この曲の最初の4小節はお決まりのクリシェ(cliche)で始まっている。このクリシェという言葉は直訳すると「型にはまった」というような意味だ。あまりいい感じではない。でもよく考えると機能和声の各声部の動きはいわば「cliche」の連続だ。「お決まり」のサウンドを最初から否定するのは良くない。そのサウンド、コード進行、内声の動きの必然性、必要性をちゃんと理解してから破壊したければ破壊すればいい。clicheの音楽上の一応の定義はコードが変わらない時、というふうになっているが、これは受け取りかたの問題で、内声が半音変化しただけでもコードは変わると言えば変わるし、ベースラインの変化であれば、明確に和声が変わると言ってもいい時がある。それはあまり問題ではない。要するにクリシェという現象を、よくある数種類のパターンだけと思って固定化して捉えるか、もっと幅広くいろんな場面でおこる対旋律の変化と捉えるかという問題だ。音楽構造というのは、想像以上に固定化されていて、「お決まり」のパターンが多い。それは実は即興演奏の場面でも現れる。ピアニストのカンピングのトップノート、ベーシストのウオーキングライン・・。もちろんある限られた場面ではあるが、即興で自由にやってはいるのだが、独特の感性がそうさせてしまうのだ。クリシェがとても自然で美しく感じられる時がある。それは当然のことで、クリシェというのは12個の音の組合せ方を探っているうちに人間が探り当てたいわば宝物なのだ。その時は迷いなく「型にはまった」ものを演奏すべきだ。それがその時のベストのインプロヴィゼーションなのだから。