この曲の全体の調性について見てみよう。Aの部分は調号の通りのメジャーキーだ。その中で動いている。Bの部分は長3度上に転調する。そのキーのⅡ-Ⅴ-Ⅰが2回、そしてそのあと短3度上に移ってⅡ-Ⅴ-Ⅰ。二回目でメロディーはトニックの音で静止する。この音はすなわち元のキーの5度、ドミナントの音だ。要するにブリッジの部分は元のキーのドミナント軸のⅡ-Ⅴ-Ⅰで構成されていて、それの短3度軸を使って組み立てられたものだ。細かい部分での和声の動きやブルージーなサウンドにするためのサブドミナントの使い方などといったポイントもあるが、全体を見渡すと極めて構造的、アカデミックだ。これは作曲者の音楽指向が大きく影響している。音楽家にはいろんなタイプがある。タッドダメロンの音楽を簡単に評価することはできないが、ダメロンが音楽の構造美に敏感であったということは間違いないと思う。これは彼がビバップの創始者のグループの一員だったという事実と合致する。モダンジャズという音楽、インプロヴィゼーションに必要な教養と同一の方向性だ。芸術の中の「美」のポイントの受取り方はさまざまだ。個人差もあるし、時代による傾向もある。ビバップの初期というのは、それまでの価値観とはまた別のジャズの音楽的要素に対する認識が高まり、その新しい美意識を具現化できる人材が現れた、ミュージシャンにとってはゾクゾクするような時期だったのかもしれない。
この曲の形式はA-A-B-A、32小節、構造的にも完璧といえる佳曲だ。5小節目のメロディーラインとコード進行はこの曲の特徴的な部分として知られている。トニックコードの分散和音からメロディーは5度シャープ、6度、7度と2度進行する。和声は3度がベースのトニックから3度フラットのマイナー7Th、Ⅱ-Ⅴだ。Ⅲ♭mからⅡmへの動きにはドミナントモーションはない。これは並行和声だ。同じ音程が並行して進むとその声部が強調されてしまう。機能和声の分野や対位法で連続5度、8度が禁止されているのはその強調が全体のバランスを崩すからだ。でもこれを逆利用すれば新たな武器になる。20世紀以降の和声進行や実際的なアレンジの方法としてこの並行和声は多用されている。この曲の場合はドミナントモーションを基本にした進行の中にこの並行和声を組み合わせ、それに2度進行で上行するメロディーラインを加えるという手法を使っている。マイルスデイビスの「Four」にもそっくり同じパッセージがある。並行和声はその持っている音程構成が考慮すべき重要なポイントだ。それと同時にこの進行が持つ「退屈さ」という負の部分を忘れてはいけない。この進行を楽曲の中に組み入れ効果的なものにするのに必要なのは作曲技量だ。特に連続5度は音楽の中において「支配的」だ。毒にも薬にもなる要注意の素材であると認識しておく必要がある。
ピアニストのタッドダメロン(tadd dameron)の曲、歌詞はCarl Sigman。この曲はダメロンが当時仕事をよく一緒にしていたヴォーカルのサラヴォーンのために書いたいわば歌曲だ。ダメロンは1917年の生まれだからモンクと同年代。ビバップという音楽を誰がやりだしたのかは正確には分からないがダメロンはビバップ初期のいわばモダンジャズを作りだした創造者たちの中の一人だ。それもかなりの重要人物。この曲は歌曲といえるものだが、モダンジャズの演奏のための曲も多数書いていて、スタンダードとして今も立派に存在している。アレンジも得意だったようで、オーケストラアレンジも手掛けている。新しい文化というのは他人との関わりの中で生まれてくる要素が強くて特にジャズのように即興の合奏を中心に展開していく音楽はお互いの刺激がそれぞれのスタイルを作っていく。ビバップの世界にはチャーリーパーカーというとんでもない存在があるのでどうしてもパーカー中心に考えてしまうが、パーカー自身も周りのミュージシャンからの刺激を受けて自分の音楽を作っていったのだ。話はちょっとそれるが、私の長年の友人、ドラムのマイクレズニコフはニューヨークの生まれだ。彼は少年だった60年代ニューヨークでいろんなミュージシャンの演奏を聞いてきた。ドラマーを目指していたので当然ドラムに目も耳も行く。ニューヨークにはアメリカのいろんなところからミュージシャンが集ってくるが、その頃の彼はドラムを聞いたら出身地が分かったらしい。シカゴ、フィラデルフィア、デトロイト、テキサス、それぞれサウンドに特徴があったというのだ。これは当時の情報量の問題だと思う。それぞれの町にそれぞれの文化が存在した。今はざっくり言うと世界中ジャズサウンドはどこでも一緒、個人差があるだけ・・。1940年代、ニューヨークにいろんな才能、スタイルが合流し、ごちゃまぜになり、ある意味それが限られたエリアのなかで熟成されたのがモダンジャズなのかもしれない。
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ジャズインプロヴィゼーションはほとんどの場合原曲がありその和声構造や小節数などにそって即興で音楽を作っていくという行為だ。作曲(composition)といってもいい。ただじっくり考える時間は当然ない。そこが難しく、またおもしろいのだ。考えてると間に合わないから考えなくていいか?といわれたらそうとも言えない。数年かけて作曲するような大曲を組み立てていると仮定しよう。全体の構成やイメージの組み立てから具体的なモティーフの選定、それらの展開、そして修正を繰り返す。「感覚」と「思考」、能力の全てを使わないと作曲はできない。ただ時間がある。インプロヴィゼーションは時間がない。だからどこが変わってくるかといったら「感覚」と「思考」の割合だ。そのパーセンテージが違うのだ。ジャズミュージシャンの世界に入って驚くのは、ミュージシャンが演奏全体のことをバランスよく考えながら演奏しているということだ。即興で音楽を作っていくのだから当然といえば当然だけど・・・。時間の観念やダイナミクスの感覚をある程度共通のものを持っていて、それがないとなかなか仲間に入れてもらえない。でも逆に言うとそれを理解すれば、どんなミュージシャンとも一緒にやれる。こういう暗黙のルールみたいなものが人間の「感覚」と「思考」のどちらから来ているのか?どのぐらい混じり合っているのか?謎だ。実際にジャズを演奏していると、「感覚」と「思考」の境目が分からなくなってくる。じぶんがどちらをどのぐらい使って音選びをしているのか?全く分からない。医学的な検査でもすれば脳の働きは分かるかもしれないが、所詮使っているのは自分の頭蓋骨のなかのひとつの脳みそだ。いわば「音楽脳」なのだ。