がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

最高裁判所の構成

2008年05月04日 | Weblog
2008年05月04日 12時39分記載

ご存知の通り、最高裁判所は15名の裁判官から構成されている。それでは、その内訳はどうなっているか。

現在の最高裁は、生え抜き裁判官が6名、検察官出身者が2名、内閣法制局出身者が1名、厚生省出身者が1名、弁護士出身者が4名、学者が1名である。



最高裁裁判官の定年は70歳であり、定年退官に伴い人の入れ替わりはあるが、この構成内訳はほとんど変わらない。検察官枠や厚生省枠の所に外務省出身者が入ることがあるくらいである。



ここで注目すべきは、司法官僚を含めた官僚出身者で15名の過半数が押さえられているということである。

これは、最高裁大法廷の判決では絶対に「官」の意見が通るということである。裏返して言えば、「官」の意見を絶対に通すために最高裁はこの構成内訳を守っていると言える。



実は、我が国では、行政府だけでなく、司法府も「官」が支配しているのである。



たまに「人権派」と言われる弁護士が最高裁裁判官の職に就くが、これは単なる「官」の演出に過ぎない。

行政府が審議会で反対派の委員を少し入れるのと同じである。そうすると中立・公平っぽい感じがするのである。

しかし、「人権派」裁判官の意見が、反対派委員の意見が通ることは絶対にない。



政府寄りの最高裁の姿勢を転換させるには、この最高裁の構成内訳を認識し、変えていくよう声を上げていくしかない。差し当たって出来ることとしては、国民審査で意思表示を行うことであるが、実際に国民審査で罷免された裁判官はおらず、現実に罷免することは難しいと思うが、それでも、意思表示を行わないよりは良いと思う。




もの言えぬ人々

2008年05月04日 | Weblog
2008年05月03日 23時59分記載

一昨日・昨日と、二夜にわたりTBSのNEWS23にて「もの言えぬ人々」というタイトルで特集が組まれ、放送された。

番組では、①自衛隊の情報保全隊による市民活動の監視と「ブラック・リスト」の作成、②映画「靖国」の上映中止、③プリンスホテルによる日教組「集会拒否」、④立川ビラ配り事件での最高裁による有罪判決、⑤東京都教育委員会の君が代斉唱をしない教員への処分、などの現実に起こった出来事を通して、我々の周囲に漂う“もの言えぬ空気”の正体が何であるのかを追っていた。



①について
なぜこれが大問題になっていないのかと思うほど、大きな問題であると私には感じられた。写真ジャーナリストの森住卓さんは、イラクの劣化ウラン弾による被爆の惨状を記録した写真展を全国で開催していることを「反戦的である」として監視され続けている。他にも、イラク戦争反対のデモ行進をしていた団体・個人などをリスト化している。「問題がある」というレベルではなく、違法な個人情報の収集ではないのか。もっと多くのメディアで取り上げてもらいたい問題である。

国家機関が何の目的もなく、情報収集をするわけがない。収集した情報を何かの機会には必ず、情報を収集された団体・個人に不利益になる形で使われると考えておくべきである。

自衛隊という実力部隊が、思想・信条に深く関わると考えられる情報を収集し、リスト化している事実をもっと深刻に捉えるべきである。



②について

映画「靖国」の試写会に自民党の稲田朋美議員を中心とした議員団が「押しかけている」のを私が初めて見たのはNEWS23においてであった。

それを見た時私はとても驚いた。「こんなの検閲だろ。」と。(ちなみに、最高裁は検閲の定義を非常に厳密に設定し、検閲に当たる行為を極力排除している。別言すると、事実上の検閲を行いやすくしている。※参考までに最高裁の定義した検閲概念を紹介しておく。<最高裁大法廷判決昭和59年12月12日>「検閲とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるもの」 この定義からすると自民党議員等の行為は当然「検閲」には当たらないことになる。)


映画「靖国」の試写会に出席した議員の中心となっていた自民党の稲田朋美議員は、会見で色々と持論を述べているが、与党議員が(即ち権力者が)、公開前の映画の試写を要求し、その映画に関して(どのような名目であれ)否定的な見解を披瀝することが、どれほどの影響を与えるかをよくよく考えておかなければならない。今回の稲田朋美議員の行為は、人権の感覚が鈍いとしか言いようのない行為であったと私は思う。



③について

いまだにプリンスホテルは事の重大さを理解していないようだが、この件については多くのメディアでも取り上げられ、プリンスホテルが強く非難されているので、このままプリンスホテルのような反社会的企業を糾弾し続けてもらいたい。

本ブログでは2008年2月16日の記事で本件について記載しているので、本件に関するこれ以上の言及はここではしない。



④について

最近は、警察・検察が特定の意図を持って、法律を執行していると強く感じる。立川ビラ配り事件でもそうだが、私が警察・検察が意図を持って捜査・起訴を行ったなと強く感じたのは、草薙厚子氏著 講談社発行の「僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実」に関して、少年の調書を漏洩したとして崎濱盛三医師「だけ」を秘密漏示罪で逮捕・起訴した件である。

崎濱盛三医師が真に罪を犯したのか否かはこれから進められる裁判によって判断されることになるが、私の疑問はなぜ崎濱盛三医師だけなのかということである。

崎濱盛三医師は逃亡のおそれもないのに逮捕され、関係各所を家宅捜され、起訴された。

しかし、草薙厚子氏は逮捕されていない。講談社の家宅捜索も行われていない。真に不思議な逮捕・起訴である。草薙厚子氏は当然共犯として逮捕・起訴され、講談社も家宅捜索を受けなければおかしいだろう。

なぜ警察・検察はそうしなかったのか。

ジャーナリストや出版社へ情報を提供する者へ圧力をかけたいがためであろう。見せしめである。

警察や検察という強大な権力を持った国家機関が特定の意図を持って行動を取っていることにもっと我々は敏感になるべきである。



崎濱盛三医師の公判を強い関心を持って見ていきたい。



⑤について

石原慎太郎が知事をしていることが強く影響しているのだろうと思うが、一言で言って「やり過ぎ」である。

国民が国家斉唱を強制されなければならない実質的根拠は何もない。知事が変わってこの窮屈な状況が改善されると信じたい。強権的な石原都知事が変わっても、現在のような状況が続くようであれば、処分された教師も裁判で争っていくべきだろう。(寡聞にして知らないが、既に裁判で争っている人がいるのかもしれない。)



憲法学者であった宮沢俊義先生の言葉に「濫用できない自由は、もはや自由でではない。」という言葉があるが、全くもってその通りだと思う。

濫用しろとは言わないが、ガチガチに何かの型にはめ込んで、その中でのみ「どうぞご自由に」などというものは自由でもなんでもない。

読売あたりは、しきりに「自由には責任が伴う。」などとわかったようなことを言っているが、全ての自由に責任が伴うわけではない。例えば、思想・良心の自由に責任は伴わない。おかしな誘導は止めてもらいたい。



このがんじがらめの窮屈な社会を固定化し、さらに悪化させないように、真の自由の気風を我々は追い求め続けていかなければならない。



国家機関が認める枠内だけでの「自由」など自由ではない。