ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

More Study In Brown Ⅱ

2007-08-30 03:55:29 | Weblog
ブラウン-ローチクインテットは音楽的にも興行的にも成功した。でも絶頂期にあの自動車事故が起こってしまった。ブラウンとピアノのリッチーパウエルが死んでしまっては、バンドはとても維持していけない。解散せざるを得なかった。マックスローチの落胆は想像するにあまりある。マイルスが言うにはマックスはそれ以来立ち直っていないらしい。ギグの話を交渉して成立させてギャラはどういう形で受け取るかということになると、アメリカの場合は国が広いから業界でいう「アゴアシつき」要するに、旅費、宿泊費はこちらもちという場合が多い。全部まとめていくら、ということだ。日本でもよくある。ギャラを少しでも多くもらうために当然旅費をちょっとでも削ろうとする。アメリカは高速道路はタダだしガソリンも安い。車にみんなで乗り合って行こうということになる。距離は当然相当ある。当時はドラッグも蔓延していた。アルコールも日常的に飲む。それでぶっ飛ばして行くわけだ。ブラウニーがこのケースにあてはまるかどうか分からないけど、こんな生活を年中やってたら、当然事故も起きる。この数年後にはスコットラファロも事故死してしまった。今は状況はかなり変わっては来ているけどこういうツアーのやり方が全くなくなったわけではない。今現在日本でもこれに似たことをやってる人もいる。ボクも何度もやった。運転手もやった。いろんな事情を考えるとしょうがないとは思うけど、危険な上にすごく疲れる。その上に演奏しなければいけない。まあ世の中の仕事に楽なものはないのはわかっているけど、この仕事のやり方はかなりハードだ。ボクが以前雇ってもらっていた鈴木勲さんというベーシストは'70年頃アートブレイキーのバンドに入ってアメリカで仕事していた。その時のツアーの様子をよく話してくれたけど、アートの運転するボロボロのキャデラックに乗り合って楽器を積みこんでコカインをやりながらぶっ飛ばしていくらしい。恐かったといっていた。まあ無事ですんだからよかったけど・・・。ボクは家が近かったせいもあってよく鈴木勲さんの車に乗せてもらっていた。鈴木勲さんは酒もドラッグもいっさいやらない。でも運転はアートブレイキー以上だと思う。ボクはいつも体をこわばらせて、冷や汗をかきながら助手席にすわっていた。まあでも無事だった。

More Study In Brown

2007-08-28 00:09:47 | Weblog
このアルバムは「More」とついているから「Study In Brown」より後かと思っていたら、実はこのアルバムのほうが先にリリースされている。まあ何らかの理由だろうけど分からない。このアルバムは一枚分をどうやって録音したのか分からないけど、とにかくA面はソニーロリンズ、B面はレギュラーのハロルドランドとサックス奏者が代わっている。ソニーロリンズはこの頃プライベートな理由で演奏活動をしていなかったけど、ハロルドランドの病気でマックスローチに泣きつかれて、このバンドのギグに参加した。そこにいたのが、クリフォードブラウンだ。一緒にギグをこなすうちにソニーの音楽に対する欲望がわきあがってきた。そして復帰し2年後には「サキソフォンコロッサス」をリリースする。まあブラウニーと一緒に演ったらだれでもビックリするだろう。特にソニーのような才能のある人なら感じないわけがない。このアルバムはバンドを旗揚げしてそんなに日にちがたっていないからそう思って聞くと初期のバンド独特のちょっとぎくしゃくしたところもある。でも逆に新鮮さもある。ドラムのマックスローチはフロントに天才二人を雇って、安定したリズムで本当に気持ちよさそうだ。そりゃそうだ。こんな二人が前で吹いてくれたら最高の気分だろう。一曲目の「I'll Remember April」のアレンジは今でもジャムセッションのときの定番アレンジだ。またか、とも思うけどやってるとよくできたアレンジだから気分は悪くない。ちょっと立ち入ったことかも知れないけど、ソニーのサウンドについて感じたことがある。それはこのアルバムの時点ではこの数年前とそんなにサックスの音が変化していないのに、この2年後には技術面での大進歩が見られるということだ。ブラウニーに刺激を受けて、練習を積み重ねたんだと思う。ちょっと休憩していた分パワーがたまっているから一旦方向が見え出すとこういう才能のある人は短い時間でプレイが変化する。天才ミュージシャンをこんなに簡単に評価してすみません。もちろん尊敬し、注目しているから感じることではあるけど、考えてみたら評論なんて失礼なもんだ。自分の全く手の届かないようなレベルの同業者のことをとやかく言うなんて・・・。くれぐれも気をつけて書いていきます。

