曲を演奏するのには、もちろん細かいアナライズが必要ではあるが、おおまかな感覚で捉えることも重要だ。それがいわばインプロヴィゼーションの感覚でもある。この曲の場合、Aの部分はひとつのトナリティー、Bの部分も最初の4小節は平行調に移っているだけ、その次の2小節が元来のトナリティーからはずれるだけだ。もちろんひとつのトナリティーとは言ってもコードは変化するし、そのあいだには12個の音がいろいろ散らばって出てくる。ピアニストはその音はミスなく押さえなければ音楽にならない。でもインプロヴィゼーションの感覚はちょっと違うのだ。この曲でいえば32小節のうちBのサビの部分の後半、それも2小節だけが「どこか」へ行く感じ、そういう感覚も大切にしたほうがいい。この曲のようなバラードフィーリングだと時間的にゆっくり進むから細かい音使いも気になる。それはそれでちゃんとアナライズしないと穴が目立ってしまう。でもそういう感覚と並行しておおまかなトナリティーを感じるということも大事だ。そうするとコードネームだけを追っかけるみたいな演奏から脱出できる。いわばアドリブのコツだ。そうすると幹音と派生音、もとのスケールの音とそれ以外の音の違いもかえって明確に捉えられるし、より客観的な耳でインプロヴィゼーションを演奏できる。ジャズはみんなで即興的に作っていく音楽だから、全体像を感じながらやるというのはとても重要なことなのだ。
この曲を含め、コードネームがついている和声進行を持っている曲は基本的に3度音程をもとにした構造になっている。もちろん3度を積み重ねてコードを弾いてもなんら問題はないのだが、9、11、13などの音が含まれてくるとそれらをうまく転回して4度を中心にした和声にすることができる。この4度というのは、完全4度だけではない。トナリティーに沿っている以上、増4度も含まれる。これらの和声は3度音程をいわば修飾したものと古い中世のころの技法をわざと匂わせるものとがある。要するに4度音程独特の響きを取り入れて和声進行により一層の色彩感をもたせようという試みだ。またこれとは別にピアニストが日常的に用いる4度音程の左手のヴォイシングがある。左手だけだから当然押さえる音はほとんどの場合3つだ。3つの音の4度の積み重ねの和音はほとんど調性感を持たない。なのでトップノート、いわば主旋律と認識される声部に調性感を提示するある程度の義務が課せられる。でもインプロヴィゼーションはなんでもありだ。わざと調性をぼやけさせる手法もOK。このような調性のいわば「濃淡」をあやつる技法はべつに目新しいものではない。ただそれを即興的にコントロールするのがジャズインプロヴィゼーションだ。調性感というのは「感」と言われるように、中心音を感じるか歌えるかということであって瞬間的なものでもある。ジャズインプロヴィゼーションの中では重要な「頼れるもの」でもあるのだ。
もう20数年前になるが、アーマッドジャマルのクラブギグで、この曲を聴いたことがある。ジャマルはずいぶん前からこの曲をレパートリーにしていて、アルバムにも収録されている。まあ基本的にはアルバムと似たようなアレンジで、ジャマルサウンドだったけど、この曲のスタンダード曲としての包容力を感じさせる演奏だった。バラード曲にスウィング感を加えてダブルテンポで演奏するのはジャズの常套手段だけど、そこに持っていくにはやはりいろんな過程を経ないと不自然なことが多い。でも本当の意味で曲がこなれてくると、頭からベースがダブルテンポの4分音符、いきなりインプロヴィゼーションというのもありだ。どの曲でそれをするか?というのは、それぞれのミュージシャンが決めることだけど、やはり曲自体にそれを受け入れる何かがないとできない。その「何か」はミュージシャンが見抜くのだ。ジャマルは独特の感性でこの曲をクッキングした。実際にバラード曲をダブルテンポで演奏すると2小節同じコードが続くことがよくある。4小節だってある。その時に8つだったり16だったりする4分音符をどう処理するかはベーシストの腕によるところが大きいのだけど、バンドリーダーがしっかりしたイメージを持っているか?そして演奏する曲にその包容力があるか?というのが実は重要なのだ。そのサインを受け取ってベーシストはプレイする。そういうバンド全体の方向性がしっかりしていないとベーシストひとりではどうにもならない。そしてアドリブのアイデアも浮かばない。これはジャズのアレンジの必然性の重要な部分だ。音楽は全体をイメージする力が大事だけど、ジャズインプロヴィゼーションというのは、もっと目の前の1拍1拍を大事に進めていく地道な音楽であって瞬間的な感性が必要な音楽なのだ。
レディ・イン・サテン+4 | |
SMJ | |
SMJ |
1941年、作曲はGene De Paul、作詞はDon Raye、発表間もないころからジャズスタンダードとしてジャズプレーヤーやヴォーカリストの貴重なレパートリーになった。録音に残っている数もすさまじい。形式はA-A-B-Aの32小節、短調の曲だ。わざわざ短調と書いたのは、Aの部分は主調のマイナーキーの中で動くだけで、どこにも行かないからだ。そしてⅥ♭の7度音をブルージーに響かせてまさにジャズバラードという曲だ。コードをチェックしてみると、Aの部分の最初にトニックマイナーの9度の音がメロディーとして現れるので、それがとても印象的ではある。でもAの部分は同じマイナーキーのトナリティーの中でちょっと情緒的に動くだけだ。それに比べてBの部分はかなり構造的になっている。Bの頭は平行調のメジャーのⅡ-Ⅴ-Ⅰから・・・。それが2回。そのあと長3度上のキーのⅡ-Ⅴ-Ⅰ。このキーはAの部分のキーの5度上にあたる。メロディーを見てみると、Bの部分はキーの5度の音つまりⅡのコードの4度の音からスタートする。そして長3度上にトナリティーが移った時はこのメロディーが半音上がる。つまりここのコードの9度の音だ。ジャジーなサウンドだ。そして♯11thの響きを経てもとに戻る。全体的にみると音楽のいろんな要素がつまった、ジャズスタンダードになるべくして生まれた曲だと言えると思う。
サキソフォン・コロッサス | |
ハピネット | |
ハピネット |
和声の組み立てというのは、ジャズミュージシャン、とくにピアニストやギタリストは演奏する曲をイメージした時に真っ先に考えることだ。和声の組み立てを冷静に検討することなしにジャズの演奏はできない。和音の構成は理論的には何度を基本にしても問題ない。でも調性、そして音楽の特性から3度を基本に考えることが圧倒的に多い。ではどこに考えるべき余地や、個人の特性を出せる自由があるかといえば、3度をいくつも積み重ねてそれによって起きる2度7度そして増4度音程を処理する裁量にあるのだ。数理的に考えると21の和音までいくと12個の音全部を使ってしまうことになる。実際は15の和音以上は同じ音の重なりを認めないと和音としての識別ができにくくなってしまう。なので13までの重なりを検証すればコードのアナライズは終了だ。で、あとは2度7度増4度をどの程度「認める」か?ということだ。これは難しい。長いキャリアの間には和音の「濁り度」が強く欲しくなったり、弱くしたくなったりする。人間だからしょうがない。年月とともに感覚が変わってくるのだ。こういう変化は他人にはどう聞こえているのだろうか?過去のレジェンド達の傾向を探ってみてもいろいろだ。年齢を重ねて濁り度を増す人、濁りを嫌うようになる人・・・。でもこれは考えても自分自身がどうにもならない。何年か前とは違う「濁り度」を求めてしまう自分の耳を無視はできない。その時の美意識に従うしかない。これを自由と呼ぶのか?