ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Joy Spring Ⅱ

2011-06-21 02:35:00 | Weblog
今、音楽作りの基本になっている和声のルールは突如だれかの手によって発見されたものではない。数百年にわたる数々のミュージシャンの感性と研究によって徐々に組み立てられてきたものだ。和声学と呼べるものの最初の文献はJ.ツァルリーノが書いた1558年のものらしい。和音の進行になんらかのルールを設定することが音楽の重要課題だということは、音楽家の共通認識だったことは間違いない。その後いろんな人が修正したり加えたり、中には画期的なものも現れたりして現在に至っているが、内容に違いはあっても、音楽を和声のルールによって律するという理念は変わらない。ここで考えてみたいのは何かを律するということはその何かに逆に律せられるということでもあるということだ。その何かとはなにか?「調性」だ。和声のルールは調性を管理しようとしてその調性にしばられて身動きできないときがある。そして音楽自体も窮屈になる。和音というのは複数の音程の集合体でその和音が何らかのルールのもとに連なって和声進行が成り立つ。その中で12個の音にそれぞれ違った価値を与え中心になる音を決める。こうして音楽はいわば人間の「管理下」に置かれるわけだ。しかしそれはその音楽が調性という得体の知れないものに支配されたことを意味する。インプロヴィゼーションは、即興といういわばもっとも感覚的な表現方法の中でこの音楽のルールとどう闘っていけばいいのだろう?クリフォードブラウンは若くしてジャズマスターになったけどこの質問にはどう答えてくれるだろう?彼の演奏が答えか?


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