ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Alone Together Ⅱ

2011-01-27 02:40:53 | Weblog
テンポをあわせるというのは大変だ。1、2、3、4とカウントしても最初からずれることもある。時間の観念というのは個人個人で全然ちがうからしょうがないといえばしょうがない。ジャズの演奏はコンスタントなテンポをキープすることをかなり義務づけられるからリズムセクションはその感覚を身につけるべく必死で訓練する。だからある程度の腕前になってくるとバンドでお互いに相手に合わせながらキープできるようになってくる。実際の演奏はまあこういう感じでやっている。音楽を進めていく速さー「テンポ」というのはたんなる速さではないのだ。いわばミュージシャン同士の息遣いのスピードだ。違った生活をしてきた人たちがいきなりステージで1、2、3、4と言われたってそううまく合わない。でもやっているうちにお互いのその日の調子や感覚が分かりだして合うようになってくる。いきなりピタッと合うという奇跡もたまにはあるけど・・・。相当な腕になってもテンポをあわせるというのは大変なことだ。ましてリズムのニュアンスがピッタリはまって気持ちよく演奏できるためにはやはり絶対的な音楽の「実力」が要る。マグレはない。で、そのテンポやリズムのニュアンスがリズムセクションでピッタリ合って気持ちのいい「バンドのアイドリング状態」を作るのがいいジャズ演奏の必須条件だから困るのだ。これからは逃げられない。インプロヴィゼーションのアイデアも新しい音楽も良いリズムセクションから生まれる。

Alone Together

2011-01-19 23:51:13 | Weblog
これもアーサーシュワルツとハワードディーツの作品、何十年にもわたってジャズミュージシャンによく演奏されてきた曲だ。形式はA-A-B-A'ただしAの部分が14小節だ。数字を聞くと難しそうに思うけど、演ってみたらなんの違和感もない。なんの心配もなく演奏できる。ジャズスタンダードは圧倒的に4の倍数の小節数で構成されている曲が多い。でも本来小節数になんの決まりもない。拍数だってそうだ。ただインプロヴィゼーションの素材として曲を演奏する時の都合で確かに独特の難しさを持っているものもある。でも曲がよければそれをやる。それだけだ。アドリブをやってる時には小節の数なんて数えない。その曲が何小節かなんて知らないで演っている、数えてみないとわからない。これは音楽の楽曲の長さはなんでもいいと言っているのではない。その全く逆だ。音楽は本来「時間」の芸術だ。楽曲の長さ、小節の数、時間的な要素のバランスがその曲の命なのだ。だから全ての曲のその長さには理由がある。始まりも終わりもない宗教的な音楽もこの世には存在するが、音楽に始まりと終わりをハッキリつくりその中で物語を構成するというのがいわば西洋アカデミズムの考えだ。だから音楽の長さにはその中で起こっている音楽的なドラマ、落ち着いたり動いたり、急いだり緩めたりということのバランスをとるという役割があるんだ。

You And The Night And The Music Ⅳ

2011-01-14 00:42:49 | Weblog
スタンダードと呼ばれる曲の資格は世界中のジャズミュージシャンによって与えられる。いわばミュージシャンによる人気投票みたいなものだ。演奏する曲がジャズに適しているか?インプロヴィゼーションの素材になり得るか?それは実際のところ演奏してみないと分からない。ポップな曲や過去の名曲やまた奇をてらったとしか思えない選択をして録音されたアルバムもたくさんある。まあ一度のレコーディングぐらいはなんとかごまかせる。でもたくさんのミュージシャンがいろんなやり方で演奏してみてそれに耐えうるかどうかはある程度の年月を経て分かってくるものだ。スタンダードと呼ばれるためにはいろんな要素が必要でとにかく聞いてるだけではわからない。いい曲だと感激して演奏してみたら全然だめだったり、反対に最初は気がすすまなかったのに演ってるうちにその素材の素晴らしさが分かってくることもある。これがジャズの演奏の不思議なところで、スタンダード曲の意味もこういうところにあるのだろう。そしてそのスタンダード曲を決定するコンクールは過去のジャズアルバムや今録音されようとしているアルバムでももちろん行なわれてはいるけど、それは本当に氷山の一角でほとんどのコンクール現場は毎夜開催される世界中のジャズクラブのステージなんだ。