とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

書評『1973年のピンボール』(村上春樹作)(1人称小説と3人称小説)

2019-08-07 06:52:22 | 読書
 村上春樹のデビュー2作目の『1973年のピンボール』を再読しました。この本が発売されたのがちょうど私が高校を卒業したころで、話題になったいたこともあり、次の『羊をめぐる冒険』が発表される前に読んだはずです。ところがこの本、何がおもしろいのか私にはわかりませんでした。今回読んでみて、やはり同じです。あまりおもしろい作品とは思えません。この作品を一番最初に読んだことが、私がその後村上春樹から遠ざかる原因になったのだと思います。

 しかし今回再読して気が付いたことがあります。『風の歌を聴け』は一人称小説でした。しかしこの作品は、1人称小説の部分と、3人称小説の部分が交互にあらわれます。視点についての積極的な取り組みを始めた作品となっているのです。その結果「僕」は、世界とどうつながっていくのかを期待しながら読むという構造を作り出しています。残念ながら「僕」はこの作品の中では世界とつながっていっていません。3人称小説の部分と1人称小説の部分が関連しているようには思えないのです。もちろん作者としては何らかのつながりを意図していたのかもしれませんし、優れた読者ならばそれを読み取っていたのかもしれません。しかし私にはできませんでした。

 とは言え、数多くのピンボールのある倉庫の印象はとても残ります。ピンボールは現代の遺物です。現代は短い生涯を送った商品の遺物がたくさん生まれる時代です。私たちはそんな遺物たちに育てられたのです。それを考えるとやるせないノスタルジーを感じざるを得ません。

 現代は使い捨ての時代です。人間も使い捨てです。そんな中で何かを残したい。だから誰にも意味もなく、誰も気づかないようなピンボールの最高スコアのようなものでも、自分の証として大切にしていくのです。あるいはそれしかないのです。それが拠り所なのです。そのせつなさを感じる小説でした。
コメント
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