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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

八月蝉いっ!

2015-07-31 14:57:21 | 人間文化論
暑いですね

そして、セミがこれでもかというくらい鳴きまくっています。



その鳴き声が暑さをいや増してくれています。

窓を閉め切った研究室のなかで聞く分にはまだ耐えられますが、

駅や駐車場から研究室にたどり着くまでのあいだの鳴き声といったらとんでもない騒音で、

もう 「八月蝉いっ と大声で叫びたくなるほどです。

いや、もちろんちゃんと知ってますよ。

「うるさい」 の正しい当て字は 「五月蠅い」 であることくらい。

でも5月のハエなんかより7~8月のセミのほうがはるかに騒々しいと思うんですけど。

(今年は7月から絶好調で鳴きまくっていますが、震災直後は7月は静かでしたね。)

というわけで私としては今後 「八月蝉い」 の表記でいきたいと思います。

それにしても鳴きまくっています。

大学の敷地内だけでどれだけいるんでしょう?

役目を終えた死体もゴロゴロ転がっています。

建物から出た一歩目でセミの死体を踏んづけてしまった、

なんていう悲惨な被害届も耳にしました。

私は研究棟のなかに入ったら開いてる窓は片っぱしから閉めて回っていますが、

大学には窓を開けたがる自然派の人もいらっしゃるようで、

「自然の驚異」 も何度か発生しており、研究棟内でもいくつか死体を目にしました。

先日の飲み会である方がこんなことをおっしゃっていました。

「ミンミン鳴いてるのを聞いてるとセミってどれだけいるんだろうって思うけど、

 それと同時に、地中にはその7倍のセミが生息してるんだよなあと想像すると怖くなるんです。」

うわあ、イヤなこと聞いちゃったなあ

地中のセミのことなんて今まで一度も考えたことなかったのに…。

これからはセミの鳴き声を聞くたんびに土の中のセミのことまで思い出しちゃうじゃないか。

以前にワイパーのことを教えてくれた学生がいたけど、

そういうよけいなことを指摘して意識を喚起しちゃう人って本当に困ります。

なんだか今年から自然の驚異が7倍に増えた気がします

温水洗浄便座、海外拡散中!

2015-07-03 08:16:08 | 人間文化論
昨日、「ウンコしてもキレイ」 という記事を書いたばかりですが、

その夜テレビを見ていたらこんなニュースをやっていました。

「“爆買い” で中国便の遅れ相次ぐ 注意呼びかけへ」(NHK NEWS WEB、7月2日 9時32分)

たぶんそのうちリンク先は見られなくなってしまうので、ここに引用しておきます。

成田空港で中国人観光客などが、出発直前に大量の土産物を購入し、機内持ち込みの荷物の制限を超えるケースが相次ぎ、中国行きの便の出発の遅れにつながっていることが分かりました。成田空港会社は、乗客に注意の呼びかけを始めることになりました。
旅客機の乗客が機内に持ち込める荷物は、航空会社ごとに大きさや数の制限があり、日本の大手航空会社の場合、身の回り品に加え、定められた大きさを超えない荷物1個とされています。
ところが、成田空港では、中国人観光客の多い中国行きの便で、スーツケースなどを預けたあとの乗客が、出発直前に免税店で大量の土産物を購入し、荷物の制限を超えるケースが相次いでいるということです。制限を超える荷物を貨物室に積み込む作業が必要となるため、出発が遅れる便も出ていて、ある航空会社ではことし3月、こうした遅れが中国行きの便のおよそ3割で確認されたということです。
このため、成田空港会社は、乗客に対し、機内に持ち込める荷物の制限に注意するよう呼びかけを始めることになり、3日から免税店に注意点の掲示を行うことにしています。成田空港会社は「荷物の制限を超えた場合は、時間に余裕を持って航空会社に申告してほしい」と話しています。

このWEBニュースのなかでは触れられていませんが、

昨日見たテレビニュースでは、空港の免税店に温水洗浄便座が売られている様子や、

それを買って機内に持ち込んでいるという説明が付されていました。

温水洗浄便座が 「爆買い」 されているんですかっ、スゴイなあ

やはり政治的対立なんかあっさり乗り越えて、いいものはいいと、

優れた文化は国境を越えて伝播していくんですね。

このニュースを検索しているなかでこんな記事も発見しました。

「なぜ中国人は日本で 『便座』 を爆買いするのか」(東洋経済オンライン、2015年04月22日)



日本を訪れた中国人観光客が 「爆買い」 をしていってくれるのだそうですが、

温水洗浄便座は、化粧品、医薬品に次いで第3位の売り上げなんだそうです。

素晴らしいっ

さらにこの記事を書いた筆者の中島恵 (なかじまけい) 氏はこんな著書も出版しているそうです。

中島恵 『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』(中公新書ラクレ)

