ジャズインプロヴィゼーションの発想の源は誰にもわからない。プレーヤー本人にも確固とした自覚がないのが真実だろう。方法論も個人差があって、誰も干渉しない。出てきた音をジャズの世界独特の感性「Hip&Crazy」で評価するだけだ。そこに存在するのは、やはり「Simple is Best」だ。何かの構造を組み立てていくと人間はどうしても複雑な方向へいきがちだ。インプロヴィゼーションの感性はそれを食い止めてくれる。音楽にはポリフォニーの世界がある。これはかなり原始的な発想で、これが音楽構造の始まりともいえる。そしてポリリズム、ポリコード、現代の音楽を考えるとこれらの言葉に違和感はない。世界中の人が受け入れている感性だ。要するに全て同時にふたつ以上の音楽要素が進行するという意味だ。でも「Polytonality」というのはどうだろう?日本語では「多調」、定義としては同時に複数の調性が進行するということだ。ポリフォニーでもポリコードの連続でもない。この多調作法の感覚がインプロヴィゼーションという即興の世界で通用するだろうか?アレンジとして多調風というのはありうる。でもアドリブのまん中でこの多調感覚をジャズの感性が許すだろうか?ジャズという音楽の懐の深さを考えると完全な拒否はできない。でもモダンジャズのポリシーからは遠い感じがする。インプロヴィゼーションを楽しむという視点から音楽を考えると自然といろんな意味での音楽構造の限界、人間の感性の限界も分かってくる。
この曲のAの部分はひとつの調性の中で推移している。Bの部分はAの調性のⅡ-Ⅴ-Ⅰを二回やったあとⅡのコードをⅣに置き換えて平行調に一旦移る。そのあとその平行調のトニックコードをⅣに置き換えて基の調性からみると長3度上に部分的に転調する。このぐらいの長さを転調というのかどうか?どちらでもいい。でその長3度上のトニックから基調のドミナント7thへ・・・。この移行は短3度、同じドミナント軸だ。調性感を確実なものにするには「カデンツア」が必要で、そのためには3つのコードが要る。2つでも感じられるし、1つでもなんとかなる。でもⅠ、Ⅳ、Ⅴがあればまさに「調」が成立する。スムースな転調はこの性質をうまく利用したものだ。両方の調のカデンツアの共通のひとつのコードを軸的和音(Pivot)として取り扱うのだ。それによって全音階的な調の交換が可能になる。軸的和音が存在しない関係の転調は半音階的になる。でもどちらが良い悪いという問題ではない。音楽の評価はその全体像にかかっている。ただひとつ言えることは全音階的転調のほうが歌いやすいということだ。インプロヴィゼーションのフレーズも浮かびやすい。全音階的なつながりのない調やコードはどうしてもそのつなぎ目の部分でインプロヴィゼーションが「歌いにくい」。次になにが起こるか分からないジャズの演奏だからこそ「つながり」や「たよるもの」が必要なのだ。音楽にはスリルも必要だけど、安心も要る。それが人間の感性なのだろう。
ジャズの演奏は演奏者に楽曲の解釈の自由がかなり許されている。まあそれが面白いところだ。テンポも拍子もリズムの形も変えられる。曲の途中であってもいい。長年ジャズの世界にいるとそんなことはごく普通のことで、その日によっていろんなことが起きても面白がるだけで、びっくりはしなくなる。でも曲によってはある程度のきまった解釈が固定されているものもある。やはりテンポも拍子もリズムの形も合う合わないがあるからだ。この「Stars Fell On Alabama」もだいたい決まっているといえば決まっている。ちょっとテンポのあるバラードフィーリングだ。で、実際に演奏した場合何コーラスか経過すると場面転換が必要になってくる。ダブルテンポのフィーリングが欲しくなってくる。モダンジャズの常道といえばそれまでだが、どこでどういう風に移行するかという判断にはやはり経験とジャズのテクニックが要る。ピアノのソロの場面でそれをやろうとすると、必然的にベースとドラムのピアノトリオでのことになる。ピアノからしかけるのか、ベースからかドラムか?正解はないけど、やはりお互いのコミュニケーションが不可欠だ。かけだしの頃はそのコツがなかなか掴めない。もうかなり前の話で、年号をいうのもちょっと恥ずかしいけど、新宿にあった「タロー」というジャズクラブでの大みそかのセッションでのことだ。その日はあちこちでライブやコンサートがあって、夜中になって「タロー」にミュージシャンが集ってきた。ボクはその日タローでピアノの前に座っていた。何人かタローに来た先輩のミュージシャンの中に菅野邦彦さんがいた。その日は大みそかということもあって夜中になると半分パーティーみたいになっていて、オーナーの秋山太郎さんが、すしをごちそうしてくれて、みんなでつまんでいた。セットが始まる時間になり僕が何曲か弾いたあと菅野さんが弾くことになった。僕はピアノの後ろで見ていた。その時ドラムとベースとのコミュニケーションの取り方、リードの仕方、タイミングの取り方、ずっと分からなかった「コツ」を菅野さんは自分のプレイで明確に示してくれたのだ。菅野さんが数曲弾いたあと気分を高揚させてまたピアノの前にすわった。鍵盤は菅野さんが指にくっつけてきた握りずしの米粒でベチョベチョだった。でも今でも菅野さんには本当に感謝している。
1934年、FrankPerkinsの作品、歌詞はMitchellParish。その同じ年1934年にGuyLombardoオーケストラの演奏と歌で録音されすぐにDeccaレコードから発売されている。最初世に出たのはこういう経緯だが、あっという間にジャズスタンダードとして認められ100人を超えるミュージシャンやヴォーカリストがその後レコーディングしている。形式はゆるぎないA-A-B-A。最初の小節の半音で行き来する8分音符がその次はオクターブ上に、次は5度下にという認識しやすいメロディーだ。旋律のインパクトの与え方はいろいろあるが、所詮音の数はかぎられている。人間が認識できる適当な長さもある。そういうスタンスで曲作りを始めるひとも多い。こういう観点に限って言うとやはりアイデアは出尽くしている。それもはるか昔に・・・。何年前か?と言われるとちょっと困るけど・・・。それでも新しい曲、新しい音楽は世界中で生まれ続け発表され続けている。その根本的な理由は音楽(多声部音楽)の本質は「構造」にあるからだ。調性のあるなしは全く関係ない。インプロヴィゼーションも同じだ。「音楽構造」の種類に限界はない。自分のアドリブにちょっとした限界を感じたりマンネリ感が生まれたりすることはあるけど、それは向上心の裏返しであって、またすぐジャズインプロヴィゼーションのスリルと面白さに感動する時がくる。それがジャズミュージシャンの心境だ。部分的にここのメロディーがよかったとかハーモニーがよかったとかはあるけど、それも構造美という音楽の大きな価値観があってのことなのだ。
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