【がんがつなぐ足し算の縁】笠井信輔(30) 岡村孝子さんの闘病
2023年2月21日
治療厳しくても「あきらめないで」

市民公開講座に一緒に登壇した岡村孝子さん(右から2人目)。闘病体験は共感することが多かった
「背骨を6カ所骨折しました」
寝ているだけで骨折…。穏やかに話す歌手の岡村孝子さんの白血病闘病エピソードは衝撃的でした。
今月12日に名古屋市の名古屋国際会議場で開催された「日本造血・免疫細胞療法学会」主催の市民公開講座。
急性白血病を乗り越えた岡村さんのトークライブが行われ、私も司会者として参加しました。
岡村さんを突如襲った白血病。当初は「ここまで精いっぱい生きてきたから、仕方がないかな」と思ったそう。
これに激しく共感しました。
私も最初は「ここまで幸せな人生を歩ませてもらったので、少し短いけど納得しなければ」と「死」を受け入れようと思っていたからです。
しかし、シングルマザーで、当時お嬢さんはまだ大学生。このお嬢さんが、岡村さんの「生きる力」の源になっていました。
先が見えない治療に落ち込んでいると、「復活コンサートのセットリスト(曲順)を考えよう」と、お嬢さんがニューアルバムや岡村さんの代表曲を集めたテープを作って持ってきてくれて「そうか、復活しなきゃ」と思った、と話す岡村さんはとても幸せそうでした。
そのテープの中に入っていたのが岡村さん作詞・作曲の名曲「夢をあきらめないで」。
一緒に司会をした大谷貴子さん(35年前に白血病を患い、日本骨髄バンク創設の原動力となったレジェンド)が「闘病中に交際していた彼氏からこの曲をプレゼントされ、毎日聞いて励まされました」と告白すると、「今は応援歌とされていますが、実は私の失恋を歌った歌なんですよ」と明かす岡村さん。
大谷さんはすかさず「私、その直後に病床で失恋したんです。やっぱり!」(笑)。
厳しい治療で骨粗しょう症になり背骨を骨折までしてしまったエピソードには本当に驚かされましたが、トークライブは和やかに進みました。
同じ抗がん剤経験者として驚いたのが、「抗がん剤治療では一度も戻さなかった」というエピソードです。
今は制吐剤(吐き気止め)が素晴らしく進歩していて、悪性リンパ腫の私が戻さなかっただけでなく、白血病患者でも戻さない人がいるというのは福音だと感じました。
「抗がん剤を怖がり過ぎない方がいい」。
これは登壇した3人の共通意見でした。
しかし、抗がん剤の後の治療「臍帯血(さいたいけつ)移植」では、自分の白血球をゼロにしなければならず、その薬の副作用で「毎日吐く」日々。
やはり大変な治療を乗り越えてこられたのです。
約5カ月後に退院。「移植後3年間は慎重に」と忠告を受けたそうですが、待ちきれずに2年で復帰コンサートを開催したというのは、穏やかな性格の裏にある、岡村さんの芯の強さと行動力を象徴していました。
「ステージに上がると、ファンの皆さんが泣いているのが分かり、自分も泣かないように客席を見ないようにして歌った」なんていいお話も。
最後に白血病と向き合っている皆さんに対してはこんなメッセージを。「頑張ってってなかなか言いづらいのですが、私は頑張ってって言われてうれしかったので、頑張ってください」。
岡村さん、それ私と全く同じです。
(次回は3月7日です)
かさい・しんすけ 1963年生まれ。フジテレビのアナウンサーとして情報番組「とくダネ!」などを担当。フリーになった直後の2019年、血液のがん「悪性リンパ腫」のステージ4と診断された。現在は、がんが体から消える「完全寛解」の状態。59歳。
以上です。
>最後に白血病と向き合っている皆さんに対してはこんなメッセージを。「頑張ってってなかなか言いづらいのですが、私は頑張ってって言われてうれしかったので、頑張ってください」。
そうなんだ。
「頑張ってください」と言うことが、プレッシャーになると思っていましたが、患者さんに取っては嬉しいんだ。
これからは、「頑張って」と言おうと思います。
岡村孝子 『夢をあきらめないで』(Official Full ver.)