ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Monk's Mood Ⅲ

2010-04-22 01:10:56 | Weblog
この曲の6小節目、コードはE7THでメロディーがFからE♭に下がってまたFにもどる部分がある。ここは普通はE♭ではなくてEだ。モンクにどんな意図というか閃きがあったのだろう?E♭を弾こうとするとちょっとヴォイシングを考えなければならない。でもこの曲に馴染み、モンクの演奏を何度も聞いていると、E♭でないと物足りなくなってくる。♯や♭を間違えたりという初歩的なミスは論外だけど、こういうケースや前打音、装飾音符では全音か半音か迷ったりどちらでもよかったりすることがある。全音か半音かという問題はもちろん12音平均律があっての話だ。半音は今の音楽組織の中では音程を判別する最小単位だ。もちろん人間はもっと小さな音程も聞き分けられる。でも音楽構造の一部分としてはこれ以上細かいのは扱いづらいのだ。ボーカルや音程を耳だけで聞き分ける弦楽器などではもっと細かい音程を感じて演奏したりもしている。逆にすごくアバウトになって全音か半音か分からないような歌いかたをするひともいる。まあそれでも音楽が良ければ許される。名演奏、名歌唱とされる。でも鍵盤楽器はそうはいかない。はっきりどちらかを弾かなければいけない。半音階主義とでもいうような音楽はじつはとても古く紀元前のギリシャに存在していたと本で読んだことがある。こういうちいさな音程を音楽に取り入れる発想はずいぶん昔からあったのだ。でも2度を全音と半音にはっきり区別するというのは12音が確立されてからだ。ピアノという楽器はいわば12音平均律の申し子で、モンクの音楽はある意味完全な「ピアノ音楽」だ。それはモンクが本当のピアニストであるからで、ピアノを通してモンクの歌を表現しているのだ。それにしてもここの全音は不思議だ。???

Monk's Mood Ⅱ

2010-04-17 01:57:05 | Weblog
和声を確定させる上で完全5度は最重要な意味を持っている。根音に対して5度の音を持っていないコードはやはり不安定だ。でもそのコードにはそれなりの用途がある。そしてコードはその中にトライトーンを含んでいるかどうかがそのコードの性質を決める大きな要素だ。トライトーンは6種類ある。そしてそのトライトーンを同時に2種類含む和音もある。2種類含むということはその種類は5種類あるということだ。そしてそのうちの2種類にはその組み合わせによって中に完全5度が含まれる。したがって強い音程根音が発生する。あと3種類のうちの1種類はディミニッシュコード。このコードにはトライトーンのほか3種類の短3度と1種類の長6度が含まれる。12音を4等分したような形状からも根音は弱い。実際の楽曲の中では重要なのは最低音でドミナントモーションを代理したような使われ方をされることが多い。そして残りの2つ、これには一応コードネームをつけることができる。☆7♭5だ。♯11ではない。コードの中に完全5度が存在しないのだ。トライトーンを2つも含んでいるという構造上ドミナントモーションに利用されることが多い。でもドミナント7THではない。モンクはこのサウンドを多用する。モンクの頭の中にはただ単にドミナント7THが鳴っているのだろうか?もちろんジャズはフェイクミュージックだ。プレイヤーが独自の解釈をして和声を組み立てて自分の音楽にすれば良いのだ。でもモンクの世界はやはり独特でそれが「Monk's Music」でもある。和声のひとつひとつがモンクなのだ。このコードのときに5度を押さえてしまうとサウンドがしっくりいかない。このコードにコードネームをつけたりサブドミマイナーと呼んだりドミナントと呼んだり、伝わりさえすればそれでいいようなものだけど演奏する方がやはり深い理解をしていないとつまらない音になってしまう。

Monk's Mood

2010-04-09 01:08:58 | Weblog
もちろんセロニアスモンクの作品、モンク自身の演奏でも何度か録音されている。'05年に発売されたコルトレーンがいた頃のモンクのバンドのカーネギーホールのライブ盤の1曲目にも収録されている。歌詞のないバラードだ。モンクの世界だ。このアルバムは何十年も世に出てこなかった不思議な経歴を持っているけど、内容も録音状態もいい。モンクのピアノは'70年に日本のライブで聞いたことがある。驚くべき美しさだった。このアルバムの音はそのピアノのトーンをよく再現していると思う。モンクの楽曲はなんといっても独特で、世界中で毎晩演奏されるインプロヴィゼーションの素材もあればモンク自身のヴォイシングでなければ成立しないような和声のものもある。この曲も工夫して自分のサウンドにしているミュージシャンもいるけどやはりモンクのおさえるコードが大きな壁だ。1小節目の3拍目、コードはⅦ♭7th、機能はサブドミナントマイナー、で、メロディーが♯11の音、の解釈でいいのかも知れないけど果たしてモンクの意図がそうなのか分からない。とにかくモンクは5度の音は押さえない。もちろん押さえなくても♯11と思っていいけどルートからオクターブ以上離れた♯11の音という感覚ではない。5度がフラットしているのだ。じゃあ7THの♭5か?ボクにはそうは思えない。モンクのトライトーンに対する感覚、7THに対する感覚は独特なんだ。この考えに賛同してくれるミュージシャンは多いと思う。でもそれをあまり意識しすぎるとモンクの曲が演奏できなくなってしまうのだ。モンク独特の押さえ方そのものがその楽曲の一部であるものもある。どこまでを受け入れるか?なんのためにモンクの曲をやるか?難しい。

Elsa Ⅳ

2010-04-03 00:05:11 | Weblog
この曲は3拍子、でもワルツとは呼べないだろう。ワルツは「3拍子の中庸の速さの舞曲」、うん?踊れなければワルツじゃないのか?この曲はバラードフィーリングだからやはりただの「3拍子」と呼んだほうがいいかもしれない。でもどっちにしてもたいした問題ではない。ダンスのステップの名前が音楽の名前になっているものがたくさんある。何百年も前のヨーローパで、そして現代のラテンミュージックでも。まあほとんどが2拍子か4拍子、やはり人間が二足歩行だからなのだろう。3拍子は踊るにも難しい。3という数字は割り切れない。ちょっと違うかも知れないけど、3連音符もインプロヴィゼーションで使う時強力な武器にはなるけど、慣れないとフレーズのつじつまが合わなくなる。3拍子も演奏するにはとにかく慣れが必要だ。メロディーが足りなくなったり余ったりする。ベーシストやドラマーにも初期の頃3拍子が苦手の人が結構いる。ほとんどはキャリアが解決してくれるけど・・・。3拍子も3連音符もとにかくまるく感じる。それが「3」という数字の最大の特徴だ。ジャズのスウィングリズムはこの「3」と「2」がほぼ常に同時に進行している。それを使いわけるのがジャズの重要なテクニックだ。3拍子の演奏も3つの拍子を2で割って8分の6みたいにしたり2拍や4拍のフレーズで2拍子や4拍子を同時進行させてるみたいに聞こえさせてスリルを生み出したりするのは、音楽の常套手段だ。何故人間はこんなに音楽に割り切れなさを要求するのか?そしてたまにきっちり割り切れてほっとする。これが人間の感性そのもの?