おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

大倉山から東急で一本でMarkIsのみんなの庭に 甘夏が一杯

2019-02-02 | 日記

 大倉山からはいつものみなとみらいに。

みんなの庭は、柑橘類が鈴なりです。

鳥に食べられていませんでした。

5階のオ-ビスも企画展はなく人が少なかった。

お昼はいつものうどん屋さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

3日(日曜日)には、長谷寺の節分会に行ってみようと思っています。

12時から豆まきです。1時間ぐらい前に行かないと豆まきの会場に

入れません。

今日は、鏡リョウジさんの「占星術夜話」からです。

紀元前2世紀ごろになると、星の配置を書き込んだ「ホロスコープ」が

大量に現れるようになる。

さらに、より天文学が進むと、天文暦が作られるようになり、

占星術家は星ではなく数表ばかりを追うようになっていく。

ましてや現代の占星術家たちは、

星空を見上げることがめっきり少なくなってしまった。

占星術で用いるホロスコープは、

今やコンピューターのプログラムが瞬時に算出してくれる。

  そればかりか、未来の星の位置も、

相性を見るときに必要な二人のホロスコープを重なり合わせる作業も、

高度な現代占星術の統計的な演算も、コンピューターならごく簡単だ。

  確かに、この情報機械のおかげて、占星術の技法はかつてない進歩を遂げている。

 

 しかし、その反面、プリンターが吐き出す大量のデータに埋もれながら、

美しい星空を見上げる余裕を、現代の占星術家は失っている。

実際、自分の誕生星座を即座に指し示すことのできる占星術家は、

どれほどいるだろう。

 

 僕の友人、星読みの小僧の言葉は、

占星術の原点が星のもたらす透明で神秘的な直観

だったということを思い出させてくれた。

大の運行に国家のいきさつを読み取るうとした神官たちにとっても、

星に未来への願いと祈りをかける気持ちは、同じだったはずではないだろうか。

 

 そして、そんなイマジネーションと

感受性を回復することができたら……。

それこそ、現代人にとって未来の予言や性格分析などよりも、

ずっとずっと大切な、占星術の使命なのだと僕は思うのだ。

 (美しい星空をみあげれば から)

国立天文台歴計算室 今日のほしぞら 

https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/skymap.cgi

朝6時に起きて南の空を見ると

三日月と金星が良く見えます。木星も。

僕は、手を合わせて「ありがとう」と。

一日が健やかに生きてゆくことが楽しめるように感じます。

最近、清水義久さんの影響でチャクラが開いたのではないかと

いろいろな奇跡が起きます。

1週間程前に、清水さんのセミナ-に参加している仲間が、

清水さんに合格を祈って貰おうかと迷っていました。

最近、そのような願い事すると怒られます。

いいよ。僕が祈ってあげるからと。

結果は、合格しちゃったと早速電話をいただきました。

僕の人生を振り返って見ると学校関係のことでいつもラッキ-なことが起きています。

子供たち3人や姪っ子の大学入学と希望の学校に入学しました。

でも特別なことをしたわけではありませんが。

娘の時には、試験中ず-と祈っていましたが・・・・・

そのことを思い出します。

勿論、希望通りに入学して、いまでは2人の子持ちです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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