Study In Brown Ⅱ

2007-08-24 01:33:16 | Weblog
このアルバムがリリースされた頃というのは、モダンジャズが新しいジャズのスタイルとして確立され、より芸術性の高い音楽として認知されだした、いわば一番パワーのある時期だ。カリスマだったチャーリーパーカーがこの世を去り、若い才能がそれぞれの個性を生かして音楽を作っていこうとしていた。でも一流レベルにあったミュージシャンたちの間には、モダンジャズの精神という暗黙の規範があって、その中でお互いに切磋琢磨していたわけだ。こういう時期の芸術というのは本当にパワーがある。そしてそういう純粋に芸術的な面の他に、アメリカ社会の人種差別という理不尽なものに対する反発心もそのパワーの一因だろう。よりヒップでレベルの高い音楽を演奏するにはどうしたらいいか、まず楽器を扱う技術を高める、音楽の方向性を確立して良い曲を良いアレンジで演る。そしてなによりインプロヴィゼーションの腕前を磨く。今でこそインプロヴィゼーションのやり方はあまり役には立たないにしろ色々なやり方や考え方が書物になったりしているけど、当時は全く手探りだ。このアルバムでブラウニーはアドリブに対してどういう考え方や自分なりのルールで臨んでいるんだろうか?ナゾだ。採譜して分析はできる。でもそういうやり方はその後何十年もジャズビジネスとしてずっとやられてきたけど、今演奏しようという人にはほとんど役にたたない。いわば後のまつりなんだ。インプロヴィゼーションを分析して考えてたどり着くところは決まっている。即興演奏の「限界」だ。自然科学の法則のように全宇宙に通用する方程式があるような気分になってくる。音楽という芸術はそういうものなのか?12個の音の組み合わせというほかに文学作品のように心を揺さぶるという一面があるのではないか?ミュージシャンはなんのために演奏するのか、と言われたらそれは自分のため聴衆のため、いわば人間のためなんだ。'50年代後半のモダンジャズはそういう人間の心を揺さぶるパワーを持っていた。クリフォードブラウンはそういう芸術の具現者のトップレベルの中の一人なんだ。

Study In Brown

2007-08-21 00:49:39 | Weblog
クリフォードブラウンのことは、わずか数枚のアルバムでしか知らない。本当にただのレコード評しか書けない。彼はあまりにも早く世を去った。日本にも来た事がない。ブラウニーの演奏を聞いたことがあるという人にも会ったことがない。でもこのアルバムはジャズの名盤として君臨している。全く異論はありません。こんな内容の濃いアルバムはめったにあるものではない。このアルバムの中で演奏しているブラウニーの技術もフィーリングもまさに天才のそれだ。まだ20代前半だ。どこでどうやってこんなことを身につけたのか誰にも分からない。最近YouTubeでブラウニーのわずかに残っている映像が見られる。声も聞ける。はっきり言って演奏のこの完璧な成熟度とすごい落差がある。まるで世間知らずの青年いや少年だ。まわりは扱いに困っただろう。このアルバムもクリフォードブラウンが売りだから先に名前が来てるけど、このバンドの親分はマックスローチだ。マックスがちゃんとしきってギグをこなしそしてこのバンドは成功したんだ。まあでもブラウニーのラッパを聴いたらジャズ界が大騒ぎする理由が分かる。これは驚異的な腕前だ。1曲目の「Cherokee」のテンポの速さは尋常じゃない。その中で楽々と吹いている。インプロヴァイザーとしてのセンスも驚くべきものだ。この直後、引退していたソニーロリンズに刺激を与えソニーに自主的にカムバックさせたのもブラウニーのプレイだ。そして悲劇の自動車事故。ピアノのリッチーパウエルも一緒だった。このアルバムは貴重な遺産だ。そしてジャズ界にも大きなインパクトを与えた。ジャズのインプロヴィゼーションというのはここまでやれるんだというブラウニーのメッセージだ。

Jaco Ⅳ

2007-08-18 03:02:49 | Weblog
このアルバムになぜハービーハンコックが参加しているかといったらそれははっきり言ってアルバムの売り上げにハンコックのネームバリューが直結しているからだ。業界ではよくあることで、ジャコもハービーとやることに異論があるはずもない。すでに'60年代半ばからハービーの業界内での評判は抜群でサイドメンとしての能力は超一流だ。その一方でマイルスバンドで有名になっていたし、自分のアルバムも出し続けていた。アルバムのクレジットにハービーハンコックの名前があるだけで、売り上げが違うのは当然の話だ。'77年だったと思うけど、ベースの水橋孝さんがニューヨークでレコーディングしたとき、ピアノにハービーハンコックを頼んだ。レコード会社を通じてだろうけど、その依頼した経緯の詳細はよく知らない。でもレコーディングのためにアメリカへ行くちょっと前、一週間ぐらいだったかジョージ川口さんのバンドで一緒にツアーをやらせてもらった。そのときポツポツしゃべってくれたハービーを雇う条件みたいなことはよく覚えている。まあ主に金銭面のことだ。ハービーに払うギャラとかその他の条件だ。どのレコーディングも一緒というわけではないだろうけど、それまで聴いてきたハービーがサイドメンとして参加したアルバムを思い起こしてみると、一流のジャズのレコーディングミュージシャンのハードさや能力の高さに改めてビックリした。そしてそれに対するギャラの安さにも・・・。自分の狭い音楽の世界に閉じこもっていたら通用しない世界だ。もちろんハービーハンコックは特別の人だ。あんな能力を誰でも備えているわけではない。それにモンクのように自分の音楽だけでやり通した「JazzGiant」もいる。でもいつも自分の幅を広げていこうという気持ちで毎日音楽をやっていないと、自分の小さな心地よい世界に安住してしまう。このジャコのアルバムに参加したハービーはジャコの才能に感激し、ギャラの発生しない予定外の曲にも喜んで参加したそうだ。そういうミュージシャン魂があるからハービーハンコックは何をやっても「Herbie Hancock」なんだ。