goo blog サービス終了のお知らせ 

団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

治療厳しくても「あきらめないで」

2023-02-23 01:07:40 | 日記
【がんがつなぐ足し算の縁】笠井信輔(30) 岡村孝子さんの闘病 
2023年2月21日

 治療厳しくても「あきらめないで」





 市民公開講座に一緒に登壇した岡村孝子さん(右から2人目)。闘病体験は共感することが多かった 

 「背骨を6カ所骨折しました」
 寝ているだけで骨折…。穏やかに話す歌手の岡村孝子さんの白血病闘病エピソードは衝撃的でした。

 今月12日に名古屋市の名古屋国際会議場で開催された「日本造血・免疫細胞療法学会」主催の市民公開講座。

 急性白血病を乗り越えた岡村さんのトークライブが行われ、私も司会者として参加しました。

 岡村さんを突如襲った白血病。当初は「ここまで精いっぱい生きてきたから、仕方がないかな」と思ったそう。

 これに激しく共感しました。

 私も最初は「ここまで幸せな人生を歩ませてもらったので、少し短いけど納得しなければ」と「死」を受け入れようと思っていたからです。

 しかし、シングルマザーで、当時お嬢さんはまだ大学生。このお嬢さんが、岡村さんの「生きる力」の源になっていました。

 先が見えない治療に落ち込んでいると、「復活コンサートのセットリスト(曲順)を考えよう」と、お嬢さんがニューアルバムや岡村さんの代表曲を集めたテープを作って持ってきてくれて「そうか、復活しなきゃ」と思った、と話す岡村さんはとても幸せそうでした。

 そのテープの中に入っていたのが岡村さん作詞・作曲の名曲「夢をあきらめないで」。

 一緒に司会をした大谷貴子さん(35年前に白血病を患い、日本骨髄バンク創設の原動力となったレジェンド)が「闘病中に交際していた彼氏からこの曲をプレゼントされ、毎日聞いて励まされました」と告白すると、「今は応援歌とされていますが、実は私の失恋を歌った歌なんですよ」と明かす岡村さん。

 大谷さんはすかさず「私、その直後に病床で失恋したんです。やっぱり!」(笑)。

 厳しい治療で骨粗しょう症になり背骨を骨折までしてしまったエピソードには本当に驚かされましたが、トークライブは和やかに進みました。

 同じ抗がん剤経験者として驚いたのが、「抗がん剤治療では一度も戻さなかった」というエピソードです。

 今は制吐剤(吐き気止め)が素晴らしく進歩していて、悪性リンパ腫の私が戻さなかっただけでなく、白血病患者でも戻さない人がいるというのは福音だと感じました。

 「抗がん剤を怖がり過ぎない方がいい」。

 これは登壇した3人の共通意見でした。

 しかし、抗がん剤の後の治療「臍帯血(さいたいけつ)移植」では、自分の白血球をゼロにしなければならず、その薬の副作用で「毎日吐く」日々。

 やはり大変な治療を乗り越えてこられたのです。

 約5カ月後に退院。「移植後3年間は慎重に」と忠告を受けたそうですが、待ちきれずに2年で復帰コンサートを開催したというのは、穏やかな性格の裏にある、岡村さんの芯の強さと行動力を象徴していました。

 「ステージに上がると、ファンの皆さんが泣いているのが分かり、自分も泣かないように客席を見ないようにして歌った」なんていいお話も。

 最後に白血病と向き合っている皆さんに対してはこんなメッセージを。「頑張ってってなかなか言いづらいのですが、私は頑張ってって言われてうれしかったので、頑張ってください」。
 岡村さん、それ私と全く同じです。
 (次回は3月7日です)

 かさい・しんすけ 1963年生まれ。フジテレビのアナウンサーとして情報番組「とくダネ!」などを担当。フリーになった直後の2019年、血液のがん「悪性リンパ腫」のステージ4と診断された。現在は、がんが体から消える「完全寛解」の状態。59歳。

 以上です。

>最後に白血病と向き合っている皆さんに対してはこんなメッセージを。「頑張ってってなかなか言いづらいのですが、私は頑張ってって言われてうれしかったので、頑張ってください」。

 そうなんだ。
 「頑張ってください」と言うことが、プレッシャーになると思っていましたが、患者さんに取っては嬉しいんだ。

 これからは、「頑張って」と言おうと思います。





岡村孝子 『夢をあきらめないで』(Official Full ver.)