なるほど。

ブックレビューを見てみると、嫌韓反中のヘイト言説が溢れかえっているなかで、

「中国人の日常」 や 「日本に対する本音」 を伝えてくれている良書のようです。

これは読んでみなければ。

とにかく、まずは中国からだな。

「トイレに行っても手は洗わなくていいんだ運動」 の海外進出拠点は中国に決定いたします。

ウンコ してもキレイ

2015-07-02 18:33:14 | 人間文化論
もうだいぶ前のことになりますが、「チンコはキレイ」 という内容のブログを書いたことがあります。

小学校のときの先生が 「オシッコしたからって手なんか洗わなくていいんだ」 と教えてくれたという、

たいへん懐かしい、そしてきわめて私好みのお下劣なお話です。

小学校5、6年生のころの話ですから、もうかれこれ40年以上も前のことです。

あれから長い年月が経って、さまざまなテクノロジーが飛躍的な発展を遂げました。

それに伴いトイレ文化もすっかり様変わりしてしまいました。

私は幼少のころから洋式便器でないと大きな用を足せない人間でしたが、

20年前に福島大学に着任したころは、学内のどこにも洋式便器がなくて難儀したものでした。

駅や街なかのビルなんかでも洋式便器にお目にかかることはなかなかできませんでした。

その後少しずつあちこちに洋式便器が設置されるようになって、

私のトイレット生活もだいぶ快適になってきたころ、大きな変化が生じました。

温水洗浄便座 (いわゆる 「ウォシュレット」) が普及しはじめたのです。



初めて登場したのは1980年のことだそうですから、けっこう前の話です。

しかし、それが普及するのにはものすごい時間がかかりました。

私が着任した1994年の時点で福大には洋式便器すら整備されていなかったわけですから、

温水洗浄便座なんて夢のまた夢だったわけです。

一般に普及し始めたのは21世紀に入ってからくらいじゃなかったでしょうか。

ちなみに相馬の看護学校は13年前の開校当初から洋式便器ではありましたが、

ずっと温水洗浄便座ではなく、昨年の後期にやっと温水洗浄便座が導入されて、

私は今年度から初めてお尻を洗えるようになったのでした (上掲の写真が相馬のトイレです!)。

そんなこと言ったら白河はもっと遅れていて、

白河駅のトイレは昨年やっと和式から洋式に変わりましたが、

こんなタイミングであるにもかかわらずウォシュレットではありませんでした。

この日本発の素晴らしき文化が世界中のお尻を幸せにするにはまだまだ時間がかかりそうです。


ちょっと話が脱線してしまいました。

私は長いこと 「洋式便器でないと用は足さない」 をモットーにしてきましたが、

21世紀に入ったころから 「温水洗浄便座でないと用は足さない」 に宗旨替えしました。

常に行く先々で温水洗浄便座の配備されたビルやお店を確保しておいて、

いつでもお尻を洗えるような態勢を整えておくようになったのです。

もちろん自宅でも大学でも必ずお尻は洗っています。

洗わずに直接トイペで拭いたりすると必ず血まみれになり、激しく痛んでしまいます。

もはや私にとって温水洗浄便座は不可欠の文化であり、これなしで生きていくことはできないのです。


さて、そういう生活を送っていると、トイペというのはもうお尻を拭く (ふく) ためのものではありません。

お尻を洗い終わったあとにお尻についている水を拭う (ぬぐう) ためのものでしかないのです。

もっとはっきり言いましょう。

私はもはやトイペでウンコを拭いてはいないのです。

ウンコはすでに除去されていて、皮膚に残った水を拭いているにすぎないのです。

その場合、トイペを使った私の手は汚れているでしょうか?

例えば、お風呂に入ったりシャワーを浴びたあとバスタオルで身体についた水滴を拭きますが、

そのあとわざわざ手を洗ったりしますか?

洗いませんよね。

だってキレイになった身体の水分を拭き取っただけですからね。

まあバスタオルはトイペより厚いので、

バスタオルを通して手に汚れが付いたりはしないからという考え方もできますが、

そもそも身体を拭いたバスタオルを、濡れたとみなすことはあったとしても、

身体を拭いたことによって汚れたとみなしたりはしないですよね。

だとすると温水洗浄便座を使用したあとトイペでお尻を拭いたとしても、

その行為によって拭くのに使った手が汚れたりするわけではないのではないでしょうか?

つまり、あの先生の教えをもじって言うならば、「温水洗浄後のお尻はキレイ」 なのであって、

「温水洗浄便座でウンコしたからって手なんか洗わなくていいんだ」

ということになるのではないでしょうか。

私たちは長年の習慣で、トイレで用を足したら (小であれ大であれ) 手は洗うこと、

という文化を身につけ、それが当然だと思うようになっていますが、はたして本当にそうなのか?

