もちろんこれはジョーザウィヌルがウェザーリポート時代に書いた、ビッグヒット曲だ。多分70年代半ばに書かれたと思う。曲の内容についてはちょっとずつということにして、今日はこの「Birdland」というタイトルについて・・・。このタイトルはチャーリーパーカーのニックネームを店の名前にしたニューヨークのいわば老舗のジャズクラブのことだ。この店は今ももちろん存在する。開店したのは1949年だからほぼ60年の歴史ということになる。ジャズクラブが半世紀以上も営業し続けるというのは驚きとしかいいようがない。生き残るために今やっている営業方針のことについてはあまりふれたくない。とにかくジャズ界の超カリスマ、チャーリーパーカーの名前を冠したクラブなんだ。店のサイトを見ると、1949年12月15日のステージの写真がある。パーカーとレスターヤングが同じステージに上がっている。ピアノの前に座っているのはなんとレニートリスターノだ。ジャズのにおいだ。パーカーはその後店とトラブルを起こして出演しなくなった。でも「Birdland」はモダンジャズの中心地ニューヨークを代表するジャズクラブとして世界中に知れ渡った。オーストリアで生まれジャズに憧れながらヨーロッパでミュージシャン活動をしていたジョーザウィヌルにとっては「Birdland」は心を揺さぶる存在だった。いつかそのステージに立ちたい。ジョーにはカーネギーホールよりも「Birdland」だったんだ。ジョーはジャズの中で育ったわけではない。でもオーストリアで幅広い音楽の教養を身につけ、その鋭い耳でモダンジャズを客観的に理解していた。そしてなによりとびきりの才能を持ち合わせていた。アメリカに単身で渡りニューヨークのジャズシーンの中に入ってグローバルな視点からモダンジャズを変えてしまった。音楽に限ったことではない。文化というのはこういうものなんだと思う。そしてアメリカのジャズミュージシャンの誰よりもこの「Birdland」という名前の重さを知っていたんだろうと思う。
インプロヴィゼーションというのは音楽の何をもとに作られるのか?ミュージシャンは何を感じて即興で音楽を作っているのか?ここで簡単に結論を言える問題ではない。でもどんな状況になっても、即興で頭に浮かぶメロディーはどうしても全音階的なものだ。半音階的なものというのはどうしても歌いづらい。これは理論的に考えても当然のことで、音楽の組織が全音階的であろうが半音階的であろうが、インプロヴィゼーションというのは「歌」と密接に関わっている。いわゆる西洋音楽はその歌と半音階のいわば歌いにくいシステムをうまく組み合わせてきたわけだ。ビバップも構造としてはその範疇に入る。ただ、自由なテンションやリハーモナイズというドミナントモーションを利用した半音階的「遊び」が度を越してしまったんだ。即興や自由の持つ危険なのか?マイルスはモード手法によってその行き詰まりをいわばリセットしようとしたのだ。その手段としてギリシャ旋法を基にするといういわば彼にしかできない極端な方法をとった。これにはもちろんマイルスの個人的な音楽センスが大きく関わっている。彼はとにかくシンプルに音楽を表現したいのだ。この考え方は多くのミュージシャンに衝撃を与え、何十年たっても影響は消えない。でもはっきり言ってみんなちょっと取り入れているだけだ。なかなか徹底したことはできない。まあ当然だ。マイルス以外の人はマイルスではないんだ。ビバップのように組織的になってくるとそれを学ぶ時にマニュアルがあるような気になってくる。ビバップリフレインと揶揄されるあれだ。モード手法にはマニュアルはない。ジャズミュージシャンたるものつまらないマニュアルにたよるな!もっと創造的になれ!このシンプルな音の世界の中でいい音楽を創ってみろ!これこそがマイルスのメッセージなのかもしれない。
