にしてない人と過去の例を聞くと半々だ。ケースバイケースということにしよう。サスペンション、アンティシペーションは多声部音楽の技術の中でももっとも微妙で味のある技術だ。これにあまりに無頓着なのはよくない。わかりやすく区切られたアドリブ用のコードネームからでもそういう部分を読み解きインプロヴィゼーションにも生かすことは可能だ。楽曲の理解度にかかっている。

<STAR BOX>ドリス・デイ
Sony Music Direct
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When I Fall In Love

2015-10-17 02:37:27 | Weblog
Victor YoungとEdward Heymanの作品。映画「One Minute To Zero」の中で初めてに使用され、最初にヒットしたのは1952年にDoris Dayが歌ったヴァージョンだ。その後数え切れないぐらいの歌手がこの曲を録音し何度もヒットさせている。そしてジャズミュージシャンの間でもジャズバラードとして定着しているthe Standardだ。形式はA-B-A-C、32小節。まず気が付くのはメロディーにシャープ、フラットが全くない。もちろん和声は工夫をこらしてコードづけをするから、スケール以外の音も出てくるし、一時的にトナリティーが変化したりもするがメロディーに魅力がないと、ヴォーカリストは許してくれない。歌曲としての魅力を身をもって判定するのはやはり歌手なのだ。シャープフラットがないともちろん簡単に歌えるがそれは「退屈」と紙一重という問題をはらんでいる。微妙なところなのだ。そしてジャズミュージシャンがインプロヴィゼーションの素材として認識しているということは、ジャズの演奏にも耐えうるスタンダード曲としての体力も持っているということだ。歌や演奏に適しているかどうかの判定の基準は説明が難しい。具体的にここがどうのということもできるが、それは一部分でしかない。ほとんどは歌手や演奏家の音楽家としての直感だ。そしてそれが徐々に世界中に広まっていく。優れた音楽家は曲選びの優れた直感を持っていると言って間違いないと思う。

ポートレイト・イン・ジャズ
ユニバーサルクラシック
ユニバーサルクラシック

My Romance Ⅳ

2015-10-07 01:44:53 | Weblog
音楽上の「音」というのは縦と横に関係性をもって存在している。同時に2つ以上の音が存在する和声も同じだ。そのルールが和声学だ。音のもとになっている音波は自然現象なので、その自然現象によって発生する上音列にその秩序を支配されてしまう。上音列は上の方へいくと音程が詰まってきてどんな音も発生してくる。これではルールが成り立たない。なので、音楽を組み立てるときには6番目までを基本的には使うという考え方が定着している。でもそれでは音の種類が足りなくて豊かな和声が得られない。そのときの考え方として上音列の上へ上へ行くのではなくて使うことが許されてしる上音の上音を使うのだ。3度の5度上、5度の5度上という具合だ。倍音(上音)の聞こえる量は楽器によって違う。もっと細かく言うと奏者によって違う。どちらが音楽として良いか?という問題ではない。だから和音の「豊かさ」や「濁り度」を決めつけることは現実的にはできないのだ。その意味では音楽のルールは緩い。でもこの「緩さ」が音楽の多様性を生んでいるのだから、「緩さ」の原因や症状を細かく理解してそれを利用しないとレベルの高い音楽には到達しない。優れた音楽には必ずそういう微妙な駆け引きの部分がある。和声の世界は近代音楽が作り出した奥の深い世界なのだ。