イントロダクションやエンディングは楽曲を実際に演奏する時、ほとんどの場合で必要とされる。で、ほとんどピアニストにそのアイデアを要求される。曲の内容をよく知らなかったりイントロやエンディングを作る考え方やパターンの引き出しが少ないうちは本当に困る。困りまくる。コンサートやレコーディングやじっくり周りと相談できるときは冷静に組み立てていったりもできるけど、ステージでいきなり数秒の間に結果を出さなければいけないことも多い。本当は音楽的にはそんなことはよくない。でもジャズのギグの現場は実際にはそうなのだ。若い時は気が気でない。こんなことは無理だと思うこともある。でも人間は慣れる。いつの間にかこなせるようになる。追いつめられて冷や汗たらたらで考える、いわば火事場の馬鹿力の積み重ねなのだ。まあこれが人間の「職業」なんだろう。でもこの「how my heart sings」をいきなり出されてイントロとエンディングを要求されたらすごく困ると思う。とくにエンディング。この曲はやはりじっくり考えた特別なものが必要だ。そうでないとこの曲のイメージが引き出せない。楽曲のイントロ、エンディングはやはりマニュアルにはまらず曲それぞれに「作曲する」という音楽的な信念が必要だと思う。
楽曲の場面転換というのは、もちろん作曲家が曲作りの段階で考えて曲の中に反映されている。その曲のインプロヴィゼーションをやる時はその流れでやれば自然にいろんな場面が楽しめるようにはなっている。でもライブでやる実際のインプロヴィゼーションは時間的に長い。ジャズの楽しみは、個人の十分な時間のアドリブを聴く演るというのが大きな要素だ。一曲を複数コーラス、多い時は10に近い数をやったりもする。だからもとの曲の流れだけに頼ってられないのだ。アルバムになっているものは、あくまでも商品だ。全般的に演奏は短くする。ソロの長さも前もって決めたりバッキングの形も合意のもとに演奏することが多い。でもライブは違う。曲の流れを感じつつ、そのうえにインプロヴィゼーションの中に段落を即興的に構成して自分のソロパートを組み立てていく。最高の技術と感性が必要だ。うまくいったりいかなかったり・・・。これが面白い。ジャズクラブでのライブ録音のアルバムでこのソロを組み立てていくジャズ独特の面白さが記録されているものもある。もちろん超のつく一流のジャズミュージシャンにしかできないことだ。即興で音楽を作るというのはこういうことなのだ。アドリブをやるのにはいろんなハードルが待ち構えている。中でも自分のソロの中にいろんな場面を作りだして聴いてるひとを飽きさせないというのは一番高いハードルかもしれない。
楽曲の場面転換はいろんな手段を使って行われる。この曲の場合はトナリティーを変えることと拍子を変えること。かなり明確だ。場面転換というのは、それがなければ音楽が絶対に成り立たないというものではないけど、現実には現在の音楽でまったくの一種類の場面だけの音楽というのはほとんどありえないだろう。場面を変えるというのは曲を考えていくうえで、グランドデザインを組み立てる段階である程度決めなければ楽曲が構成できない。いろんな変化の仕方があってしかるべきだ。で、問題はその時間的な長さの割合なのだ。これが実はとても難しい。この「How My Heart Sings」の場合、最初のトナリティーで16小節、そして長3度上がって4小節、そしてそのあと4拍子になるわけだけども、この長3度上の部分は2倍に伸ばすアイデアも最初の段階ではあったかもしれない。でも短く4小節にした。これは作曲者のセンスだ。時間的な長さというのは人間は割合で感じとる。その前の16に対して4だけで次に行くのがすっきりしてていいのだ。ジャズの即興演奏はいろんなことを教えてくれる。なかでもこのいろんな曲の場面の適切な長さを体に叩き込んでくれることは一番重要なことといってもいいと思う。イントロやエンディングを即興で作りながら適切な長さを目指して演奏をやっていると音楽が時間の芸術だということが身にしみて感じられてくる。