この「Milestones」と同じ時期に書かれたマイルスのモード手法による大ヒット曲「So What」、ミュージシャンにとっては「えっ?」と思わせる構造でこの「えっ?」がそのまま題名になってしまった。スタンゲッツがマイルスのこの曲の演奏を初めて聞いた時、「動かない音楽だ。」みたいな感想を言ったらしいけどさすが鋭い。その「動かない音楽」それがモード手法なんだ。それと前にも書いたいわばアンチビバップの考え、全音階的か半音階的かという議論はあまり的を得てるとは思えない。数百年前に12音平均律が出来て、音楽表現の幅を広げるため、半音階的技法はとことんと言っていいぐらい研究されてきた。セバスチャンバッハはすでに独自の半音階的音楽観を確立していたし、数多くのロマン派の作曲家そして極めつけはシェーンベルグの12音技法など12個の音を征服するための戦いが作曲家の仕事みたいなところがあった。でも実際の作品は全音階的なものと半音階的なものを組み合わせたものがほとんどで、ビバップも実はこのふたつの組織をうまく組み合わせたものなんだ。こういう音楽の成り立ちというのはやはり人間の感性の要求に答えたものと言わざるを得ない。音楽はそういう文化なんだ。でも問題はインプロヴィゼーション、即興で音楽を作っていくというジャズの特性になにが合っているかということだ。ううん・・・。もうちょっと短くまとめようと思ってたけど無理なのでまた次回に書きます。
マイルスはこの「Milestones」や「So What」などモード手法と呼ばれた曲をアジア的、アフリカ的と表現している。要するに欧米風のアカデミックな音楽構造ではないということだ。ビバップは大きなムーヴメントとなった画期的なアプローチではあったけど、言われてみるとあまりにもアカデミックで毎晩毎晩この音の洪水に囲まれていると食傷ぎみになるのかもしれない。マイルスがこのアルバムを制作した頃、彼はメジャーレーベルのコロンビアと契約し、お金の心配をせずに音楽を作れるというジャズミュージシャンとしては本当に稀な恵まれた環境にあった。その財力でコルトレーン、キャノンボールといったオールスターともいうべきサイドメンを集めてこんないわば実験的な音楽をレコーディングできたわけだ。世間の反応も早かった。ビバップを超える知的な音楽として「モード手法」を受け入れる人、反発する人、賛否両論渦巻いていた。確かにジャズの地位向上には貢献したと思う。でも数十年経過した今この「モード手法」と言われる音楽はどういう位置にあるだろうか?ジャズをやり始めたら必ずやってみる「Milestones」ではあるけど、自分の音楽を作るという時にこのアプローチではなかなか成功しない。やはり前にも書いたように難しいんだ。いい音楽にするにはやはり高いレベルの腕と才能が要る。この曲はやはり「Miles Music」だったんだ。
この曲はアルバム「Milestones」に最初に収録され、その後もマイルス自身が十数年にわたってライブで演奏し続けた永遠のジャズスタンダードだ。ジャズをやってみようと思った人はかけだしの頃から必ずやる曲ではある。で、ほとんどはうまく行かない。というかボロボロと言っていいような演奏になる。やっていると必死だから気がつかないことが多いけど、聞いているのはつらい。音楽にならない。難しいんだ。コードと言うか使うスケールはふたつしかない。小節数がややこしいわけでもない。でもこの素材をもとにいい音楽を即興で作り出すのは至難の業だ。「モード手法」こう呼ばれることになった最初の曲だ。マイルスがインプロヴィゼーションの素材としてこういういわゆるシンプルなものを欲するようになったのにはいろんな理由がある。直接のヒントになったのはなんといってもギルエヴァンスとのいろんなギグを通じての音楽的交流だろう。でもその前にマイルス自身が語っているように、ビバップサウンドに対する「飽き」があった。ジャズサウンドはサッチモからコールマンホーキンス、レスターヤングを経てパーカーとディズというように徐々に積み上げられてきた。ビバップのムーヴメントは突然生まれたものではない。その前にちゃんと下地がある。マイルスはそれを全部見てきた。その間にサウンドは進化し複雑になった。その副作用として音が多くなりすぎたんだ。ビバップをやるとよほど気をつけないと音が多くなってしまう。マイルスのように前でメロディーを吹く立場だとよけい感じるかもしれない。ヒップを目指してやってきたビバップが自分自身の音に縛られるという皮肉だ。数十年経過した今だからようやく分かるけどこれは過去数百年音楽界で繰り返されてきたいわば音楽のパラドックスといえるかもしれない。もうちょっと書きたいのでまた次回に・・・。