ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

The Essential Herbie Hancock Ⅱ

2007-10-29 01:33:17 | Weblog
まず1曲目の「Watermelon Man」、この曲がハービーの初リーダーアルバム「Takin'Off」に録音されたのは、'62年だ。モンゴサンタマリア楽団でこの曲がアレンジされてヒットしたのは、このハービー自身の録音よりも先らしい。そのいきさつには、当時のハービーの世話役というか、ハービーの才能を買って雇っていたトランペットのドナルドバードがからんでいるらしいけど、古いことだしよく分からない。とにかくドナルドバードに雇ってもらったのがきっかけで、ブルーノートで録音できることになったのは確かだ。驚くべきはその待遇というかブルーノート側の扱いだ。ギャラが高いとかそういうことじゃない。アルバムが全曲オリジナルなんだ。これは当時としては大変なことで、普通は何曲かは人の曲いわゆるスタンダード曲を入れるものだ。それだけ作曲を含めた才能を評価されていたということだ。こんなことができるのは、その頃ピアニストではセロニアスモンクかホレスシルヴァーぐらいのもんだ。そしてデヴューアルバムで見事に成功し、40年以上経った現在でもこのアルバムは世界中で売られている。「Watermelon Man」の構造自体はトラディショナルなブルースコードのドミナントの部分を倍に引き伸ばしてあるだけ、メロディーはスイカ売りの声からヒントを得たとか言われているけど真偽のほどは分からない。要するに後になってみるとコロンブスの卵みたいなところがあるんだ。なあんだと思われるかも知れないけど、作曲というのはこういうことがよくあるもんなんだ。少年時代のハービーがどんなことに興味を持ちどんな音楽の勉強をしたのかは分からない。でもジャズという音楽をかなり客観的に捉えるというか、捉えられる能力を持っていたんだと思う。だからトラディショナルなものに今までジャズの世界になかったフィーリングを加えることができ、それをドナルドバードやマイルスディヴィスが評価したんだろう。マイルスやロンカーターも言っていたことだけど、ハービーはとにかくスポンジのように新しい音楽をすぐ吸収してしまうらしい。そうでないとこの年齢、このキャリアでこんな音楽は作れない。ううん・・才能という言葉で結論づけるしかないのかなあ・・・。

The Essential Herbie Hancock

2007-10-26 02:02:31 | Weblog
このアルバムは文字通りハービーハンコックの長いミュージシャン生活の中の代表作を集めたコンピレーションアルバムだ。'06年のリリースだ。確かブルーノートに似たような企画のアルバムが存在したけど、それはブルーノート時代の録音に限られていて、それに対してこのアルバムは販売会社が複数にわたっている。版権はどうなっているんだろうか?でもそういう法律上のことはもちろんちゃんとクリアーしてハンコックの半生をたどっているということがこのアルバムの「売り」なんだろう。まあそんな業界の裏をさぐるみたいなことはどうでもいい。まずはハービーの偉大な足跡を讃えよう。今世界中で活動しているジャズピアニストでハービーハンコックの影響を受けていない人は多分いないだろう。まあいろんな形の影響があるけど・・・。ボクが最初にハービーを聞いたのはソニーロリンズとのセッションのテイクだ。'64年の録音だと思う。すごく魅力を感じた。気になって一発で名前を覚えた。その後まわりのプロのピアニスト達があまりにもハービーの名前を連呼するのでちょっと引いてしまって、距離をおくようになった。だから彼の音楽を一応理解してるつもりではあるけど、本当にのめり込んで研究したミュージシャンのような評価はできないと思う。まあ一歩引いたところから話してみよう。このアルバムの最初の曲はもちろん「Watermelon Man」だ。'62年の録音だからなんと45年前だ。ブルーノートでの初リーダー作に収録されている。先日'07年のハービーをコンサートで聞いた。素晴らしかった。一番感じるのは、その驚くべき精神と肉体の「健全さ」だ。音楽のフィーリングの変化とか方向性のこととか、重箱の隅をつつくようなことは言いたくない。とにかく半世紀近くにわたって健全に活動し続けるというのは驚異としかいいようがない。ボクは'69年頃からリアルタイムでハービーの音楽に接してきた。このアルバムの曲目を見ると思い出が甦ってくる。まあでも肝心なマイルスバンドでのパフォーマンスが抜けてはいるけど・・。順番にちょっとずつ曲を辿って行こう。聞きなおしてみるとまた何か新しい発見があるかもしれない。ということで次から音楽の内容も含めて書いていきたいと思います。

