ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

In A Mellow Tone Ⅲ

2011-12-18 02:02:24 | Weblog
この曲は32小節で構造も理にかなったすきのないものだ。でもそれは和声面でのこと。あくまでも12個の音の組み合わせという意味だ。この曲の後半の8小節、ブルーノートを含んだ12音からはみ出したメロディーが出てくる。ブルーノートというのはある意味はみ出すという点で典型的であるけど、他の変化音にしても発生のもとをたどったら12個の音に収まりきらないものがいくつかある。和声というのは段階的に区切られた12個の音の組み合わせ、これ以上の数があると人間の耳では処理できないからこの数になった。ロジックが組み立てられないのだ。何千年もかけて人類みんなで12個にした。でもメロディーというのはその範疇には入りきらない。12個以外の音が実はいっぱい含まれているのだ。音楽を総合的に構造で考えた場合、旋律も音楽構造の一部分ではある。和声の一端をになっているのだ。でも一方で和声と切り離して考えないと音楽が成り立たない場合がある。そしてそれがその音楽の重要な要素である場合が多いのだ。楽曲はそれを見抜かなくてはいけない。これはジャズチューンにあるブルーノートばかりではない。完全な構造と思われている、クラシックの名曲にもそういう要素は内蔵されている場合がある。12個の音の重なりで表現されるもの、その範疇に入らない微妙な音の連なり、実はその両方が音楽には必要なんだ。

In A Mellow Tone Ⅱ

2011-12-13 02:33:09 | Weblog
音楽のでき方にはいろんな種類がある。作曲といっても一律ではない。特に制作に要した時間となると明確にはできないのが本当のところだ。ワーグナーのオペラのように20数年かかったといわれているものもあれば、スタジオにはいってから数十分で書いたポップ曲がヒットしたという例もある。何十年と何十分、大きく違うように見えて実は共通点もある。結局、最後に決めて音符を書くときというのは一瞬であってそして即興的なのだ。練りに練って構築されたベートーヴェンのシンフォニーを即興的だといったら奇異に思われるかもしれない。そしてこのデュークの曲のようにセッションの中で生まれたような曲を計算された楽曲だと言ったらこじつけのように取られるかもしれない。でも良い楽曲というのは必ず緻密に計算された部分と即興的な部分という二面性を併せ持っているのだ。ジャズインプロヴィゼーションは即興だといわれる。でもその「即興」という言葉を明確に説明できる人はいないだろう。即興的な音楽とそうでない音楽の明確な線引きも実はない。もしあったら音楽自体の存在意義が半減するのではないだろうか?ジャズミュージシャンが発するインプロヴィゼーションの一音一音が出所も出来た時もわからない。その不思議さが面白いんだ。

In A Mellow Tone

2011-12-06 02:01:59 | Weblog
デュークエリントンの作品、コード進行は「Rose Room」と酷似している。まあそんなことはたいしたことではない。どんな経緯でできたにせよ、この曲は偉大なデュークサウンドの一角であり、ジャズミュージシャンが愛するスタンダード曲だ。オリジナルはフラットが4つ。ジャズミュージシャンの作った曲のオリジナルキーにフラットが多いのは管楽器がフラット系だから・・。それだけの理由だ。ジャズという音楽がとにかく管楽器がリードしてきた音楽である証拠だ。コントラバスやギターなど弦楽器は解放弦の音からしてもシャープのほうがよく響く。でもベーシストはジャズという音楽になじむため、フラットがいっぱいついた曲をマスターすべく一生懸命努力する。ピアノはキーはあまり関係ない。慣れればそれで終わり。黒鍵があるほうが弾きやすいことのほうが多い。もちろん指使いという問題があって半音違うと指使いを変えないと弾けなくなってしまうけど、でもそれもちょっとした「慣れ」。ピアノ教育もいろいろあるけど、本当の初期からいろんなキーの曲をやることが後でいろんな調性をスムーズに受け入れる下地になると思う。それはピアノ教師の責任だ。数十年も前の話だけど、サックスの松本英彦さんが’60年代の初めにニューヨークに行った時にソロピアノをやってる素晴らしいセンスのピアニストがいて、その人は弾く曲のキーが全部Dフラットだったと言っていた。そのころは世の中にまだそういうプロが存在する余地があったのだろう。今は絶対無理だけど・・・。