私はまず政治家や高級官僚は、マイナンバーカードを持っていないのではないかと疑っています。

2023-02-22 00:01:46 | 日記



 中日新聞の社説に下記の記事が載っていました。

 マイナカード 政府の強引さ目に余る
2023年2月20日


 マイナンバーカードの用途拡大や普及を巡り、政府や一部自治体の取り組みに強引さが目立つ。賛否が分かれるカードの押し付けは制度に対する国民の不信を強めるだけだ。再考を促したい。

 政府は、年金や児童手当の振込先として行政機関が把握する口座情報をマイナカードにひも付ける新制度を導入する方針だ。

 利用者が拒否しなければ、同意がなくても登録できる案が有力視される。

 さらに社会保障と税、災害対策に限定した利用範囲を、国家資格更新や自動車登録、在留外国人関連の事務などにも拡大。

 政府が番号を扱う事務や照会の範囲も、法改正なしで広げられる仕組みに改めるという。いずれも今国会に提出を予定するマイナンバー法改正案に盛り込む。

 ただ、口座のひも付け案は、個人の資産を行政が把握することへの国民の警戒感が強く、以前も断念した経緯がある。

 利用範囲の拡大は情報漏えいに加え、利用者の知らないところで政府に勝手に名寄せされ、悪用される恐れも高める。

 政府の個人情報保護委員会によると二〇一七~二一年度の五年間で少なくとも三万五千人分のマイナンバー情報の漏えいなどが起きた。

 安全性に対する懸念や監視社会への不安が解消されていないにもかかわらず、利用範囲を強引に拡大するのは乱暴極まりない。

 岡山県備前市は保育料や給食費などを無償とする対象を、新年度から家族全員がカードを取得した世帯に限定するという。教育の機会均等に抵触しかねず、住民らの反発は当然だ。

 背景にはカード交付率を地方交付税算定に反映させる政府方針がある。

 自治体間の財政不均衡を調整する交付税を、特定政策の誘導に使うことは慎むべきである。

 政府はカード取得者にポイントを付与する普及策を進めるが、取得率は一月末時点で約六割にとどまる。

 来年秋に現行の健康保険証を廃止し、カードに一本化する事実上の義務化も打ち出した。

 そもそもカード取得は任意であり、強引な普及策は逆効果だ。

 政府がカード普及を必要とするなら、用途や利用範囲の拡大などを強引に進めるのではなく、安全性をより高める制度設計に努め、国民の懸念を払拭することが先決ではないか。改正案の今国会提出は見送りを求めたい。

 追加で、下記のような記事も載っていました。

 マイナ事業、84%無競争 カード発行法人の発注
 2023年2月19日 


 マイナンバーカード発行業務などを担う「地方公共団体情報システム機構(J―LIS)」が発注したマイナンバー関連事業のうち、競争入札を実施せず任意の業者を選ぶ随意契約か、

