とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

書評『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』P・W・シンガー (著), エマーソン・T・ブルッキング (著), 小林 由香利 (翻訳)

2019-08-11 08:52:59 | 読書
 インターネットが普及してまだ30年くらいである。だれもがふつうに使うようになったのはスマートフォンの普及からだから、まだ20年弱。さらにSNSが普及したのはさらに5年くらい後。大きな変化の中に我々はいる。この変化の中で、世界は大きく変わってきた。情報が人々の思惑を超えて作り出されるようになり、それを操作しようとする組織や国家も出てきた。

 そもそもSNSはマスメディアからわれわれを解放してくれるものと思われていた。SNSが普及して、人々は自分から情報を発信できるようになり、さらには新たな人間関係を手に入れることができるようになった。これは人間が自由になる手段だと手放しでよろこんでいたのである。しかし実はSNSによる情報操作、あるいは偽情報の拡散、そして情報の混乱がおきるようになってしまった。

 これが象徴的に表れたのがトランプの勝利である。トランプ自身の情報戦略、そしておそらくロシアによる情報操作が重なり、国家を分断することで人気を集めていったことが丁寧に説明されている。

 これを読んでいると、現在の日本のナショナリズムもある特定の勢力とロシアや中国の情報操作力によって生まれてきているのではないかと疑いたくもなる。ロシアや中国にとってみれば、韓国と日本は仲が悪いほうが都合がいいに決まっているからだ。

 インターネット社会の負の一面を事実をもとに丁寧に説明した本である。翻訳のためかわかりにくい点もあり、読むのに時間がかかったが、世界の現状を見事に解き明かしてくれる本であった。
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山形新幹線は止まりすぎ(山形新幹線シリーズ)

2019-08-08 05:20:11 | 山形新幹線
 いつも山形新幹線を使っています。山形新幹線のなかった時代を知っているので、というよりも東北新幹線や上越新幹線がなかった時代を知っているので、昔に比べて便利になったことを実感しています。山形新幹線は本当にありがたい。しかし、長年乗っていると、さすがに粗が見えてきます。ここにあげていくので、ぜひとも改善をお願いしたい。というシリーズの第3回。

 山形新幹線はよく止まります。大雪で止まってしまうのは冬の定番です。春や秋はカモシカなどの動物を轢いてしまい止まってしまいます。今回は予想外の理由で止まってしまいました。2019年8月6日の出来事です。以下朝日新聞デジタルからの引用です。

「レールゆがみ山形新幹線が運転見合わせ 猛暑が原因か」
 6日午後3時半ごろ、山形県米沢市内のJR奥羽線米沢―置賜(おいたま)間を走っていた普通電車の運転士から、異常な揺れを感じたとの報告があった。JR東日本の係員が現場の線路を確認したところ、レールにゆがみが見つかった。
 復旧作業のため、奥羽線のレールを使う山形新幹線は同日午後4時過ぎから約3時間20分にわたって米沢―山形間で運転を見合わせた。上下4本が福島―山形間などを区間運休したほか、4本が最大3時間45分遅れ、合計で約2千人に影響した。
 山形地方気象台によると、米沢市内では同日午後2時過ぎに36・6度を記録。JR東は、猛暑でレールがゆがんだ可能性もあるとみている。(細沢礼輝)

 私自身山形新幹線に乗っていて、雪で1回、カモシカで1回、新幹線が止まった経験があります。雪による運行の遅れはしょっちゅうあります。困ります。昔、「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」と言われたことがあります。それはそうなんでしょうが、現実にはそれによって予定の時間に遅れてしまったり、予定をキャンセルしなければならなくなり、冷静にはいられません。
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書評『1973年のピンボール』(村上春樹作)(1人称小説と3人称小説)

2019-08-07 06:52:22 | 読書
 村上春樹のデビュー2作目の『1973年のピンボール』を再読しました。この本が発売されたのがちょうど私が高校を卒業したころで、話題になったいたこともあり、次の『羊をめぐる冒険』が発表される前に読んだはずです。ところがこの本、何がおもしろいのか私にはわかりませんでした。今回読んでみて、やはり同じです。あまりおもしろい作品とは思えません。この作品を一番最初に読んだことが、私がその後村上春樹から遠ざかる原因になったのだと思います。

