この曲の構造を見てみよう。4つに分かれていて、2番目は最初の部分を5度上げたもの、3番目はブリッジと呼んでいい。4番目は最初の部分にコーダをつけたもの。形式はオーソドックスだ。そこでトナリティーについて考えてみる。最初の段落はオリジナルはフラットが4つ、そして次はフラットが3つそしてブリッジはシャープがひとつ、これはつまり5度上の短3度下ということで12音のシステムからいうと同じ系列だ。そして最後はブリッジの半音上、これも短3度の入れ替えをしているだけで同じ動きだ。もちろんブリッジの後半はシャープ1つのキーの平行調に移ってメジャーに落ち着く工夫もされている。でもこの曲を通しての原則は段落ごとに5度上、長3度上、半音上のいわばドミナント系列のトナリティーに移行しているということだ。そして1番目と2番目の段落では最後の2小節で長3度上のメジャーに解決するといういわば全体の流れの縮小版を行っている。一つ一つのコード進行はほぼ4度進行、メロディーと根音の音程は3度、バランスのとれた構造だ。ドミナントモーションやルートの4度進行はジャズプレーヤーの体の中に深く入り込んでいて、その進行でひと目盛り音楽が進んだ感じがする。でも同じ完全音程の移行でも5度上に上がってしまうとなにか時間軸が逆回転したような感じがしてしまう。インプロヴィゼーションの学習がそうさせているのだと思うけど、大きく言えば時間軸の芸術とも言える「音楽」の中でのコード進行というものの果たす役割を体感しているということだと思う。この曲はそういう音楽の流れの速さをコード進行によって緩急をつけてドラマを作っているのだ。
この曲をパーカーは生涯に何度演奏したのだろう?多分本人も分からないくらいの膨大な回数だと思う。ジャズインプロヴィゼーションというのはそのぐらいの曲の「こなれ」が必要なのだ。コードネームを追っているようではまともな演奏はできない。ここ数百年の音楽はジャンルにかかわらずほんのごく一部のネイティヴな音楽を除いてふたつの要素の組み合わせでできている。それは歌いやすいものと歌いにくいものだ。つまり7音を基本とする構造と12音を均等に扱う構造の合体だ。それはメロディーと和声の両方に現れる。どちらかにかたよりすぎると退屈になったり複雑すぎて認識しづらくなったりしていい音楽として評価されにくくなる。まあ人の評価というものを全く無視してしまえばこの価値判断は通用しないけど・・・。要するにこのふたつの要素をバランス良く保たないといけないということだ。で、ジャズインプロヴィゼーションはそれを即興でやるということだ。パーカーはその感覚が図抜けているのだ。音楽を即興で楽器を使って表現するにはいろんな要素が要る。楽器を扱う技術や、音楽の認識力、知識、でも最後はそれらを「センス」と言われるもので使い分けなければいけない。なかでもこの音楽構造の使いわけは最後の音楽センスかもしれない。
この曲は「All The Things You Are」そのもの、プレイしているパーカーもそのつもりだろう。ただ最初からほとんどもとのメロディーの出てこないインプロヴィゼーション、著作権逃れのためにレコード会社が勝手に題名を変えてしまったのか?分からない。でも内容は素晴らしい。一流の才能でしか出来ない即興演奏、モダンジャズでしか味わえないインプロヴィゼーションのスリルだ。価値のあるレコーディングだ。パーカーのこのソロは完全にコピーされて市販されている。でも譜面からはパーカーの凄みはなかなか伝わってこない。これがクラシック音楽との違いのひとつかな?クラシック音楽の名曲は譜面を眺めればある程度のことは読み取れる。その作曲家の「らしさ」も垣間見える。でもジャズのインプロヴィゼーションは譜面にするとなぜか伝わってこない。パーカーは死んでからもう半世紀以上になる。パーカーのプレイをライブで聴いたという人もずいぶん数は少なくなっただろう。ほとんどの人は録音でしか「チャーリーパーカー」を知らない。'50年代前半はまだ録音技術がいまいちで完全にパーカーのサックスのサウンドを捉えきれていないけどそれでもそのハンデを乗り越えて聴き手を圧倒する威力を持っている。どこからこんなアイデアが湧いてくるのだろう?とだれでも思ってしまう。ジャズミュージシャンは特にその思いが強い。で、研究する。そしてパーカーに、ジャズに取りつかれてしまう。何十年やっても正解らしきものは見えない。でも全然後悔はしない。それが音楽なんだろう。