Pres And Teddy Ⅱ

2007-10-21 23:44:54 | Weblog
このアルバムを聞いていると、音楽の新しさというのは何なのか?と、考えてしまう。音楽を演奏する時の心構えはとにかく「Now's The Time」だ。これはジャンルに関係ない。ルービンシュタインもショパンを弾く学生に同じことを説いていた。年代によって音楽のスタイルは確かに変化してきた。じゃあ古いスタイルの音楽が古臭く聞こえ、今のスタイルの音楽が新鮮に聞こえるかといったらそうともいえない。やはり新鮮でいいサウンドを出すためには、それなりの腕と心構えが必要だ。ボクは世代から言ってもスウィングスタイルの音楽はあまりなじみがない。でも勉強だと思って、拒否せずにある程度の研究はした。そういうスタイルの先輩ミュージシャンとも仕事してきた。でもあまり感じるところがなくて、好きにはなれなかった。20数年前だけどアメリカ人の友達に紹介してもらった年配のピアニストは完全ないわゆるスウィングスタイルのピアニストだった。もう年齢は70歳を超えていたと思う。日本に数ヶ月いただけだったけど、その時六本木のクラブでやっていて最初聞きに行って素晴らしいと思い、その後何度も行った。聞きなれた古いナンバーを古いスタイルでやるんだけど、なぜかいいんだ。それまでに聞いたことのない感じだった。とにかくピアノから本物のジャズの香りがプーンとする。リズムがシャープでよどまない。もしかけだしの頃この人のプレイを聞いていたら、こういうスタイルを追っかけたかもしれない。スウィングスタイルというものが理解できたような気がした。音楽のスタイルというのは、深い理由があって成り立っているんだ。それを分からないでマネしてもだめだ。そして演奏する時のこころ構えは「Now's The Time」。音楽家は今は今のスタイルで今感じる音楽をやるしかないけど、守るべきはその演奏に臨む心構えだけで、スタイルという「結果」は他人の評価に任せておけばいいんだ。この意見にはプレスもきっと賛同してくれると思う。

Pres And Teddy

2007-10-19 17:33:18 | Weblog
レスターヤングが元気だったのは'30年代から'40年代で、このアルバムが録音された'56年というと亡くなる3年前、体は元気ではなかったようだ。でもこの頃は録音技術も良くなって、ヤングのサックスサウンドの良さがよく伝わるし、いいサイドメンに恵まれて気持ち良さそうに吹いている。いいアルバムだ。レスターヤングという人は、プレス(大統領)というニックネームが示すようにミュージシャンの間では最高の才能の持ち主として尊敬されていた。若いチャーリーパーカーがプレスのレコードを研究して一皮むけたというのは有名な話だ。バードはモダンジャズの基礎を作り世に広めたけど、プレスはいわばその基礎のもうひとつ基礎を作った人だ。このアルバムでピアノを弾いているテディウィルソンはベニーグッドマンのバンドにいた人で、スタイルはいわゆるスウィングスタイルのピアノだ。ドラムのパパジョーはカウントベイシーバンドの重鎮でジャズ界のボスだ。実際に録音されたのはすでにバードが死んだ後ではあるけど、このアルバムはいわばモダンジャズが生まれる下地を作った巨人の集まりでもあるんだ。よく聴くとモダンジャズという音楽が簡単にふって湧いたように生まれたものではないことがよく分かる。プレスの音使いは本当に「モダン」そのものだ。録音は確かに古いけど、音楽は決して古臭くない。

The Joy Of Flyng Ⅲ

2007-10-17 02:39:49 | Weblog
このアルバムの音楽は確かにばらけている。ここまでばらけると一曲一曲がよくても、あまり評価されなくなる。じゃあアルバム一枚を通してかたくなに同じサウンドでいいかというとそうでもない。やはりある程度いろんなサウンドが聞こえてこないとやはり飽きてしまう。一枚を通して何か音楽の芯になるものがあって、ある程度バラエティーに富んでいる、そういうバランスが必要なんだ。でもこの考えも所詮は一枚のアルバムを商品として世に出すという前提の話だ。ミュージシャンという生身の人間の音楽観というのはそんなに単純じゃあない。人生の大半の何十年という年月をひとつの音楽だけをやって過せるものではない。プロである以上相手は音楽市場だ。めまぐるしく変わっていく音楽に気をくばりながら自分を守っていかなければいけない。でもこれは音楽家だけがやっていることではない。どんな職業のひともそうやって生きていくわけだ。そういう前提というかまあこれは多分にミュージシャンに肩入れした意見だけど、そう思って音楽を聴けばまた感じ方も変わってくる。魅力のある音楽、やりたい音楽はいっぱいあるから長くやってるといろいろ手を出したくなる。そうやって気分を変えるのも楽しいものだ。でも反面どんなに変えようと思っても変わらない部分もある。それはもって生まれたDNAなんだろう。自分のそういう部分も受け入れなければいけない。これは生きて行く上での宿命だ。変わるものと変わらないもの、こういう葛藤を経験するうち音楽に対して寛容になってくるんだ。問題は音楽の種類じゃない。デュークエリントンが言うように、良いか悪いかだ。それを見抜くのが本当の審美眼だと思う。