まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.人は死んだらどこへ行くのだと思いますか?

2010-10-12 21:04:41 | 生老病死の倫理学
この手の質問は第1回目のときにいくつか出されていました。

Q.人は死んだらどうなりますか?
Q.人間は死んだらどこへ行くのか? また意識はあるのか。
Q.人は死ぬと、本当に天国か地獄に行くのか?

これらの問題については本日、第3回目の授業で取り上げるつもりでしたので、
私の考えもチラッとお話ししようかと思っていましたが、
今日もあわただしく授業をしているうちに、
これらの問いにお答えするのを忘れてしまったかもしれません。
あるいは、ひょっとすると話したんだったかもしれませんが、
念のため、ここでお答えしておくことにします。

この問いに対する答えとしては、大きく分けて3パターン、
そのうちの2番目はさらに3パターンに分けられるので、
全部で5パターンくらいの答え方があるだろうと、
本日の授業の中でご紹介しました。
( → 「死んだらどうなるのか?」 参照)
死んだらどうなるのかは、死んでみなければわからないので、
この5つのうちどれが正解かは誰にもわからないわけです。
ですので、あとはもうどれを信じるのかという選択の問題だけです。
皆さんのなかにも、たぶんAじゃないかなと思うけど、
希望としてはBのなかのどれかだと信じたい、というような答えの人が何人かいました。
日本人の場合は、確固たる死生観をもっている人はそれほどいませんので、
それくらいのゆるい信念の人が多いのではないでしょうか。

それに対して私はというと、
私が選んだからといってそれが正解というわけではない、
ということは重々ご承知おきの上お聞きいただきたいのですが、
たぶん皆さんよりはもうちょっとしっかりした信念として、
「A.何もなくなる、もしくは、骨や灰など物質だけが残りそれ以外のものは何もなくなる」
と考えています。
まあだって、BやCは 「心の慣性の法則」 によって生み出された観念と考えているわけですから、
そりゃあ、結論はAに落ち着くしかないでしょう。
私は、人間の意識や心は脳の働きにすぎないと考えていますので、
脳細胞が死に、脳みそが燃やされてしまえば、
意識や心は消失するだろうと単純に信じています。
これらのことは証明できないので、
もちろんBのように、意識や心が残ると考えたり信じたりすることも可能なのですが、
しかし、脳がなくても意識や心がありうるのだとすると、
そもそも人間に脳みそなんて必要なくなっちゃうんじゃないの、
と逆に考えてしまうので、どうしてもBの可能性は信じ切れないわけです。
というわけでお答えはこうなります。

A.どこへも行きません。天国へも地獄へも行きません。
  骨や灰などの物質だけが残り、意識も心も消滅してしまうだろう、
  と私は考えています。

ま、あくまでも私の個人的信念ということで。
ちなみにCに関しては理解不能なので、考えてみることもできませんでした。
「星になる」 ってどういうことだろう?
空気にはなれるかもしれないけど、「風になる」 ことは不可能なんでは?
ロマンチックな詩の世界としては考えられないこともないけど、
現実の可能性としてCを想像してみることができないのでした。
つまらないヤツで、ゴメンねゴメンね~。


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2 コメント

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だれも知らない世界 (パンパン)
2010-10-12 22:33:05
最近、一番大切なものは何ですか?と立て続けに二人から聞かれ、
「記憶」
と即答してますが、命じゃないんですかと言われました。
記憶(これまでの思い出を含む)もないのに生きていてもね、と理由を話したら神妙な顔をしてました。

死んだらどうなるか、何をもって死とするか、身近な人や自分の病気や怪我など死に直面したときに考えさせられるものの、誰かの考えを知る機会は本当に少ないですよね。
私は、身近な人(大切な人)が亡くなったときに、星になる、または風になる、と考えることが多いんじゃないかと考えます。遠くから見守ってくれる存在、もしくは目には見えないけど近くに感じられる存在として。
私も死後については、もし来世で生きられるのだとすれば、やっぱりなんらかの記憶や意識をもって生まれ変わりたいなぁ、なんて希望をたっぷり込めて考えてますが…
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あれっ、勘違い? (まさおさま)
2010-10-13 10:40:42
パンパンさんが先にコメントを書いてくれたとき、
「なんとなくどなたが書いてくれたのかわかるような気もしますが…」
とコメントバックしてしまいましたが、
http://blog.goo.ne.jp/masaoonohara/e/57e313d8c184d76fb965b91e2d66636bひょっとすると私が思っていた人 (福大の卒業生) とは別の方だったのかもしれませんね。
もしも違っていたとするならば、申しわけありませんでした。

「記憶」 というのは、私たちの 「人格」 そのものですよね。
そういう意味ではたしかに命よりも大事かもしれません。
記憶や意識をもったまま生まれ変わることができれば、
私の言うところの 「比較研究」 ができて好都合だと思いますが、
http://blog.goo.ne.jp/masaoonohara/e/81e8a3db1ec69368fa8a7ca0dcf42152
新しい人生をちゃんと生き直すということはできなくなってしまうかもしれませんね。
難しい選択です。
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