ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Trio In Tokyo Ⅱ

2007-02-28 03:31:08 | Weblog
ペトルチアーニのプレイについて、音色のことやダイナミックスのこと、それに彼の演奏の背景にあるものなどは、ボクの意見を書くことはできる。でもジャズを聴く人が一番注目するインプロヴィゼーションについては、評論する気になれない。このレベルのインプロヴィゼーションのことをああだこうだ言うのはバカげている。まあその日によって多少の出来不出来はある。でもそんなことは全く気にならない。彼のインプロヴィゼーションに足りないものはない。全てが満たされた芸術だ。常人のたどり着けるレベルではない。即興演奏の筋道や環境を整える方法を作り出してそれを世界中に広めたのがジャズという音楽の最大の功績だ。そしてインプロヴィゼーションを競い合うという形でジャズビジネスは成り立ってきた。でもそれは経済社会が作り出した一種のゲームで、実際のミュージシャンの感覚とは程遠い。最初の頃はそのゲームに操られたり、その気になって遊んでみたりするけど、プロをずっとやってるとそんなものは飽きてくる。インプロヴィゼーションの本質が分かって来るんだ。闘う相手は自分だけだ。何事も挑戦だ。でも自分に対して厳しいだけでも身がもたない。甘いようだけど寛容なところも必要なんだ。これは実際に音楽をやった人なら分かると思う。どうにもならないことも世の中にはある。自分を励まして許してそれで音楽は「音楽らしく」なる。

Trio In Tokyo

2007-02-26 04:53:24 | Weblog
ペトルチアーニの最後ともいえるユニットの東京でのライブ盤だ。ベースはアンソニージャクソン、ドラムはスティーヴガッドだ。何日間録音したのかは分からないけど、このうちの一日はボクも聴きに行っていた。曲は基本的には全部ペトルチアーニのオリジナル、アンコール曲はボクが行った夜はエリントンナンバーを演っていた。このアルバムに関して言えば、演奏の内容はこのバンドとしては普通より下、録音状態は悪い。でもこのバンドをライブで録音するのは至難の業だと思う。ペトルチアーニのピアノはダイナミックレンジが広いし、ジャクソンは極端に音色を大事にする人だ。おまけにエレクトリックベースだからラインから録音せざるを得ない。アンプから出る音の重量感は出ない。ガッドといえば並のドラマーではない。サウンドというか和音に近いものを持ったドラマーだ。これだけ録音するためのネガティヴな条件が揃ったら、エンジニアやレコード会社を責めるわけにはいかない。むしろペトルチアーニの貴重な演奏を残してくれたことを感謝しないといけない。そう思って聴くと感想も変わってくる。でもあの臨場感を伝えられないのは残念だ。一番印象に残ったのはアンソニージャクソンのベースだ。ひとつの音に対する執念というか、音色音量、そしてビートに対して払う細心の注意は並ではない。文字通り一拍一拍汗を流していた。ペトルチアーニのピアノは「吹っ切れて」いた。そしてそのペトルチアーニのピアノを聴くジャクソンとガッドの表情は真剣そのものだった。妥協の余地はなかった。その張り詰めた空気を感じて自分の音楽にたいする「ゆるさ」を痛感した。このライブを聴いた晩はよく眠れなかった。

Power Of Three Ⅲ

2007-02-25 05:51:28 | Weblog
このアルバムはコンサートのライブ盤で録音方法はかなりラフだ。でも臨場感という意味でスタジオ録音よりいい場面もある。よく言われることだけど、スタジオで整った演奏をするのがいいのか、多少ラフでもライブを録ったほうがいいのか?聞き手のニーズにもよるし、ミュージシャンのある種のこだわりにもよる。正解はない。どんなに録音技術がよくなっても、楽器の音を録るというのは難しい。エンジニアは何時もその問題に頭を悩ませている。実際の生の音と録音された音とはかなりのギャップがある。それもプレーヤーによって随分差があるんだ。ペトルチアーニの場合は実際の生で聴く音は録音されたものより数十倍素晴らしい。これがこの人の大きな特徴だ。ピアノの音、音量も含めてだけど、CDはペトルチアーニのピアノの音を正確に伝えていない。これは誰の責任でもない。テクノロジーの限界なんだ。クラシックも含めてピアニストの音はひとりひとり全部違う。それがいいんだ。はっきり言うとペトルチアーニのピアノの音は録音した時にその素晴らしさを聞き手に伝えづらい音なんだ。ここでクラシックの音楽評論みたいに、いろいろな比喩表現や形容詞を使って彼の音を説明したいとは思わない。とにかく間違いなく「特別な」音だ。数少ない特別な人しか出せない「特別な」音だ。これがボクが彼のピアノの音から受ける印象の全てだ。

