ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

Gee Baby,Ain't I Good To You

2009-09-28 01:18:04 | Weblog
この曲はA-A-B-Aの形式だけどそれぞれが半分サイズ、全部で16小節だ。まあ曲の長さは相対的なものだから短くてもバランスさえ取れていれば立派な楽曲だ。この曲の特徴はAの部分、全部ドミナント7thのコードだ。キーをCで書いてみるとA7-F7-E7-A7-D7-G7そしてCに落ち着く。ドミナント7thのコードは平均律の中でドミナントを表す4声のコードとしてずっと用いられてきた。ところがジャズがブルースフィーリングを取り入れる過程でこの第7音をブルーノートに近い音として扱い始めたためこのコードは、ブルースフィーリングのコードとしても定着してしまった。今や完全に二股だ。第3音と第7音との間の増4度の音程の響きもブルースらしさの象徴になっている。ジャズが広まり始めた20世紀初頭耳のいい音楽家はすでにこの現象に興味を持っていた。ジョージガーシュインは積極的に自身の曲の中にこのフィーリングを取り入れている。いまや普通になっていると言ってもいいこの現象だけど、これこそジャズが12音の中に革命を起こしたといってもいいことだと思う。短7度、そして3全音の解釈の幅を広げてしまったのだ。12音が確立されてから数百年の間に数えきれない優秀な作曲家たちが、音の組み立て方を研究してきた。複雑な方法論だ。それによって作られた優れた作品は星の数ほどある。ジャズはその組み立て方に全く新しいヒントを与えた。そしてそのヒントを与えたのは特定の人物ではない。それが面白い。音楽の移り変わりは不思議だ。誰の思うようにもならない。まさに「自然」だ。

Tenderly Ⅳ

2009-09-24 03:04:48 | Weblog
基音から増4度にあたる音がメロディーのときその音の行き先は3種類ある。半音上がるもの半音下がるものそして全音下がるもの。この曲の2小節目に出てくる#11の音は全音下がる音だ。このひとつひとつの音の行き先の必然性がコード進行のカギを握っている。増4度(減5度)の音程に当たる音はその典型ともいえる。完全な全音階的な曲の譜面だと♯、♭はそのルールで表されているけど、そこに半音階のシステムを含む転調があったりするとどっちに書いてもよくなってしまったりもする。エンハーモニックの転換として楽譜上は書かれるし今はたいして誰も問題にしない。半音階が氾濫すれば当然そうなる。べつに音楽の質にかかわる問題ではないけど、やはりメロディーというのはその音がどういう性質の音かどういう進み方をすべきかを把握しておく必要がある。その正解は天性の感覚で掴んでもいいし、勉強を積み重ねて知ってもいい。手段はどうでもいいのだ。ボクの経験だと相当天性の耳を持っている人でもやはりキャリアと勉強の積み重ねがないと細かいところまでは判別できない。音楽の組織というのはそういうものなのだ。音楽というのは自然界のルールに人間の知恵を組み合わせたものである以上持って生まれた感覚をトレーニングによって磨かないと高いレベルには到達しない。音の流れの必然性を感じとる能力はこの典型かもしれない。

Tenderly Ⅲ

2009-09-20 23:05:18 | Weblog
音楽はメロディーとリズムとハーモニーとよく言われるけど、それぞれを切り離して考えられるものではない。それに音楽の成り立ちから考えてもメロディーが優位を保っていることは確かだ。メロディーとリズムはそれぞれいろんな目盛りで刻まれている。極端にいえばどんな細かい目盛りでもオーケーだ。でもハーモニーとなるとちょっと事情が変わってくる。同時にいくつもの音が鳴りその重畳効果を認識するためにはかなり限られた目盛りでないと人間の脳がついていけない。オクターブを12個の音で区切るというのは、和声の進行を分かりやすくするためという理由が一番大きい。そして和声を重要視するというのがここ何百年の音楽の価値観となってきた。もちろんいつの時代もそれに反抗するものは出てくる。でも反するものが出てくるということ自体が「それ」に牛耳られているという証拠だ。ハーモニーが音楽をひっぱる、クラシック音楽を頂点とする西欧音楽はまさにそれだ。そしてアメリカで生まれたジャズも価値観の多少の違いはあっても「構造的」という点では同じ、インプロヴィゼーションをする分むしろもっと構造を重視しているかもしれない。これはジャズを長い間やっている人はみんな気づくことだ。ビルエヴァンスはジャズは感覚で演奏するとたびたび言っている。卓越したジャズミュージシャンは異口同音にこの言葉を口にする。「感覚」、「フィーリング」、やりぬいた人たちが言うこの言葉の意味はなんだろう?

Tenderly Ⅱ

2009-09-18 00:07:24 | Weblog
3小節目に現れる長3度の下行は、ピアノの鍵盤だと長3度だけど、人間が歌うとそれよりも少し幅が広くなる。そのほうが音楽として自然に感じ、それを正しい音程として受け入れてしまう。この時ピアノと歌とはピッチがずれているから、物理的にはビート音といわれる差音が発生しているかもしれない。でも全然気にならない。音楽を聴く耳というのはそういうものなんだ。もちろん訓練として、歌手や管楽器、弦楽器奏者は正しい音程をキープする練習をやる。当然必要だ。でも細かいピッチのずれは音楽には当たり前のことで必要以上に気にする必要はない。オーケストラのピッチのずれをほとんど気にしない一流の指揮者もいる。説得力のある音楽、それが音楽家にとっての最重要課題だ。ボクはいつもピッチの確定した鍵盤を弾いていて音程について不思議なものを感じる。音楽に使われている「音程」というのはどういうものなのだろう?まわりが柔らかい弾力性のある素材で中には強固な金属が通されている。そういうイメージを持っている。組織としての音楽は12音平均律しか今のところ考えられない。それ以上の複雑さを持つと不都合なことが多すぎる。でもその周りにあるもの、つまり人間の感じる「歌」は無数の可能性がありどんな小さな音程も使える。そしてそのふたつのものが共存しているのが今の音楽の世界だ。

Tenderly

2009-09-13 01:01:18 | Weblog
たった2つの変化音で7音音階はこんなにも味わいが出る。魅力的なメロディーだ。3小節目と7小節目、5度離れた形で現れる。歌手が好きな曲でもある。でも歌ってみると音域がわりと広くてマスターするのは結構大変。この変化音はともに低目がいい。本能的にそうなってしまう。ほんのわずかではあるけどそれがこの音だ。ここ何百年の音楽は12個の音の中でやって来た。もうみんなそれが普通だ。でもよく考えてみるとそれは先進国のそれも都会だけの話だけではないだろうか?音楽のスタイルやサウンドの変化も音楽産業がリードする商業音楽だけのことだ。経済活動とは無縁の音楽は今でも立派に存在する。人間の本来の感性はそんな短い期間では変化しないだろう。もちろん何千年とかいわれたらそれは分からないけど・・・。歌うという行為にはその人間本来の感覚が出る。12音で刻まれた音楽をやってもわずかに高く歌いたい音や低目に歌いたい音が出てくる。それはそれが正しい。トナリティーの7音以外の音は実はほとんどそうなんだ。歌手や弦楽器奏者はその微妙な感覚を発揮できる。ピアニストはそうではない。鍵盤という超組織的な楽器を使って感覚を表現しなければいけない。ピアノを長い期間弾いてきた人たちのなかにはピアノの「歌わなさ」にいらついたことがある人も多いと思う。どうしようもない。そういう楽器だ。インプロヴィゼーションという自由な自分の歌を歌える音楽のなかでピアニストは悩み続ける。