ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Beatiful Love Ⅲ

2009-07-30 02:44:51 | Weblog
9小節目の最初の音はトニックの9THの音だ。その解釈で間違ってはいない。でもその前の部分からのメロディーの流れをよく見てみるとドミナント7THの5度音が微妙にサスペンドされているようにも感じられる。これは譜面を見る限りサスペンションとは言わないだろう。でもドミナントのコードそのものがサスペンドされているように感じられる時がある。このメロディーラインは実はずいぶん昔からよくみかけられるパターンなのだ。なぜそんなに好まれているのか?なぜここはこの音でなければいけないのか?原因は人間が感じる「サスペンション」という声部間の時間差のスリルにある。音楽が進んでいく上で同時に起きる縦関係の和声のスリル、それは声部を時間的に早めたり遅くしたりした結果起きるケースが非常に多いのだ。音楽が時間の芸術であるという証だ。全ての声部が書かれている譜面だとじっくり読み解いたらよくわかるけど、ジャズの簡単な譜面のように、メロディーとコードネームだけでそれを理解するのは大変だ。なんといってもキャリアが要る。でもそれが理解できるようになると、インプロヴィゼーションの横のつながりに対する認識が変わってくる。かなり自由に考えられるようになる。やはり曲の構造を深く理解することがジャズ演奏の基本だ。

Beatiful Love Ⅱ

2009-07-27 17:32:12 | Weblog
この曲の8小節目、平行調のメジャーからもとのマイナーにもどる時のメロディーラインはいわゆる旋律的短音階、メロディックマイナーの特徴的な部分を使っている。これが長短調の妙だ。メロディックマイナーの第6音と第7音は成り立ちの意義を考えると第7音が先だろう。つまり上の基音に行くために全音より半音の方が行きやすい。そしてその次に短6度音からだとその変化した第7音まで短3度になってしまう。メロディーラインとしてはこの第6音も半音上げたほうがいい。その代わりメロディーが下がってくる時には両方とも半音下げる。でも和声構造としての短調はまた別で5度の和音のドミナントとしての機能をはっきりさせるため第7音を半音上げて三全音をつくり出す。マイナーキーの6度音7度音の使い方はその成り立ちや存在意義を考えたら非常に面白い。決してややこしくはない。そこには音楽を作っていくのに必要な「自由で適度な数」の選択肢がある。選択肢があまりに多いと人間はすぐ困ってしまう。前へ進めなくなる。音楽を作っていく時、すなわちインプロヴィゼーションをする時、必要なのは適度な数の選択肢なんだ。音楽をしっかり把握するとその選択肢が見えてくる。いいかげんにやってると縛られて身動きが取れなくなるか、また反対に選ぶものが多すぎてうろたえるかのどちらかだ。マイナーキーの6度音7度音の扱い方、メロディーとしても、ハーモニーの素材としてもしっかり把握しないと自由なインプロヴィゼーションはできない。

Beautiful Love

2009-07-24 00:40:04 | Weblog
この曲のコード進行の特徴はやはり最初の8小節の平行調の入れ替えだ。後半にも印象的なところはあるけど、インプロヴィゼーションの素材になる条件としては平行調の入れ替えとそこの部分のメロディーの良し悪し、これが大きい。この曲は最初がマイナーで、次にメジャー、それぞれのⅡ-Ⅴからスタートしている。「Autumn Leaves」は同じくⅡ-Ⅴでスタートするけど最初は長調だ。この曲とは逆のストーリーということだ。Ⅰからスタートして平行調の入れ替えをする曲もたくさんある。ひとつの調号で長調と短調を味わえる。これはヨーロッパアカデミズムが作り出した偉大なシステムで、12音を使った音楽表現の根幹といってもいいと思う。だからこれによって名曲は無数に生み出されている。そしてこの平行調の入れ替えはジャズインプロヴィゼーションの表現にもぴったりだったのだ。アドリブをする時ミュージシャンは何に頼り、どういう「自由」を感じているか?この平行調の入れ替えに対する人間の反応が大きなヒントを提供している。インプロヴィゼーションは結局「何か」の縛りに頼らざるを得ない。それがあまりにきついと動きが取れなくて不自由を感じる。でもゆるすぎるとまたどうしていいかわからなくなってしまう。人間はわがままだ。ストレスが多いとすぐ病気するけど、全くストレスがないと人間は生きられない。平行調の入れ替えは快適に演奏するための適度のストレスなんだろうか?

Sandu Ⅳ

2009-07-21 00:37:27 | Weblog
「Study in Brown」に収められたこの曲の長さは5分弱、内容は最高だけどやはりレコーディングサイズだから短い。クインテットでミディアムテンポのブルースでこの時間の長さだと演奏している方は本当にあっと言う間に終わり、という感じだろう。でもこれがスタジオレコーディングなんだ。演奏というのはもちろん長いのがいいのではない。短い時間でもいいものはいい。録音技術が発明されSP時代を経てこのアルバムが吹き込まれたLP時代、演奏できる時間が飛躍的に伸びたとはいえ、スタジオでの演奏はある程度の時間的規制がある。やはりジャズクラブで演奏しているようにはできない。時間的規制があると当然エモーションもある程度抑えるということになってしまう。この曲のこのテイクはいろんな面でかなり抑えている。ブラウニーもハロルドランドもかなり抑えているけどそれでも高いレヴェルの演奏だ。やはり力がある、そういうことだ。この状況で確かな演奏をし、またそれが後世の若いミュージシャンがコピーしてみようと思うぐらいのものであるというのは大変なことだ。実際のスタジオでのレコーディング現場というのはとてもいい演奏ができるような雰囲気ではない。過去の偉大なジャズミュージシャンたちはそのプレッシャーを腕と精神力ではねのけて数々の名演奏を残してきた。ボクは長い間そのことに気づかなかった。やる方の身になって考え、ジャズの名手のすごさが分かりだしたのは情けない話だけどプロになって何十年も経ってからだ。ブラウニーのその年齢にそぐわない演奏の成熟度、あらためて信じられない。

Sandu Ⅲ

2009-07-16 02:32:57 | Weblog
モダンジャズのブルースはいろんな要素のつまった不思議な音楽だ。ジャズインプロヴィゼーションは即興音楽だ。ブルース以外の音楽も解釈は個人によって違う。だから当然出てくる音も違う。だから面白い。尽きない。でもブルースはブルースという音楽が本来持っている特殊性ゆえにもっと解釈の幅が広い。ほとんど感覚で音を出すインプロヴィゼーションの現場ではそういう議論はほとんどされないけど、やはりちゃんとした構造的な解釈をしておかないとすぐマンネリになり壁にぶち当たる。モダンジャズのブルースはブルースというプリミティヴな構造をもった音楽にうまく西洋音楽のルールを組み合わせたものだ。そして他の音楽にもあるように全音階的なものと半音階的なもの、和声的なものと対位法的なものも組み合わさっている。だから素材となる音いわゆるスケールもトナリティーに沿った7音音階やオルタード、リディアン7TH,ブルーノートを含んだブルース独特の音列など言い出したらきりがない。それらをその時のフィーリングにあわせて選んで音楽にする。研究しだすとどんどん深みにはまる。でもジャズをやる以上ブルースについての深い知識と理解が絶対必要だ。そしてブルースフィーリングという説明のできないもの、一番大切なものを体の奥にしみこませなければブルースにならない。ブルースの勉強、演奏は絶対に飽きない最高のジャズのエッセンスだ。