40年前にその常識の前半部分に対する懐疑を植え付けられた私は、

40年経って、その後半部分にも根源的な懐疑を突き付けるようになったのでした。

今後は、「トイレに行っても手は洗わなくていいんだ運動」 を全国に広げ、

さらには、ウォシュレットの普及とともに全世界へと拡張していきたいと思います。

Q.法律も文化から来たんですか?

2015-06-26 17:49:46 | 人間文化論
もう1週間以上前の話になってしまいましたが、川口高校での講演会で、
感想用紙にこんなことを書いてくれた人がいました。

「今日の講演を聞いて、人間は文化がないと生きていくことすらできないことがわかりました。
 そこで質問です。法律も文化からきたんですか?
 私達は、これからもずっと、文化を大切にしないと未来すらみえなくなってしまうと思ったので、
 私は、今からできることを探して、次の子供達に文化というすばらしいことを教えたいと思いました。
 今日はありがとうございました。」

私の話をとても深く理解してくださっていて、本当に有り難いかぎりです。
この感想のなかで質問もいただきました。

「Q.法律も文化からきたんですか?」

とてもいい質問ですね。
というか、いつもならちゃんと無形の文化の話もしているんですが、
今回は話の結論 (人はなぜ学ばなければいけないのか?) を急いでしまったため、
文化にも2種類あるよ、という話を省略してしまいました。
申しわけありません
お答えしましょう。

A.法律ももちろん文化 (人間が生み出したもの) のひとつです。
  法律は道具類とは異なる、無形の文化になります。

文化というのは、本能とは異なり、遺伝によって親から子へと伝えられる能力ではなく、
人間が生まれたあとに後天的に生み出していくものすべてのことである、とお話ししました。
イスや鉛筆や制服や私服や体育館など、
また、横穴式住居や高床式住居や高層ビルディングなどを例に出して、
私たちの身の回りにあるものはすべて文化だというふうに説明させていただきました。
そういうモノとしての形がある道具はわかりやすいと思いますが、
形がなくとも人間が決めたきまりごとのような、無形の文化もたくさんあります。
最初に挙げた言語というのも無形の文化ですね。
文字が生まれるとそれはもう有形の文化みたいな感じがするかもしれませんが、
文字が生まれたのはほんの数千年前のことであり、
それ以前の何十万年、何百万年のあいだは書き言葉というものはなく、話し言葉だけでした。
話し言葉だけだとすると無形の文化という感じがわかってもらえるのではないでしょうか。

形がなくとも、人間たちが決めたきまりはすべて文化です。
お互いに挨拶をするというきまりも文化ですし、
人の話は黙って聞くというきめごとも文化です。
人間には誰かと出会ったら挨拶をしてしまうという本能はありませんし、
誰か人が話していたらそれをじっと黙って聞いてしまうという本能もあるわけではありません。
人々が長い時間をかけて、お互いにそういうふうにしようねという文化を築き上げただけです。
そういった慣習とか道徳と呼ばれるようなきまりごとはすべて文化ですし、
それらのなかから成文化され法律として定められるようになったルールも文化です。
質問者の方は、法律も文化から来たんですか、と聞いてくださいましたが、
もともとあった慣習や道徳といった文化から生まれてきたという意味ではその通り、
「文化から来た」 という言い方もできますが、
誤解を避けるためには、法律もまた文化である、と言い切ったほうが正確でしょう。

無形の文化としては、さまざまな制度もまた文化と言うことができます。
「学校」 というと皆さんは校舎や校庭や教室といった形あるものを思い浮かべるかもしれませんが、
学校にとって大事なのはそういう目に見える建物ではなく、
血のつながっていない子どもたちを一箇所に集めて、
血のつながっていない専門職の大人がみんなに文化を伝えていくという仕組みが学校なのです。
人間は子どもたちを教育するためにそういう制度を考え出しました。
でも別に、そういう制度でなければ子どもを教育することができないというわけではありません。
それぞれの家庭で、血のつながっている親が自分の子どもに文化を伝えたってよかったわけですし、
じっさい人類は長い間そうやって学校なんてなくとも文化の伝達を行ってきました。
講演のなかで話したように文化というのは、自然本能によって決定されているわけではないので、
自由にどんな形のものでも新しく生み出すことができます。
ひょっとすると何十年、何百年後には学校という文化、制度もすたれて、
みんな自分の部屋でパソコンに向きあって文化を習得するという時代が来るかもしれません。

家族というのも制度・文化です。
ほとんどの生物は産んだら産みっぱなし、産まれたら産まれっぱなしで、
家族というものなど形成しません。
群れを成す動物はいますが、群れと家族は別物ですね。
鳥類や哺乳類など高等な動物になってくると家族に近いものが形成されてきますが、
その場合もその形態はさまざまです。
人間の場合の家族は本能によって作るのではなく、制度・文化として家族を作っているだけですから、
一夫一婦制であったり、一夫多妻制であったり、多夫一妻制であったりと多種多様です。
どの制度でなければならないということはなく、
それぞれの社会が一番いいと考える制度を選択しているだけにすぎないのです。
したがって、今後みんながそのほうがいいと考えるようになれば、
夫婦別姓制度になるかもしれませんし、同性婚も認められていくようになるかもしれません。
すべては文化なのです。

