ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Waltz For Debby

2006-06-27 03:40:41 | Weblog
これは、ヴァンガードで録音したライヴ盤ではなくて、エヴァンストリオがヨーロッパツアーに行ったときにストックホルムで録音した歌手のモニカセッテルンドとのアルバムです。曲目はほとんどがエヴァンスのレパートリー。モニカがビルのファンだったらしい。どういう経緯でこの企画がもちあがったのか定かではないけど、大体の見当はつくね。まあでもビルエヴァンスファンとしては彼の違った一面がみれるということだ。モニカの歌もいいね。どこがどうのじゃなくて、ビルエヴァンスのピアノをバックに歌えるという喜びが出てる。"このタイトル曲に自国語で歌詞をつけたり、一曲目に"Portrait In Jazz"と同じ"Come Rain Or Come Shine"をもってきてビルに敬意を示している。コードもソックリ同じだ。キーは短三度違う。ベースは前のラファロじゃなくてチャックイスラエルだ。チャックイスラエルのほうがコピーは断然しやすいんだ。音楽のよしあしとは全く関係はないけどね。このアルバムでこの曲のリハーモナイズが完璧に分かった。そしてキーが違うことによって、エヴァンスのヴォイシングが微妙に違う。まあそんなに慣れてないからね。ビルエヴァンスといえども、ピアノを弾くことは簡単じゃないんだ。曲を消化するのは大変だ。
めげないでやろう。それにしてもモニカセッテルンドはいいアルバムを作ってもらったね。これは彼女の宝物だと思うよ。

Trio 64

2006-06-23 03:30:15 | Weblog
サイドメンはゲイリーピーコックとポールモチアンだ。ビルエヴァンスとポールモチアンはこのアルバムを最後に一緒にやってない。ピーコックを使ったのは、新鮮さを求めたからだろう。ビルはピーコックのことを気にいっているどころか尊敬してたらしい。録音のやり方も変わったし、ずいぶんサウンドは変化してるね。でもこのアルバムを聞いたのは、ボクのキャリアの初期の頃だったので、これがビルエヴァンストリオなんだとなんの抵抗もなく受け入れてた。'Santa Claus Is Coming To Town'はよく聴いてたからクリスマス季節になると大喜びでこの曲をやってたね。でもピーコックはこの後あっという間にビルのもとを去っていった。彼は実はその後、'70年頃だけど、しばらく京都に住んでた。そのときクリニックをやったんだけど、サックス奏者がⅡ7のところをちょっとルーズにⅡm7みたいに吹いたら、演奏を止めて、"No"と言ってた。ちょっとビックリした。その頃ボクはジャズの守るべきルールが分からなくて、誰も正しく教えてくれないし、どうしていいか分からなかった。あの激しい即興演奏の中で、どうやって音使いのルールを守っていけばいいのか全く見当がつかなかったんだ。でもこのピーコックさんの一言で思った"これは音楽構造をちゃんと理解しないとマズイ"。後になって考えるとジャズの勉強は音楽構造との闘いみたいなところがある。よく理解しないとかえって自由になれない。その後やり始めた和声学や対位法のチョー地道な訓練も今思えば、堅苦しいがゆえにかえって、音楽の自由とはなにかを教えてくれた。すべてゲイリーピーコックさんのおかげです。

At Shelly's Manne Hall

2006-06-22 03:17:26 | Weblog
シェリーマンはビルエヴァンスの友人で信頼できるドラマーでこのシェリーズマンホールのオーナーだ。でもこのアルバムではこのあとレギュラーメンバーとなるラリーバンカーがたたいている。エヴァンスのピアノの音が乾いていてナチュラルだ。そのまま録った感じだね。すごくいい。このクラブはビルのお気に入りの場所だった。ピアノはスタインウェイのベビーグランドだ。観客もビルのファンやミュージシャンばかりですごくムードがいいね。やりやすそうだ。健康がすぐれないにも関わらず、周りの応援で底力を発揮してる。さすが本物のミュージシャンだ。。このアルバムはリヴァーサイドに残っていた契約を済ませるために録音された。リヴァーサイドはちいさなレコード会社だ。でもその小ささがエヴァンスやモンクを育てたんだ。最近の業界では考えられないことだけど、印税契約をしてるにも関わらずビルは印税を受け取ったことがないと言う。でも全然気にしてなかったようだ。今の業界はこういう問題にすごくシビアーで、そのおかげでレコード会社とミュージシャンはお互いに人間的な信頼関係が築けない。寂しいね。このレコーディングの少しあとリヴァーサイドの経営者が急死したときのエヴァンスの言葉が笑える。"彼は正当防衛のために死んだのかもしれない。"

Conversations With Myself

2006-06-20 03:37:24 | Weblog
ビルエヴァンスのピアノの多重録音の作品だ。多重といってもほとんどは3重。このアルバムでエヴァンスはグラミー賞を獲っちゃった。ジャズアルバムがこういう賞をもらえるというのは、なにはともあれ同業者としては喜ばしいことだね。この作品のヒントは前年に試みたソロピアノ、他のジャンルのミュージシャンたちが当時やり始めてたオーヴァーダブを使ったレコーディングなんかがあったんだろう。それにレニートリスターノがこの数年前に自身のピアノの多重録音のアルバムを出してたね。聞いたことがある。エヴァンスはこのレコーディングの直前にレコード会社を替わっている。エンジニアもあのヴァンゲルダーになった。このアルバムは完成させるのにだいぶ苦労したようだ。ブッチャケこの企画はキビシイよ。だいたいまともな音楽にするのだけでも大変だと思う。いろんな細かい理由があるけど・・・。この音楽の内容もヴァンゲルダーの音創りにも賛否両論あるけど、ボクはそんなことはたいして気にならない。心配なのはビルエバンスそのものだ。明らかに音楽が"破滅"に向かっている。今考えたらエヴァンスはこの後よく10数年も生きていられたなと思うぐらいだ。ビルの死は歴史上一番時間をかけた自殺だったと、ピーターペッティンガーが本に書いている。間違いなくこの頃からビルエヴァンスは"自殺"し始めたんだ。

Interplay

2006-06-19 05:11:07 | Weblog
このアルバムに接したのは、18歳のときだった。その頃やってたバンドのバンマスがギタリストでジムホールのオタクだった。このアルバムのタイトル曲はもちろんコピーしてやってた。いろんな勉強にはなったね。うん。でもこのアルバムのできた経緯とか音楽のワケみたいなのがわかってきたのは、20年ぐらいあとだった。'62年の4月から8月にかけてエヴァンスはレコーディングしまくってる。これだけやったら他の仕事はできないね。チャックイスラエルを加えた新しいトリオ、ジムホールとのデュオ、レーベルを変えてシェリーマンとのトリオ、そしてこのアルバムだ。計8回、スタジオに入っている。理由は"MONEY"そうなんだ。悲しいけどそれが事実なんだ。ドラッグを買うための"金"だったんだ。レコーディングが一番手っ取り早く儲かったんだろう。当時のエヴァンスの立場だったらね。ビルが録音したいといったらレコード会社は喜んで金を出したからね。このアルバムもトリオばかりじゃまずいからメンバーを代え、管楽器を加えて工夫はしてるけど、オリジナルは1曲だし、あとはまあよくできてはいるもののアレンジしたポップス曲だ。エヴァンスが普通の人だったらひどい駄作になって当然。でも名盤。といったらいいすぎかな?30数年前何も分からず、一生懸命聞いて夢中になっていたのは、このアルバムの奥から聞こえてくるエヴァンスの苦しみを感じていたからかもしれない。