 しかし今回再読して気が付いたことがあります。『風の歌を聴け』は一人称小説でした。しかしこの作品は、1人称小説の部分と、3人称小説の部分が交互にあらわれます。視点についての積極的な取り組みを始めた作品となっているのです。その結果「僕」は、世界とどうつながっていくのかを期待しながら読むという構造を作り出しています。残念ながら「僕」はこの作品の中では世界とつながっていっていません。3人称小説の部分と1人称小説の部分が関連しているようには思えないのです。もちろん作者としては何らかのつながりを意図していたのかもしれませんし、優れた読者ならばそれを読み取っていたのかもしれません。しかし私にはできませんでした。

 とは言え、数多くのピンボールのある倉庫の印象はとても残ります。ピンボールは現代の遺物です。現代は短い生涯を送った商品の遺物がたくさん生まれる時代です。私たちはそんな遺物たちに育てられたのです。それを考えるとやるせないノスタルジーを感じざるを得ません。

 現代は使い捨ての時代です。人間も使い捨てです。そんな中で何かを残したい。だから誰にも意味もなく、誰も気づかないようなピンボールの最高スコアのようなものでも、自分の証として大切にしていくのです。あるいはそれしかないのです。それが拠り所なのです。そのせつなさを感じる小説でした。
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舞台『命、ギガ長ス』を見ました

2019-08-06 07:29:01 | 演劇
 8月4日の夜、宮城県大河原町「えずこホール」で上演された『命、ギガ長ス』を見ました。松尾スズキさんのプロデュース公演です。安藤玉恵と松尾スズキの二人芝居。えずこホールの舞台の上に客席と小舞台を作って、小劇場のような狭い空間を使っての公演です。

 内容は認知症の母とアル中のニート息子を若手の女性の学生ドキュメンタリー作家が取材するという話で、そこに女学生とゼミの教授との不倫が絡んでくるというものです。最下層の生活する親子ではあるが、実は最下層を演じていることがわかり、それぞれが表と裏を駆使して絡み合います。

 人間には裏と表があり、時にそれが日常を混乱させます。そんな混乱を笑いの中で表していきます。ばかばかしさにあきれながら、実はこころにずきずき響いてくる芝居でした。

 この芝居の途中、震度4の地震があり中断してしまいました。茫然としている安藤さんと松尾さんの素の姿が不思議なリアリティがありました。想定外の表と裏も見せていただき、ちょっと得したような気持ちにもなりました。
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映画『よこがお』を見ました

2019-08-05 06:10:21 | 映画
監督 深田晃司
出演 筒井真理子 市川実日子、池松壮亮、吹越満

 日常の影にはさまざまな人間の表にでない心がある。その心があるきっかけから次々と表に出てしまい、悲しい現実が訪れる。しかしその現実から逃げるわけにはいかない。現実を受け止め、現実をあきらめ、そして現実を戦いながらも生きるしかない。そんなやるせなさが描かれる。

 主人公を演じるのは筒井真理子さんである。劇場で偉そうな高慢な女をコミカルに演じていた印象ばかり持っていたが、細かな表情や行動の変化を表現し、すばらしい演技だった。映画向きの女性であったのだなと感心させられた。

 筒井さん演じる主人公が、執拗にせまるマスコミに「私は私に恥じることはしていません。」と言う。このセリフが強さと不器用さを感じさせられた。誰かのせいにするわけではなく、自分で抱えていくしかない。その決意は強いが、しかし誰かに助けてもらいながら生きていくほうが楽だ。自分で抱えていくしかない生き方こそが、人間を追い込んでいくのだ。

 真面目に生きていても、ちょっとしたことで歯車が狂い、そして大きな悲劇に結びついていく。そんな日常の恐怖を描いた映画だった。いい映画である。
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