まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

セミの一生

2011-08-06 07:56:20 | 生老病死の倫理学
また 「自然の驚異」 の季節がやってきました。

今年は梅雨明けしたすぐの頃に一時期、セミが鳴いていないと話題になったことがありましたが、

私としてはセミって7月ではなく8月の風物詩でしたので、

いくらなんでもまだセミの季節じゃないだろう、

なんでもかんでも地震や放射線のせいにしすぎなんじゃないのと思っていたところ、

案の定8月に入ったら例年どおり、というか例年以上にミンミン鳴き始めました。

本当に今年はいつもよりもセミが多いのではないでしょうか?

大学の建物から出るとこんな感じです。



見にくいかもしれませんが、このわずかのスペースに4匹もの死骸が転がっています。

ちょっと一番右下のところにズームイン。



これでも見にくいですが、とにかくセミの死骸です。

引きの写真は意味がないので撮りませんでしたが、

もっと引いて見ると最初の写真の密度くらいでそれはもうこれでもかというくらいに、

大量のセミの死骸が転がっているのです。



私は中学生や高校生や大学生相手にやるいつもの講演のなかで、

人間と対比するためにセミの話をすることがあります。

セミは7年間もずーっと土のなかにいてからやっと外に出てきます。

出てきてああやってミンミン鳴いているのは性交相手を見つけるためです。

そうして相手を見つけて性交し、卵を産む頃にはもう彼らは寿命を迎えて死んでしまうのです。

なんと儚い、あっという間の生涯なんでしょう。

でもそれでいいのです。

彼らは自分の遺伝子を次の世代に伝えさえすればいいので、

子どもができたらそれでもう役目を終えるのです。

それに比べて人間の場合は本能が壊れた動物ですから、

遺伝子だけを伝えても子どもは生きていくことができない。

人類が生き残っていくためには子どもを産んだあとに、文化を伝えていかなくてはならないのです。

文化を伝えることが人間の使命ですから、人間は子どもを産めなくなったあとも長く生きます。

どこかの都知事が 「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」

なんていう暴言を吐いていましたが、昔小説家だったこともあるくせに、

あの人はこれっぽっちも人間のことをわかっちゃいません。

セミとは違い人間には、遺伝子を伝えるだけではない人生の意味があります。

セミの鳴き声を聞いたり、セミの死骸を見るたびに、

人間とは何かについて思いを馳せてしまうのでした。


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