よけいなところまで話してしまいましたが、
そういうふうに文化のなかには形のないものも多々あって、
法律というのもそのようなタイプの文化なのです。
文化ですから、どんな内容のものであってもみんなで決めればそれは法律にできます。
昔は王様や貴族だけが優遇されるような法律が決められている時代もありました。
現代では民主主義という制度 (文化) が選ばれて、国民みんなが納得でき、
みんながそれによって幸せになれるような法律しか定めてはいけないことになっています。
しかし、民主主義の国であっても政府は自分たちに都合のいいような法律を望み、
国会がそうした法律を制定してしまうということが起こりえます。
君たちは18歳になったら選挙権を得ることになるでしょう。
そのときに、ちゃんと国民のことを考えて国民のためになる法律を制定してくれる人を選べるよう、
社会のことをきちんと学び、判断力や思考力を高めておいてほしいと思います。
何が国民にとってよいことか、日本はどういう国になっていったらいいのか、
ただひとつの正解があるわけではない難しい問題ですが、
その難しい問題を考え抜く力を養っていってください。

誰にも気づかれない都会的ハイライト

2015-06-24 17:52:53 | 人間文化論
先日、15年くらい前の恥ずかしい写真をアップしましたが、

多くの皆さまから 「宅八郎みたい」 という暖かい声をかけていただきました。

ありがとうございました。

あの記事の最後にこう書いておきました。

「こんな懐かしい写真を今さらアップしたのは、

 実はこれとは別にご報告したいことがあるからなのですが、

 それはまた別の機会に譲ることにいたしましょう。」

本日はその別件のご報告です。

実はあの記事を書いたとき、Facebook のほうで、

当時を知る卒業生から 「また、やってみたら?」 なんていうコメントをいただいていたのですが、

実はそう言われる前にもうやってみていたのです。

さすがにもうこの歳ですからロン毛はムリですが、いつもの美容師さんが一緒に飲んでるときに、

ミョーに 「小野原さん、染めてみませんか」 と営業をかけてきていて、

ついその誘いに乗ってしまったのです。

彼がススメてきたのは昔で言うなら 「メッシュ」 ですが、

最近はもうそういう言い方はしないそうで 「ハイライト」 と言うのだそうです。

彼自身もそんなふうに部分的に染めていて、

彼の場合は染めている部分が外から見てはっきりわかるのですが、

「小野原さんの歳であんまりはっきり外からわかるように染めちゃうと下品だから、

 髪の毛をかきあげたときに茶色いところが見えるような都会的ハイライトにしましょう。」

たしかにこの歳で、メッシュにしたつもりが全体的にマッキンキンになったりしたら恥ずかしいですし、

これ見よがしに部分染めしているのがわかるというのもイヤらしいし、

とはいえいつまでもただの白髪染めのみというのも悔しいし、

というわけで、その耳慣れぬ 「都会的ハイライト」 というものに挑戦してみることにしたわけです。

これが何と言うか、自分的には出来上がりにけっこう満足していたんですが、

結果論として言うならば大失敗でした。

誰にも気づかれないのです。

てつカフェ仲間にも、ゼミ生にも、妻にも、本当に誰にも気がついてもらえないのです。

「ねぇ、ねぇ、何か気がつかない?」 とわざとらしく相手の目の前で髪の毛をかきあげてみせても、

まったくだーれも気がついてくれないのです。

これではせっかく勇気をもって挑戦してみた意味がありません。

それにしてもなぜ気づかれないんだろう?

こういう感じなんですよ。



反対側はこう。



わかりにくいですか?

まあ自分は毎日見慣れてるからわかるけど、

他人から見たら、ただの白髪染めの茶髪にしか見えないんですかね?

あ、髪洗った直後とかならわかってもらえるかな?



やっぱりダメ?

というわけで、誰にも気づいてもらえない都会的ハイライトのご報告でした。

伊藤さん、誰にも気づかれませんでしたよ、どうしてくれるんですか?

本日から 「がってん」 スタート!