 1事業者しか入札に参加しない一者応札の割合が84%に上ることが19日分かった。

 予定価格に対する契約額の割合が高水準の事業が多数あり、一部の国内大手企業に契約相手が偏っていることも判明した。

 機構は売買契約などに際し一般競争入札の実施を原則としているが、実態とは隔たりがあることが浮き彫りとなった。

 随意契約や一者応札の場合、競争が働かないことでコスト高となる可能性がある。

 機構には多額の税金が投入されており、複数事業者の中から契約先を選べるよう発注を工夫するなどし、支出を抑える努力が求められる。

 機構は国と地方公共団体が共同で運営する法人。

 マイナンバーカードの発行に加え、関連システムの運営などを手がけ、マイナンバー制度の中心的役割を果たしている。

 この主な企業に、NTTや富士通などの大手企業の名前が載っていました。

 以上です。

 政府は強引にマイナンバーカードの拡大を図っていますが、何やら胡散臭いものを感じます。

 利権が、いっぱいあるように思います。

 高級官僚は、天下り先が増えて喜んでいるのでは。

 私はまず政治家や高級官僚は、マイナンバーカードを持っていないのではないかと疑っています。

 マイナンバーカードを持てば、自分の財産や健康状態がバレてしまいます。

 こんな事を政治家や高級官僚が許す訳がありません。

 今は隠している個人情報があからさまに知られてしまう事は、政治家や高級官僚に取って都合が悪いに決まっています。

 自分たちが、国民の個人情報を知るのに役立つからやっていると思います。

 そうすれば財務省や厚生労働省は、大いに助かるでしょうね。

 国民からすれば自分の個人情報を政府に知られ悪用される危険性。
 また個人情報の流出の危険性があります。

 すでにマイナンバーカードの流出があったようです。

 政府はシステムなどの構築、運用は、大手のソフト会社に任せています。

 ここからの漏れの危険性もありますし、ハッカーからの危険性もあります。

 このあたりは、政府を信用出来ないと思います。

 ヘタしたら、世界中に自分の個人情報が漏れるやら知りません。

 危なくて仕方ありません。

 私はマイナンバーカードを作るつもりはないですが、政府にいつまで逆らえるか心配です。





【歌詞付き】セカンド・ラブ / 中森明菜

<道草のすすめ> 恩師のように温かく 16年かけて教諭に

2023-02-21 02:03:53 | 日記
  中日新聞の<道草のすすめ>というタイトルで、下記の記事が載っていました。




 今日は、途中で座り込まずにトイレに行けた。

 文字が一つ、書けるようになった。

 滋賀県内の特別支援学校高等部の教諭、田村桐子さん(49)=米原市=は、そんなふうにゆっくりと、だけど着実に成長していく生徒たちの姿を見られる毎日に、この上ない喜びを感じている。

 それは回り道を経て、教諭になるまで計十六年かかった自身の姿とどこか重なる。

 小さい頃から引っ込み思案だった。人前に出るのが苦手で「要領が悪く、休み時間も参考書を開いているのに成績は良くなかった」。

 両親は共に教諭だったが、学校は良い高校、良い大学を目指すために勉強させられる場所という印象で、同じ道に進む気は起きなかった。

 考えが変わったのは大学四年の時。就職の相談に乗ってくれた元教諭との出会いがきっかけだった。頭ごなしに否定せず、個性を尊重してくれる人柄に心を打たれた。

「自分もこんな教諭になりたい」と教壇を目指すようになると、一緒に教員採用試験の対策をしてくれ、小論文のアドバイスももらった。

 だが、どれだけ対策して臨んでも本番になると緊張して力が出せない。望まない結果が入った封筒を何度も受け取り、そのうち薄さだけで「落ちたな」と分かるようになった。

 周囲からは諦めるようにも言われた。採用されたり、別の道を進んだりする周囲と自分を比べては、気分がふさいだ。「もうやめよう」。何度も思った。

 それでも、「おまえなら大丈夫」と言い続けてくれた人がいた。

 就職の相談に乗ってくれた、あの恩師。卒業後も会いに行くなど関係が続いていた。

 温かい言葉に励まされ、臨時講師や非常勤講師、時には工場勤務のアルバイトもしながら、採用試験を受け続けた。

 臨時講師の立場で初めて特別支援学校に勤めることになった時、もう三十歳を超えていた。障害のある子どもたちは、授業を受けたり、ご飯を食べたりと、自分が当たり前と思っていたことにも苦労していた。

 人よりペースが遅くても大丈夫。そうやって子どもたちを支える仕事は「自分では良くないと思っていた要領が悪い部分が、プラスに生かせるんじゃないか」と感じた。

 大学で国文学を学んでいたため国語の教諭を目指していたが、進路を少し変えて特別支援学校の試験に挑むようになり、二年目でついに合格通知を受け取った。

 十六回目の挑戦だった。「他人から見ると遠回りだと思うけど、いろいろやってきたからこそ今の喜びに出合えた」。心からそう思える。

 早く結果を出したい。だけどうまくできず、自分が嫌になる。そんなふうに生きてきた。

「ゆっくりと成長していく子どもたちの姿を支える仕事はそのまま、自分自身を肯定することにもつながっている」。

 遠回りしたからこそたどり着けた場所で得られた幸せを、かみしめている。
 
 以上です。

 16回目の挑戦で、念願の教諭になられたんですね。

 素晴らしい!

