音の認識力はひとそれぞれで絶対的なものはない。ただ幼いころから音楽に接していたり音楽教育を受けていたりすると今の音楽で使っている12音、つまり階段状にピッチを刻んだ音の組織が記憶されて「音楽上」の音の認識力は高まる。これは記憶力や習慣に起因するものだ。絶対音感といわれるものもこれのひとつだ。そして絶対音感を持つと、共感覚といわれる「音」を「色」に置き換えて認識する感覚を同時に身につけることがある。医学的にはよく知られていて、何人にひとりとかの確率も数字ででている。この感覚は音ひとつずつに色が見えるのでコードが聞こえると色が混ざって額の前のスクリーンに映り、それがいろいろ変化するので、抽象画の連続を見ているようでとても美しい。で、その美しさが音楽の良しあしを判断する基準になってしまう。でもいつもいつもというわけではない。感覚を研ぎ澄ませて集中して音楽を聴いたり演奏したりしているときだけだ。だから特定の曲はある一定の色彩の画像として認識してしまう。これが曲者だ。キーが変わるとこれが根底から崩れてしまう。考えて移調してちゃんと弾けるように練習してそして自分の脳ミソに納得させる。まあ色は変わってもいい曲に変わりはない。実際の演奏活動の中では日々これの繰り返しだ。絶対音感と言ってもいろんな「程度」がある。あまりにもしっかりした絶対音感を備えていると不便なことのほうが多い。脳ミソの融通がきかない。音楽家に「音」に対する高い認識力を求める理由はわかるが、もっと大事なのは「音楽」に対する認識力なのだ。
和声の緊張度というのはもちろん、そのときに鳴っているコードの音構成に由来する。でも楽曲を理解するという意味では、基本のコード進行つまり4声の積み重ねからその緩急を読み解かなくてはいけない。その基本構造を理解したうえでその緩急をふくらませたりあるいはあえて裏をかいたりして音楽を「面白く」する、それがジャズのヴォイシングであるといえる。コードの緩急の原因は含まれている音程だ。長短2度7度がどれだけあるか?トライトーンが含まれているか?チェックすべき点ははっきりしている。でも問題は音が12個しかないこと、そしてジャズのヴォイシングは6個7個の音をしょっちゅう押さえるということなのだ。和声の緊張度というのは前後と相関関係にある。長短2度7度やトライトーンを含んだ和音は単体ではかなりの緊張度を感じるがそれが連続すると「普通」になってしまう。そしてそれが落ち着いて聞こえてしまう。人間の耳と脳の不思議なところだ。ジャズサウンドをひとくくりでいうことはできないが、この全体的な緊張度がそれを指していることがおおい。ジャズ演奏のためのマニュアルはアメリカ発信のもので、理解しやすくジャズサウンドの入り口としては素晴らしい明快さだと思う。難しいのはそのあとだ。その場の状況に応じて緊張度を操作できる即興的な技術がないと演奏が思うようにならない。失敗を恐れないでやるしかないと思う。そのうち見つかる。コードを思うようにあやつるというのはホント難しい。
この曲は12小節でできているがブルースではない。ブルースの和声をもじっているかといえばそうでもない。でも12小節という数がジャズミュージシャンにはブルースを連想させる。メロディーを検証してみよう。すぐに分かるのがはっきりとした2小節ごとの2度進行だ。最初だけは長2度、あとは半音。順番に下がってきている。旋律の素材としての2度進行が上向音程であるか、下向音程であるかによって緊張と緩和が左右されるのが旋律の原理ではあるが、しばしばこの緊張と緩和は和声進行のそれと相いれない時がある。それはそれで音楽的には意味のあることで、悪いことではない。ただこの曲の場合はその旋律と和声の緊張度の度合いが一致している。だから12小節の間、旋律も和声もみごとに流暢に推移してそれで終わる。要するにこの「Solar」はモダンジャズのスタンダードナンバーでもあるが「穏やかな歌曲」でもあるのだ。この点がやはりブルースとは一線を画している。2度進行が工夫されてちりばめられた楽曲には並行して現れる2度進行もある。それも複数。作曲家にとって旋律は音楽の生命線だから、やはり細心の注意を払って旋律作りをする。従って2度進行を何種類か並行させるのがむしろ普通といってもいい。でもこの曲は一種類、分かりやすい。インプロヴィゼーションの素材としても一流であることは、1954年に発表されて以降、無数のミュージシャンがライブ演奏や録音に使用していることで証明されている。