ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Sweet Georgia Brown Ⅱ

2013-11-30 01:53:40 | Weblog
ドミナント7thのコードの解釈をどうするかも含めて4小節同じコードが続くということは、ベースラインにかなりの工夫が必要になってくる。自由といえば自由、でもベーシストの創造力を試される場所でもある。あまりに半音階的になるとコードがわかりにくくなるし、分散和音みたいなのばかりも弾いてられない。どうしてもトナリティーを感じさせるスケールが主体になってくる。ミクソリディアンかリディアン7thが中心ということだ。それでも実際はベースラインによっていろんなコードが発生する。いわゆる即興的なコード、理屈にあわないコードだ。そしてそれはソロ奏者とのコミュニケーションによってその時にしか現れない一度きりの音楽になる。それが面白いのだ。手の内を知りつくした同士だと全体的にはいつも似たようなサウンドになることはあるけど、やってるミュージシャンの感触というのは一回一回全部違う。ある一定の規則を守っても偶発的なものを誘い出してくれる要素がこの曲にはある。このことからもわかるようにジャズの演奏の時の指針とするコードネームというのは2拍であったり1小節、2小節とかの単位で書かれているけど、かなりおおまかなもので、それは即興演奏を前提とするから意味があるのだ。メロディーに則して細かくヴォイシングするのは必要なことだけど、インプロヴィゼーションをやる時とは区別しなければならない。コードネームをたよりに演奏をすることのメリット、即興演奏の意義を踏まえて臨まないと音楽に自由がなくなるし、また逆にあまりにコードがおおまかすぎると適度の縛りがなくなって音楽の柱を失ってしまうこともある。

Sweet Georgia Brown

2013-11-28 21:47:31 | Weblog
1925年、Ben Bernieと Maceo Pinkardの作品。無数の録音が残されているスタンダード曲だ。もちろん歌詞もあってヴォーカルアルバムにもたくさん収録されているが、Cab Callowayのスキャットによる録音もあるようにインプロヴィゼーションに適した素材なのだ。コード進行を利用したマイルスやモンクのいわゆる変奏曲もある。演奏されているテンポもいろいろだが、おおむねスウィンギーなミディアムテンポかそれより早いテンポだ。バドパウエルのバカッ早いのもある。もちろん驚愕の名演奏だ。形式は32小節、A-B-A-Cという感じかな?Ⅵ7-Ⅱ7-Ⅴ7とそれぞれ4小節、これが独特の世界感。ドミナント7thのコードのいわば「あいまいさ」をうまく利用している。スタンダード曲になり得る条件のひとつである、懐の広さがあるのだ。7thのコードのあいまいさというのは具体的にいえば、本来のドミナントとしての役割とジャズ独特のブルースフィーリングの使い分けだ。ブルーノートを12音の中で決着させようとするとそういう方法を取らざるを得ない。段階的に区切られた音程で音楽をやる以上、他に手段はない。でもそれが機能和声の仕組みも兼ね備えるというメリットもある。長い長い年月をかけて人類が手に入れた12音平均率というシステム、そしてその間尺に合わないブルースという音楽。でもほんの短い時間でそれとアカデミズムを融合させてしまった。何がすごいのだろう?12音システム?人間の妥協力?