2015-06-11 18:45:05 | 人間文化論


告知が遅くなってしまいました。

本日から福島大学人間発達文化学類の美術の4年生たちによるプレ卒展 「がっ展」 が、

MAXふくしま4階のA・O・Z (アオウゼ) で開催されています。

福大の皆さんは生協大学会館前に巨大な立て看が立っていますので、すでにご存知のことでしょう。

彼らの展覧会は毎年ヘンな名前が付けられるので印象的ですが、

「!」 とか 「○○○○展」 とか 「レ展」 などなど)

今年は 「がってん」 だそうです。

そうですか。

いろいろと思いつくもんですね。

今年のポスターは少し離れて見ないと、近くで見ても何やらよくわからない、

なかなかシャレたデザインになっています。

日曜までなので週末出張が控えている私はちょっと行けないかもしれませんが、

お時間のある方はぜひ足を伸ばして見に行ってあげてください。

福島復興支援エレキライブ

2015-04-14 16:03:13 | 人間文化論
先週末のてつカフェは、人生のパートナーについて大いに語り合いました。

毎度のことながら、テーマ設定の妥当性も含めて、

そもそもパートナーとは何か、人生とは何か、人生のパートナーとは何なのかと、

根源的な議論が交わされました。

初めての 「イヴのもり」 もたいへん知的な雰囲気の漂う会場で、

哲学対話をよりいっそう刺激してくれましたし、

2次会も美味しくて身体によい料理と聞いたことのないたくさんのカクテルで盛り上がりました。

帰り際、オーナーの齋藤さんからイベントの告知をお願いされました。

今度の日曜日、イヴのもりが主催する復興支援ライブがテルサで開催されるそうです。

福島と仙台のエレキバンドが競演するライブだそうで、懐かしい曲をいろいろ聴けるようです。

例によって私は福島を留守にしているため行けませんが、

皆さまぜひお誘い合わせの上、足を運んであげてください



 福島復興支援エレキライブ
場所 : イベントホール・テルサ FTホール
日時 : 4月19日 (日)
      13:30~ 開場
      14:00~ 川俣パワーズ
      15:00~ 仙台ベンチャーズ
入場チケット : ¥1,000 (全席自由)
お問い合わせ : 菜と根の会 090-5843-4686(齋藤)

福島総シャイーン☆祭

2015-03-27 13:05:42 | 人間文化論
今週の日曜日、こんなイベントがあるそうです。



福島総シャイーン☆祭 Vol.1
【日時】3/29(日) 開場14:30 開演15:00 (終演18:00予定)
【場所】パセナカmisse 1F 交流スペース
【料金】チケット制(2,000円)
【出演】本園太郎BAND/Shyiine Band 2014/白石ひかり


シャイーンバンドのベーシストはたぶんぼくの知り合いですが、

残念ながら私はまだ実際に聴きに行ったことがありません。

そして、残念ながらこの週末も引き続き追い込まれているので、

このイベントに参加することはできないでしょう。

ああ、残念

早くこのトンネルから抜け出したいものです。

ちなみにシャイーン☆せいやんのウェブサイトを見てみると、

「シャイーン」 という言葉に込められた意味が説明されていました。

「シャイーンとは、東日本大震災の後に
 『自分にできることは何なんだろう…』 と真剣に悩んでたどり着いた答えです。
 <シャイーンに込めた3つの意味>
 1.誰もが輝いている(他者肯定・信頼) [Shine シャイン]
 2.シャイでいいんだ(自己受容・プラス変換) [Shy シャイ + iine いいね]
 3.地球と言う会社の社員なんだ(共創・相互支援) [社員 しゃいん]
 誰もが輝いている。
 だけど、多くの人はそのことに気付いていない。
 人の欠点が見えてくる。
 ダメなことばかりの世の中に見えてくる。
 未来なんて真っ暗だ。
 そんなことはない!
 世界は素晴らしいんだ!!絶対にあきらめない!!」

「福島総シャイーン☆祭」 のイベント名に込められているのもこういうメッセージなのでしょう。

ぜひみんなこのイベントに参加して、

シャイーンと輝く地球社員になっちゃいましょう!

平成26年度卒業・修了記念演奏会

2015-03-09 18:48:56 | 人間文化論
「てつがくカフェ@ふくしま特別編5」 は大盛況のうちに終了することができました。

ご参加くださった皆さま、ありがとうございました

おかげさまで、福島で暮らす人々のさまざまな不安や苦悩をお聞きすることができましたし、

福島県外の皆さまからも心配する声や励ましのお言葉を頂戴することができました。

何より鎌仲ひとみ監督がエネルギッシュにてつカフェを引っ張ってくださいましたので、

いつになく活性化した対話を楽しむことができました。

もろもろの事情が重なって参加できなかった皆さまも、

映画 『小さき声のカノン ―選択する人々』 はフォーラム福島で3週間ほど上映しますので、

この機会にぜひご覧ください。

前売り券 (特典DVD付き) も引き続き小野原が販売中です。


さて、てつカフェ特別編の興奮もさめやらぬ週明けですが、

今週の土曜日 (3月14日=ホワイトデー) には、

福島大学人間発達文化学類と大学院の音楽科の人たちによる、

卒業・修了記念演奏会が開催されます。

音楽堂で14時開演です。

いろんな演奏が (しかもそれほど長くない曲を) ランダムに聴ける、

素人にもたいへんとっつきやすい演奏会です。

私は毎年楽しみにしていて、ぜひ聴きに行ってあげたいところですが、

今年はちょっとムリだろうなあ

研究生活史上サイコーに追い込まれています。

とりあえずこうしてブログで告知できたことだけでも奇跡のようです。

卒業生・修了生の皆さん、これで勘弁してください

みんな最後の演奏がんばってね


今日から IN 展!