Power Of Three Ⅱ

2007-02-24 02:09:55 | Weblog
ペトルチアーニのアイドルは間違いなくビルエヴァンスだ。でもエロールガーナーの匂いもする。本人もインタヴューでそんなことを言っていた。このアルバムで競演してるジムホールはビルエヴァンスのある意味での相方ともいえるぐらいの人だから、ペトルチアーニが望むのはもっともだ。ウェインショーターはどういう経緯で参加したんだろう?まあこの'86年というとウェザーリポートが解散した頃だ。最後のアルバムの裏面にはジョーとウェインが握手してる写真が載っている。ウェザーリポート以外の仕事はほとんどやってこなかったウェインショーターだけど、解き放たれたのかもしれない。ウェインらしい、いいプレイだ。この中の「Morning Blues」というペトルチアーニの曲、これがいいんだ。作曲の才能もすごい。この頃まだ彼は20代前半とこの前書いたけど、彼に限っては年齢は全く関係ない。明らかに他の人と「芸術年齢」が違う。医学的なことは説明できないけど、この時点でもう余命がそんなにないことは、分かっていた。特に最後の1、2年は何かにとりつかれたように仕事をしまくっていた。どういう心境だったんだろうか?彼は俗にいう長生きはできなかったけど、その中身の濃さは尋常ではない。'97年に来日した時は、いずれ書こうと思うけど彼の最後のユニットで素晴らしい演奏をしてくれた。そのとき雑誌のインタヴューを目にしたんだけど、その中でペトルチアーニは、日本は先進国の中で身体障害者に対する、社会のインフラがすごく立ち遅れているとキツイことを言っていた。これはまさに体感だ。日本の政府の人たちにこの言葉は届いたんだろうか?

Power Of Three

2007-02-22 03:34:02 | Weblog
これはミシェルペトルチアーニのアルバムです。'86年のモントリュージャズフェスティバルのライブ盤だ。ジムホールとウェインショーターとのセッションといっていいと思う。ベースはいない。こういうバンド編成になった経緯はよくわからない。ただこの時ペトルチアーニはまだ20代前半で、まあいろんな彼独特の状況があって周りにかつがれてるところもあるけど、それにしても、ジムホールやショーターを相手に立派な演奏だ。まあただ者ではない。それは万人の認めるところだ。このアルバムのことはいずれ書くとして、ペトルチアーニについての思い出を・・・。'83年ごろヨーロッパからアメリカに行ったすごいピアニストがいるということは、知っていた。彼の身体的なことも雑誌に載っていた。それにまだ20歳になったばかりだと。その後、レコード会社の人から彼のアルバムのサンプル盤をもらった。それは誰かに貸してもどってこないから、今はない。'86年の秋に彼は日本に来た。新宿のピットインでやることになったので、聴きに行った。彼が登場すると店の中が異様なムードに包まれた。はっきりとした数字は知らないけど、身長は100センチぐらいに見えた。演奏が始まるとそのピアノの美しさに観客がなんかこわばっているように感じた。レパートリーはビルエバンスの曲、そして彼の曲が主だった。一流の音だ。あくる日、六本木で仕事してたら、ペトルチアーニのバンドのエリオットジグモンドさんが、その日ボクが一緒にやってたドラマーの友人だったのでボクが演奏してるところへ訪ねてきたのだ。休憩時間に紹介してもらった。すばらしいジェントルマンだ。「昨日、あなたたちの演奏を聴きに行きました。」と言ったら、ペトルチアーニのことをいろいろ話してくれた。その口からとび出したのは、全てミシェルペトルチアーニに対する賛辞だった。彼のジャズマンとしての感性、特に柔軟性を褒めちぎっていた。身内にこれだけの評価をされるというのは、本物の証拠だ。彼はその後十数年しか生きられなかったし、ボクもほんとの若かった頃みたいに彼のピアノを研究したわけではないけど、ずっとファンだった。ただそれだけだ。まあもうちょっと思いついたことを書いてみます。