まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

『フィッシュストーリー』 における正義の味方

2013-06-25 20:38:29 | 哲学・倫理学ファック


DVDで 『フィッシュストーリー』 を見ました。
伊坂幸太郎原作の短編小説を映画化したものですが、原作は読んだことありません。
この間、他にも 『アヒルと鴨のコインロッカー』『ポテチ』 など、
伊坂幸太郎原作の映画をそれとは知らないまま何本か見ました。
いずれも原作は読んでいません。
だからかもしれませんが、どれも楽しめました。
どの作品にも最後にどんでん返しがあること、監督が中村義洋であること、
主演ないしはそれに近い重要な役どころで濱田岳が起用されていることなど共通点があり、
どれも似たような作風ではありますが、好きな人はそれぞれ楽しめると思います。
そのなかでも私はこの 『フィッシュストーリー』 が一番お気に入りです。

意外なストーリー展開がこの映画の魅力ですので、ネタバレすることはできません。
映画広告のなかで触れられていた程度で簡潔にまとめると、
発売当時、誰にも聞かれなかった曲 「フィッシュストーリー」 が、時空を超えて人々をつなぎ、
人類滅亡の淵から世界を救う、という物語です。
この映画のテーマは 「正義の味方」 です。
で、映画はたいへん面白かったんですが、この 「正義の味方」 という言葉の使われ方が、
どうも間違っているような気がしてならないのです。
いや、正しく使われているところもあります。
シージャックの犯人たちに立ち向かうヒーローはたしかに 「正義の味方」 でしょう。
しかし、例えば映画 『アルマゲドン』 で、小惑星が地球に衝突するのを防ごうとするヒーローたちは、
はたして 「正義の味方」 という名で呼ばれるべきでしょうか?
たしかに彼らは自らを犠牲にして奮闘する 「ヒーロー (=英雄)」 です。
地球や人類を救っているという意味で 「救世主」 と呼んでもいいでしょう。
しかし、「正義の味方」 ではないと思うのです。

「正義の味方」 と呼びうるためには、正義に反するヒール (=悪役) の存在が必要です。
もちろん、正義概念も突き詰めるととっても難しいので、
シージャックする者と、それに立ち向かう人間と、どちらが正義かということを考え出すと、
キリがなくてドツボにはまっていくことは避けられません。
とはいえ、ある者たちが正義と信じるものがあり、それを乱す敵と戦おうとする者は、
なんにせよ 「正義の味方」 を名乗ることはできるでしょう。
しかし、地球にぶつかってこようとする小惑星は、別に正義に反する存在というわけではありません。
たんなる自然現象にすぎません。
地球人の側からすると人類の破滅をもたらす大災厄ではありますが、
正義か不正義かという価値判断の議論とは何の関係もない、ただの物質なのです。
地震や津波といった天災もまた同様です。
それらの災害から人々を守ろうと努力する人々がいて、
彼らがヒーローであることは疑う余地がありませんが、
その人たちのことを 「正義の味方」 と呼ぶのは間違っていると思うのです。

どうも日本ではウルトラマンあたりから、
この正義の味方という概念が誤用され始めているように思います。
月光仮面仮面ライダーは 「正義の味方」 で何の問題もありません。
彼らははっきりと悪の組織と戦っているのですから。
ところが、ウルトラマンというのはビミョーです。
ウルトラマンが戦う敵は怪獣である場合と、宇宙人である場合があります。
以前に私は怪獣と宇宙人の区別について論じたことがありますが、
バルタン星人のように地球を乗っ取ろうという意図をもって攻めてくる宇宙人と戦う場合、
それは 「正義の味方」 と呼ぶことができるでしょう。
しかし、相手が怪獣である場合 (地球産であれ宇宙外来であれ)、
私たちにとっては害悪をもたらす生き物ですので、
それを 「敵」 と呼びたくなるのは仕方ありませんが、
しかし、彼らは特に理性的意図をもっているわけではないので、
正義に反しているわけではありません。
彼らはただ動物としてああやって暴れるしかないのです。
それはもうこちらとしてもただやっつけるしかありませんが、
彼らと戦ってくれるウルトラマンを 「正義の味方」 と呼ぶことはできないはずなのです。
言ってみればただの害虫駆除のおじさんと同じ存在にすぎないのです。
私たちにとってはたいへんありがたい存在ではありますが、「正義の味方」 ではありません。
まあ、子ども相手の番組でそこまで細かく概念規定することはできなかったんだろうと思いますが、
ウルトラマンは正義の味方という見解が1960年代以降定着するにつれて、
日本での 「正義の味方」 概念が歪んでしまったのではないかと私は考えています。

伊坂幸太郎の小説でも一貫して 「正義の味方」 という概念が使われているのでしょうか?
プロの小説家がどこまで日本版 「正義の味方」 概念に毒されているのかいないのか、
そのうち読んで確かめてみたいと思います。
その言葉の使い方さえ気にしなければ、とても面白い映画ですのでぜひご覧ください。
そして私は、「正義の味方」 というときの 「正義」 概念と、
ロールズサンデルで有名になった 「正義論」 の文脈における 「正義」 概念が、
どこまで共通の根を有していて、どこから話がズレていってしまうのか
いずれ論じてみたいと思っていますが、
考えてみるとこれがなかなか厄介な問題なのでもう少し時間をかけて考えてみたいと思います。


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