2015-02-27 10:46:47 | 人間文化論
今日からA・O・Z (アオウゼ) で 「I N展」 が始まります

なんだかこのところ美術関係のイベントの告知ばかりですね。

先日告知した 「卒展」 は、

9日間も開催されているからゼッタイ見に行けるだろうとタカをくくっていたのですが、

このところの追い込まれ具合が尋常ではなく、けっきょく見に行くことができませんでした。

残念

「I N展」 は福島大学大学院の芸術文化領域の人たちの展覧会です。

こちらは来週の水曜日まで6日間の開催です。

今日とりあえず私は、このところ追い込まれていた研究発表をしに東京に行くのですが、

そこである程度ゴーサインがもらえれば少しは気がラクになり、

美術鑑賞をする余裕も生まれるでしょう。

とはいえ4月にはもっと大きな締切が待ち構えていますので、

そんなに余裕ぶっこいているわけにもいきません。

ましてや万が一、今日ゴーサインがもらえなかったりした日には、

これから地獄の日々が続くことになり、美術鑑賞なんて夢のまた夢と化すでしょう。

はたしてどうなるやら、院生の皆さん、乞うご期待です。



最悪のケースも考えられますので、皆さん私の代わりに見に行ってあげてください

「黒と朱」 記念上映+トークイベント 「黒塚」

2015-02-25 12:58:09 | 人間文化論
今度の土曜日の18時からフォーラム福島でこんなイベントが開催されるそうです。



これだけだとよくわかりませんね。

詳細はこちら。



平山素子さんというのはダンサーで、

以前から福島大学の美術教員、渡邊晃一さんと組んでいろんなイベントをやっていらっしゃいました。

今回は 「黒と朱」 という、安達ヶ原の鬼婆伝説をテーマにした身体表現によって、

原発事故後の福島を問いかける10分ほどの映像作品を制作したとのことで、

その記念上映会とトークイベントが催されます。

渡邊さんは先日の 『悪童日記』 でやったシネマ de てつがくカフェに来てくださいました。

感情を抜きにして理性的・客観的に観察・記述することの意義について意見を述べてくださいました。

入場は無料ですが先着72名までだそうです。

開場は17:45だそうですが、確実に見たいなら早めの来場をオススメします。

私は残念ながらその日は福島にいないので参加できません。

興味のある方は私の代わりに見てきて、どんな感じだったかご報告ください。

卒展2015

2015-02-03 23:50:19 | 人間文化論


明後日からスポーツ・芸術創造専攻の美術分野4年生たちの卒業制作展が始まります。

まだ2月になったばかりだというのにもう開催です。

去年は2月20日からでした。

それくらいの時期のほうが卒業制作展らしい感じがしますが、

まあ本来、卒業制作の締切は卒業論文と同じで、

1月末 (今年の場合は2月2日) には出来上がっているんでしょうから、

そこからあまり時間が空いてしまうと4年生がいつまでも卒業制作から解放されず、

卒業旅行とかにも出かけられなくなってしまうのでしょう。

というわけで明後日から開催です。

そして今年は会期が長いです。

9日間もやっています。

たぶんどこかの段階で見に行くことができるでしょう。

今年のキャッチフレーズは 「4年間じっくり磨きました」。

で、ポスターのデザインはダイヤモンドになっています。

4年間じっくり磨きをかけた、美を生み出し自己を表現する業を堪能させていただきましょう。

皆さんもぜひどうぞ。

2015年 福島大学美術分野4学年 卒業制作展
【会期】 2015年2月5日(木)~13日(金)
     10:00~18:00 (13日のみ~16:00)
【会場】 福島県文化センター3F