 この目標が叶えられたのは、就職相談に乗ってくれていつも励ましてくださった恩師のおかげですね。

 それと国語の教諭から特別支援学校の教諭に方向転換されたのが、功を奏したようです。

 特別支援学校の教諭が、田村さんの天職だったように思います。






TSUNAMI サザンオールスターズ

やっと昔の同僚に連絡できました。

2023-02-20 00:31:03 | 日記
 スマホを買った時に、以前からLINEをやろうと言っていた以前の会社の同僚に、「スマホにしたからLINEができます」とメッセージを書いてLINEを飛ばしました。

 これが2020年の12月11日。

 何の音沙汰もないので、彼の携帯に電話しました。

 繋がりません。

 固定電話に電話しても、誰も出ませんでした。

 年賀状に「連絡して」と書いたにもかかわらず、何の反応もなかったです。

 つい最近何気なく彼のLINEを見ていたら2021年1月9日に、私のフルネームを書いて、「あなたに間違いないですか?」と書かれていました。

 なんとひと月後に連絡がありました。

 LINEに私は住んでいる市と苗字を書いたのですが、これで分かると思っていました。

 今年の2023年2月12日に「間違いないです」とLINEしましたら、しばらくして「そうだったんだ」と返答が来ました。

 脳梗塞を患ってデーサービスに通っていた昔の同僚の奥様から、去年の年賀状に「これから年賀状はやめます」と書かれていました。

 コロナ禍になって彼に電話していなかったので、症状が悪化して施設に入ったんだと思いました。

 ところが先の同僚から「LINEで年賀状のやり取りをしている」とLINEに書かれていましたので、1昨日の午前に彼の携帯にかけて見ましたが、繋がらなかったです。

 夕方再度携帯に電話しますと繋がりました。

 「デーサービスから帰って来たところだ」と言いました。

 「何で年賀状をやめたの」と聞いたところ「手に支障が起こって年賀状を書けなくなった」と言いました。

 話をしていると途中で切れてしまいますので、「また来月デーサービスから帰った時間に電話する」とメーセージを打ちました。

 コロナ禍の前は毎月1回彼に電話していましたので、これからも毎月1回電話しようと思いました。









元気を出して 竹内まりや&松たか子

やっと坂を上りきった時、どこからか「こんにちは」という天使のような声がしました。

2023-02-19 00:11:56 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「うれしいギフト『こんにちは』」というタイトルで、72歳の男性が投稿されていました。


 私は毎日、畑仕事をしています。

 畑からの帰り道、上り坂を越えないと我が家に着かないので、必死に自転車のペダルを踏んでいました。

 やっと坂を上りきった時、どこからか「こんにちは」という天使のような声がしました。

 私は首を振ってキョロキョロ。

 そこには三歳くらいの女の子が立っていました。

 私は、思わず「こんにちは」と返しました。

 数日後、再び天使の「こんにちは」という声がしてきました。

 今度は「こんにちは。いつもありがとうネ」と返しました。

 その子はおまけに手まで振ってくれました。

 こんな小さな子からあいさつしてしてもらうと、今までの疲れがどこかへ行ってしまい、ただニコニコとしている自分がいました。

 気持ち良くペダルを踏んでいると、公園へ遊びに行く小学生の男の子たちが、元気な声で「こんにちは」と言ってくれました。

 私も負けないように、大声で「こんにちは」と返しました。

 大人からあいさつされるのもうれしいが、元気な子どもたちの声には、あいさつのほかに、おまけとして生き生きとしたエネルギーがついてます。

 とてもうれしいギフトです。

 私も子どもを見ると、つい「こんにちは」と言いたくなります。

 私が住んでいる町は、そんな幸せな所です。

 以上です。

 私は挨拶が苦手です。

 子ども時代に大人に向かって挨拶したなんて、皆無だと思います。

 社会人になって、初めてまともに挨拶が出来るようになりました。

 今は散歩をしていて、同じく散歩をしている人に出逢うと挨拶を交わします。

 挨拶の後、何かを話すまでにはなかなかいきませんが・・・。











MISIA Everything