Jazz on a Summer's Day
Snapper UK
Snapper UK

A Child Is Born Ⅳ

2013-11-27 06:08:27 | Weblog
楽譜を見れば分かるように、音楽は縦と横の目盛でできている。縦は音程、横は時間いわゆるリズムだ。音程は今の音楽はほとんど12個の階段状の周波数で区切られていて、その目盛で推移していく。だが横の時間軸はそうはいかない。個人個人の感覚に常にずれがあって、バンドで一緒にやっていわゆるリズムが合うという状態になるにはかなりのハードルがある。「正確なリズム」という定義がじつははっきりしないのだ。あまり速くなったり遅くなったりするのはもちろんよくないけど、それはトレーニングが足りないからでジャズの演奏でリズムが合うという状態はある一定のレベルに達したミュージシャン同士で通じあうコミュニケーションが成立している状態のことだ。その会話を理解するためには時間の目盛を細かくするしかない。楽譜に書かれているのはいわば四捨五入された目盛で実際の音符はかなり「ずれて」いる、というか「ずらして」いるのだ。またそうしないと音楽が歌わないものになってしまう。リズムセクションのビートに対してメロディーがわずかにずれる状態を楽しめないと音楽が成熟しない。もちろんこれは曲想、テンポ、場面で違ってくる。なんでもずらせばいいものではない。エロールガーナーのプレイは「behind the beat」と言われている。左手のビートに対して、右手のメロディーラインが遅れてくるのだ。これは彼が良いジャズを感性で捉えてそれを目指して訓練して身に付けた感覚だ。one&onlyのミュージシャンを引き合いにだすのも極端かもしれないが、この傾向は音楽は常にある。でもこの「ずれ」を表現するのは一朝一夕にはできない。そしてこの「ずれ」を楽しめるようにならないとリズムが合った状態の演奏は望めない。

A Child Is Born Ⅲ

2013-11-26 03:14:17 | Weblog
和声はよく色彩に例えられる。即興的に生まれた理不尽なコード進行というのは、いわばいろんな色の絵の具をぶっちゃけて偶然できる色みたいなもので、一度きりのものだ。でもそれが、レギュラーでバンドを組んでずっと一緒にやっていると、同じ場所でいつもそのサウンドが起きたりする。それはお互いのちょっとした癖が重なりあったものなんだろうけど、それがそとから聞くとそのバンドの独特のサウンドだったりするのだ。じっくり考えたアレンジではそういう面白さは出てこない。もちろんじっくり考えたサウンドもないと音楽の軸がなくなってしまう。それはまた別問題だ。この抽象的な和声というのは、コード進行を理解してそれぞれが自分の解釈で音楽を作っていくというジャズの演奏方法が起因している。ただしこれは綱渡りをしているようなもので、大失敗することもある。それを許し合うというのがジャズの演奏の大前提でもあるのだ。ミュージシャン同士の出会いとうのは、実際の演奏、いわゆる「GIG」であることがほとんどだ。初めて一緒にやってフィーリングがぴったりと感じることもまれにある。でもそれは初めてだからお互いに探り合って、譲り合っているからで、本当の何かが生まれるのはお互いに音楽のアプローチが分かってきてちょっとそれに飽きてきて、言い合って喧嘩もするという関係になってからのことだ。バンドをやっていくのは楽じゃない。

A Child Is Born Ⅱ

2013-11-25 00:46:03 | Weblog
この曲はアカデミックなコード進行に支えられていて、それに従えばそれだけで美しい演奏ができる。楽曲を楽しむ、それはそれでいいのだけれども、ジャズのもうひとつの楽しみである即興的な和声を楽しむことはちょっと難しい。やはり曲によるのだ。がむしゃらにその「ヒップさ」ばかり求めるのもどうかとは思うけど、何が起きるかわからないスリルがジャズの大きな要素でもあるから常にそれを想定しておく必要はある。即興的な和声というのは、いわば進み方に根拠のない理不尽なものになる可能性が高い。で、それを楽しむということだ。そのためには自由なベースラインの動きが不可欠になってくる。つまりベーシストがかなりの主導権を握っているということだ。極端なことを言えば、ピアノが規則に従って理路整然としたコードを弾いていても、ベースがそれに従わずトリッキーな動きをすれば全体としては不思議なサウンドに聞こえてしまう。こういう出来事もジャズの楽しみのひとつだ。でも結局はヒップ、クレイジーも程度問題だ。やりすぎはなんでも無理がある。それに深く考えればヒップ、クレイジーというジャズの精神はそんな表面的なことではなくて、現代の人たちが音楽の中に求めるいわば哲学なのだ。ヒップにしなければ、と思って自分にプレッシャーをかけた時点で音楽はスクエアになってしまう。アカデミックな曲を心から楽しんでやっている演奏は最高にヒップな時がある。演奏の出来不出来はその時の精神状態で大きく左右されてしまうものなのだ。