なんちゃって正月ディスプレイ

2015-01-24 23:48:44 | 人間文化論
先月飾ったクリスマスディスプレイを年が明けてもずっと出しっ放しにしていたんですが、

この度やっと模様替えすることができました。

本来、お正月用のディスプレイというのはこんな感じに作り上げたいのですが、



三が日がとっくに過ぎたどころか、成人の日もセンター試験も過ぎてしまいましたので、

さすがにお正月飾りというわけにもいきません。

そこで今回は日本酒セットでなんちゃってお正月な雰囲気を醸し出してみることにしました。

ジャーン、これです。



日本酒は、特に自宅ではそんなに飲んでいるわけではないのですが、

こうやって並べてみるといろいろと持っているものです。

そして、今回のディスプレイの主役はこちらです。



これはたしか有田で買ってきたんだったと思いますが、

磁器でできた枡のセットです。

宴会用の一気飲み遊びのためのもののようです。

大中小3個の枡とサイコロがついています。

枡の裏側にはこんなふうに書かれています。



「壹升」、「五合」、「壹合」 と書かれています。

サイコロには 「壹升」、「五合」、「壹合」 のほかに 「唄」、「踊」 等の文字が並んでいます。

サイコロを振って出た目にしたがって歌を歌うか、踊りを踊るか、

指定の量のお酒を飲むという遊びができるセットのようです。

もちろんこれらの枡は小さいものですから本当に1升や5合や1合も入るわけではありません。

測ってみたところ「壹升」 のものは50cc、「五合」 は25cc、「壹合」 は10ccほどでした。

一気飲み遊びと言ってもこれなら心配ないでしょう。

いや、日本酒だったらやっぱりヤバイかな?

1度でいいからこれ使ってみたいと思っているのですが、

実際にこれを使って遊んだことはまだありません。

やはり一気飲みなんて今どきもう流行りませんよね。

こうしてたまのディスプレイでフィーチャーしてあげるくらいがちょうどいいのでしょう。

興味ある方はうちへいらしてみてください。

ビール限定でお試しいただきたいと思います。

「善知鳥」 のお節と元日散歩

2015-01-03 13:02:09 | 人間文化論
今年の元日はマスオさん状態で迎えました。
のんびり起き出してお義父さんに続いて朝っぱらから初湯に浸かり、
遅めの朝食というか早めの昼食というか、由緒正しい元日のブランチをいただきます。
お義母さんが作ってくれるお節料理も美味しいのですが、
今年は近所の和食屋さん 「善知鳥」 のお節料理を仕入れてきました。
Facebook には、

「『善知鳥』 って読めないだろうなあ。これで 『うとう』 と読みます。青森の地名らしい。
 倫理学的にちょっとカッコいい。善知鳥な1年でありたい。」

とか知ったかぶって偉そうに書き込んでしまいましたが、それに対して、

「『善知鳥』 は世阿弥作と目される物狂い能の傑作とされていますね」 とか、

「棟方志功の版画に善知鳥版画巻というのがありましたね。
 善知鳥は北国に生息する海鳥でその肉は美味だったとか。伝説もあるらしいですよ」

等々のコメントを頂戴してしまい、
どうやら善知鳥は誰もが知ってる常識だったらしく恥ずかしい思いをしてしまいました。
その 「善知鳥」 のお節料理ですがこんな感じです。
まずは2段のお重がちゃんと新年仕様に飾られています。



開けてみるとこういうラインナップ。



比較対照すべき物を並べておかなかったので大きさがわかりにくいかもしれませんが、
これは一人前ではありません。
一家団欒用のお節料理です。
ちゃんとお品書きがついていて、壱の重、弐の重の中身が明記されています。



ひとつひとつアップにしてみましょう。
こちらが壱の重。



壱の重のお品書きのなかに 「黒豆」 と書かれていましたが、
黒豆はお重とは別に瓶詰めされていました。
そして、こちらが弐の重。



これらとは別に竹の子と比内地鶏の炊き込みご飯が付いていて (お茶碗2杯分くらい)、
さらに青森の地酒 「縄文明水」 の300ml瓶も付いていました。
ひとつひとつがどれもむちゃくちゃ美味いです。
これにお義母さん作のお雑煮がプラスされ、



由緒正しい元日のブランチの完成です。
昼前からスパークリングワインも開けて、優雅なひとときを過ごしました。

天気は全国的に大荒れと聞いていましたが、東京は雪が降るでもなくそこそこ晴れていましたので、
午後になってからツレと2人で散歩に出かけました。
ところが外に出てみると相当寒いです。
風もけっこう強いし。
そこいらをのんびりとぶらぶらするつもりでしたが、
とてもじゃないけど寒くてやっていられません。
どこかに避難してあったかいコーヒーでも飲もうということになりました。
とはいえ元日です。
喫茶店がやっているか心配です。
特にアテはありませんでしたが、靖国神社のほうに行けば人出は多いはずですし、
参拝客を目当てに営業している喫茶店もあるだろうと踏んでそちらに足を伸ばしました。
靖国神社のところまで来るとこんな呼び込み文句が。



そんなこと言われても残念ながらうちは初詣の習慣はありませんし、
とりわけ福島県民 (いわゆる賊軍側) である私は靖国神社の思想と相容れません。
というわけで一歩も足を踏み入れることなく素通りさせていただきます。
まあ、これが別の神社であったとしても寒くて寒くて初詣する気にはなれなかったでしょう。
さてある程度読みは当たり、近辺の飲食店は元日だというのに営業していますが、
ラーメン屋やら餃子屋やらステーキ屋など、「善知鳥」 のお節で満足している私たちには、
まったくお呼びでないお店ばかりで、喫茶店はお休みのところばかりでした。
あきらめて泣き帰ろうかと思い始めたときにこんなお店がやっているのを見つけました。



