実際のジャズのコンボ演奏、前に管楽器奏者がいた場合、ピアニストの役目というのは良いカンピングをすること、これが最重要なことになる。とくにアドリブコーラスに入ってからは、ベースラインとホーン奏者のソロを聞きながら音楽の行き先をインディケートしなければならない。後からついていったのでは音楽が成り立たないのだ。とにかく先んじる、でないと周りは困ってしまう。それには音楽を予測する「感」が必要になってくる。これから起きる状況を予測して勇気を持ってバッキングするのだ。そしていろんなコードを分厚いメロディーを弾いてるつもりでトップノートを強く意識して押さえることが重要だ。コードの押さえ方は千差万別だ。2個の音から7つ8つまである。和音のいわゆる「厚さ」は状況によって判断するしかない。でもトップノートはいわばメロディーだ。そしてそのトップノートはベースラインと、ホーン奏者のメロディーと二声部を形成する。これが重要なことで、ここには即興的ではあるけど、対位法の原則が存在する。この動きがうまくいくとバンドサウンドが充実する。もちろん一人の力では無理、それが「バンド」だ。ピアニストの弾くコードのトップノートはいわば内声だ。だから原則的にはあまり大きく動かないほうが、分かりやすい。音階的な流れだ。そしてトリッキーなテンションを上に持ってくるとホーン奏者はちょっと困る。でも充実したコードは必要だ。そのへんのヴォイシングの方法は単なる思い付きではどうにもならない。コツコツ研究して積み上げて自分の方法を探るしかない。そしてこの自分の方法を探る行為こそが、ビルエヴァンスが言っているようにジャズの最高の楽しみでもあるのだ。
コードネームは音楽構造のあらましを手短かに分かるための有効なしるしだ。2小節目、4小節目の内声にナチュラルBの音があることはコードネームを見れば分かる。そしてひとつひとつのコードの構成音をイメージするだけではなくてベースラインや内声の横の動きを理解することで音楽の全体を把握できるということだ。あらゆる線的な音楽の中に和声的な価値が含まれていることを考えたら、一見和声を中心に成り立っているようなジャズスタンダードも線的な必然性があってこそ良い音楽になりうること分かる。音楽は縦(和声)と横(旋律)のバランスで成り立っている。どちらか一方的なものはない。ジャズインプロヴィゼーションの実際の演奏は時間の流れに沿うことが至上命題なので、「線」を意識せざるを得ない。その時に起きる和声はかなり偶発的だ。コードネームはただの目安だということがよく分かる。でもその目安がジャズ演奏の守らなければいけないゆるいルールで、あとの偶然性はその日の天候のように何が起こるか誰にも分からない。それを素直に受け入れなければジャズは楽しく演奏できない。自然界に適応している自分自身を受け入れるのだ。一日一日が新しい日でたった一回しかないように音楽の演奏もその日一回限り、二度と同じことは起きない。失敗も成功も受け入れるのだ。ジャズをやる心構えは他にはない。
L.Robinの作品、作詞はR.Rainger、素晴らしいスタンダード曲では当たり前のことだけど、曲と詩の相性がぴったりだ。内容はまあLoveソングではある。詩の解釈はお任せします。さて、形式はA-A’-B-A’’になるのかな?最初のAとA’はコードもサイズも一緒だけど最後の音がひとつだけ違う。サビ後のA’’はサイズがちょっと伸びている。全体的なことを言うと全音階的な曲だ。メロディーにはシャープ、フラットがひとつそれも経過的に一回出てくるだけ、コードも7音的だ。最初の4小節(キーFとして)Em7-5 -A7-Dm7-G7をくりかえす。まあこれ自体リハーモナイズでもあるけど、ようするにFの平行調ということだ。で、Bの音の扱いの問題だ。やはり2小節目と4小節目は長6度音Bの音が聞こえているほうがいい。もうこの曲はそれが普通になっているからなのか、Dm7-G7のⅡ-Ⅴの動きが聞こえないとピンとこない。短調の場面のこの処理の仕方はジャズ独特のものだ。まあ簡単に落ち着かせないぞ、というやり方ではあるけど・・・。5小節目からはメジャーのトナリティーで進行する。平行調をうまく利用するのが歌曲の特徴でもあるけど、インプロヴィゼーションもこの平行調の入れ替えをものすごく利用している。ひとつのトナリティーで長調と短調がたのしめる。こんないいシステムはない。何時、誰が発見したのか知らないけど、ヴィヴァルディーの楽曲の中の使い方を聞いていると、このシステムを得た音楽家の喜びが爆発している。ほほえましい。
ジャズの命はスウィング感、まあこう言い切ってもさしつかえはないと思う。しかしモダンジャズという音楽は「ジャジー」という名の新しいハーモニー感覚を生み出した音楽でもある。音の組合せ方はまったく新しいものとも言えないけど、アメリカの音楽らしく色んな価値観の「ごった煮」、その全部をひっくるめてジャズハーモニーなのだ。そしてハーモニーの素となるメロディーとベースラインの音程関係、これが即興で発生するから予想がつかない。完全音程の連続や隠伏などいわゆる禁則も当然起きるけど、どこかでつじつまを合わせる。それが優れたジャズミュージシャンの腕だ。この曲の場合、実際の演奏の時に感じている和声の状態は交互に現れるトニックとドミナンテ、それだけだ。それもかなり抽象的な音の塊、「静か動か?」それを感じているだけだ。でもそのうちひとつひとつの音が重なって起きるハーモニーも聞き取れるようになってくる。要するに、実際は二重構造の和声を聞き取りながら演奏しているのだ。ジャズを演奏するとそれが普通だ。慣れれば誰でもそういう耳になってくる。これが即興演奏を基本にするジャズのハーモニーにおける理解しなければいけないルールなのだ。これは一旦慣れるとだれでもできることではあるけど、実際に演奏に参加しないと絶対に分からないことでもある。20世紀の初頭、ヨーロッパ音楽の大家たちがジャズに異常な興味を示したのは、この独特のハーモニーの形成過程にあるのではないかと思う。