チェーンの喫茶店ですが、どうもこのお店デジャブな感じがします。
なんだっけと思い出そうとしているとツレはすぐに 「あ、仙台のあの店だ」 と思い出しました。
そうです。
ツレがギックリ腰を患って、それでも何となく大丈夫そうで仙台で買い物して回ったあと、
喫茶店で一息ついてからまったく身動きが取れなくなってしまった、
あの日あのときのメモリアルなお店がこのチェーン店だったのです。
だいぶ調子がいいもののまだ全快したわけではないので験を担ぎこの店は回避することにしました。
まあ1軒やっていたなら他にもやってるところはあるだろうと期待をかけたのです。
するとちょっと先にチェーン店ではない良さげな店を見つけました。



店の外に木馬が並べられている、雰囲気のある喫茶店です。
すぐに入ってまずは暖を取り、カフェオレやらココアやらを注文しました。
ここまで歩いてきて冷え切っていましたので、身体の芯から暖まることができました。
お店で相当のんぴりとぬくもりをためこみましたが、再び店を出たらすぐにその熱は奪われ、
とても歩いて帰る気力はなく、たった1メーターの距離ですがタクシーで泣き帰りました。
ここ数年、東京の三が日は晴天に恵まれとても暖かいことが多かったのですが、
今年は本当に寒い元日となりました。
東京以外はどんなことになっていたんでしょうか?
福島が大雪に見舞われていないことを祈っています。

謹賀新年2015!

2015-01-01 21:04:39 | 人間文化論
あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願い申し上げます

昨年2014年は年末に総選挙があり惨憺たる結果となってしまいました。

そのちょっと前には福島県知事選挙もありまったく盛り上がらないまま終了しました。

1年を振り返って2014年を漢字1字で表すと何?なんていうベタな振りをされて、

はじめのうちは 「憂」 とか 「絶」 とか、あるいは 「独」 とか 「茶」 といった、

全体的政治状況を表す物悲しい漢字しか思い浮かばなかったのですが、

私の1年は別にあの総選挙の結果 (あるいはそこに至るプロセス) に尽きるわけではありませんし、

他にもいろいろあったはずだと思ってもう一度じっくり振り返ってみました。

そして思いついたのは 「映」 の1文字でした。

映画の 「映」 です。

2014年は 「シネマ de てつがくカフェ」 に始まり、「シネマ de てつがくカフェ」 に終わった1年でした。

福島市の文化発信拠点である 「フォーラム福島」 さんとタッグを組んで、

1月の 『ハンナ・アーレント』 に始まり、4月の 『ある精肉店のはなし』

11月の 『DANCHI NO YUME』 と3本の映画で 「シネマ de てつがくカフェ」 を行わせていただき、

いずれもこれまでで最多の参加者数を記録することができました。

他にも3月の 「特別編4」 では牧野英二著 『「持続可能性の哲学」への道』 を取り上げてシンポを、

8月には森一郎著 『死を超えるもの―3.11以後の哲学の可能性―』 を取り上げて

「哲学書 de てつがくカフェ」 を開催し、ひじょうに高度な議論を交わすことができました。

また、その牧野氏や森氏らと共に高千穗大学での連続講演 「危機の時代と哲学の未来」 に招かれ、

「民主主義の危機と哲学的対話の試み」 と題して、

「てつがくカフェ@ふくしま」 の取り組みについて報告してきました。

そんなこんなでこの1年は何かにつけ 「てつがくカフェ@ふくしま」 中心の1年でしたが、

それらをひっくるめて1字で表すと 「映」 かなと振り返ってみたわけです。

今こうして書きながらもう一度考えてみると、てつがくカフェの 「カフェ」 と、

茶色の朝の 「茶色」 を重ね合わせて 「茶」 でもよかったのかなとも思いますが、まあよしとしましょう。

さて、今年2015年はどんな1年になるのでしょうか?

あいかわらず 「てつがくカフェ@ふくしま」 のほうは絶好調です。

1月9日にはフォーラム福島で 『悪童日記』 で 「シネマ de てつがくカフェ」 を、



2月7日にはTUKTUKで 『愛する人に東横インをプレゼントしよう』 で 「本 de てつがくカフェ」 を、



3月の7日か8日あたりにはやはりフォーラム福島において、

鎌仲ひとみ監督最新作 『小さき声のカノン』 で 「てつがくカフェ@ふくしま特別編5」 を開催予定です。



こんなに先まで予定が決まってるなんて世話人の皆さんはなんてがんばってるんでしょうか。

この1年も 「てつがくカフェ@ふくしま」 中心の1年になるのかもしれません。

このまま疾走を続ける所存です。

応援のほどよろしくお願い申し上げます