新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

事改めて「岸田文雄氏論」を

2024-01-27 09:33:48 | コラム
岸田文雄氏は政権維持に凄まじいばかりの集中力を見せている:

今週は丸三日間新聞も読まず、テレビは相撲の所だけ見ていた状態で、朝から晩まで湯治に集中していた。その間に物を考える時間が幾らでもあったので、TK博士と交換したメールで「岸田総理/総裁が何故政権の維持に並々ならぬ集中力を見せるのか。故安倍晋三元総理と安倍派に対して敵意と形容しても良いような態度を見せるのか」について意見交換をしていたのを思い出した。大要下記のようになっていたので、さらに私見も書き加えていこう。

岸田文雄氏は第一次安倍政権誕生の頃から「親しき間柄にある安倍晋三氏は自分を正当に評価しており、何時の日か政権を円滑に禅譲してくれるもの」と信じて疑わなかった感があった。だが、故安倍氏は一向に譲ってくれないばかりか、8年間安倍氏を支えてきた(岸田氏にとっては天敵の)菅義偉官房長官を選んだのだから、心中穏やかならざるものがあっただろう事は容易に察しが付くだろうという事。

故安倍晋三元総理はその総理大臣として実績から判断すれば「人を見る目がなかったようだ」としか思えない程、閣僚の人事が拙劣だったと見ている。その点は第一次内閣でも明らかだったし、第二次内閣の閣僚の最初の人選が最高到達点であり、その後は改造される度に閣僚に質というか能力不足の者ばかりを選んでおられた点からも実証されていた。だが、それでも岸田文雄氏を見る目は確かだったかのようで、遂に禅譲されなかった。

私個人(と言って良いと思うが)は岸田文雄という政治家は安倍政権では長い間外務大臣に起用されていたが、あの韓国政権との「不可逆的合意」によって戦時中の慰安婦と呼ばれた特殊の職業の女性たちの問題に決着を付けたとの実績が目立っていたが、際立った手腕を見せて貰った記憶がなかった。また、そこにあの政調会長としての発案だった30万円給付が滑ったところで、政治家として命脈が絶たれたと見ていた。

それが、如何なる着想だったのか菅政権下で「党内最高の実力者・二階俊博氏を蹴落とす役職者の任期1年論をぶち上げて」脚光を浴びる存在にのし上がり、遂には菅前首相の辞任の後を受けての選挙では、小石河連合を蹴散らして見事に総理/総裁の座を勝ち取って見せたのだった。

嘗て「政界は一寸先が闇」と喝破した有力者がいたが、岸田氏は奮起して「一寸先は光明だ」と立証して見せたのだった。しかも、首班指名を受けたかと思えば解散に持ち込んでまた勝ってみせるという、端倪すべからざる存在である辺りを内外に誇示したのだった。

当方は岸田文雄氏をご当人が自己を評価しておられるだろう程には有り難い総理大臣だとは見ていない事は、今日までに繰り返して指摘したので、ここには詳細を取り上げない。だが、端的に言えばモグラ叩き風に発生した事態には対処されてきたが、今日までの成果を見れば殆どが自分の手柄にはなるかも知れない外交問題か、政界内向けの事ばかりだった。

即ち、国民の生活を少し手も楽にするような物価高抑制の効果的な政策や、およそ我が国三百数十万社もある会社の中の90%超を占める中小の小の分野の会社まで行き渡るような賃上げの策や、円安の克服に対する実効性がある施策を打ってきてはいなかったのではないかと批判してきた。その辺りは、支持率の10%台への低下が実証していると思うのだ。

そこに、この度の神戸学院大学の上脇博之教授による「収支報告書不記載の告発」が検察に受理されるという事案が勃発したのだった。結論から言ってしまえば「岸田総理が取られた策は『派閥は悪の温床』とでも決めつけたかのような、突如して麻生副総裁にも諮っておられなかったと報じられている(会長を辞したばかりの)の岸田派解散を唱えて、標的と定めたのだろう安倍派に強烈な揺さぶりをかけて見せたのだった、26日の国会開会の前に。

マスコミの論調は岸田総理に迎合したのか、自らそれが正当な判断であり、あるべき報道の姿勢と見たのか、派閥解消をあるべき形のように報じているし、安倍派五人衆の離党か議員辞職まで促すかのような報道までが出てきた始末だ。その流れを見た自由民主党の隠然たる力を残している古老が「岸田総理があれほどまでに政権維持に執着しているとは」と驚きを表明したとの記事もあった。

私の見方は極論かも知れないが「岸田総理/総裁は政治が乱れてきた上に、収支報告書不記載への告発に端を発した事態への対応を子細に見れば、国民の為になるような政策などはそっちのけで、某古老が指摘した政権維持への努力と執念が表れているだけではないのか」と見えてしまうのだ。さらに言えば『最悪の場合、自由民主党の分裂』の事態をも厭わず、岸田政権を維持して見せようとするのかと取れるのが、岸田氏の至らざる所ではないのか。

派閥を無くそうと、党を幾つにも分裂されても構わないが、トランプ前大統領風の「自分ファースト」のようにしか見えない政治姿勢は極力排除され対。そして、当方独自の表現である「民の竈から天高く煙が立ち上るような政治」を心がけて頂きたいのである。国民の生活にとっては派閥が幾ら減ろうと無くなろうとも関係ないのだ。安倍派を壊滅させれば国民の為になると信じておられるのならば、その旨を明言されてから着手して欲しかった。

念のために断りを入れておけば、上記の主張/論旨は全てマスコミ報道から知り得た事柄に基づいているのだ。当方にはそれ以外の情報源などないのである。


1月24日 その3 「政治の何処が刷新されたのだろう」の改訂版です

2024-01-24 08:24:10 | コラム
岸田総理/総裁の渾身の努力は解らないでもないが:

刷新したのは3派閥の解散であり、党の内規をどのように変えるかという構想の発表に止まったように思える。何処が政治刷新だったのだろう。報道によれば、26日(金)から国会が開かれるので、その前に何としても「刷新」される必要に迫られていたのだそうだ。でも2派閥が政策集団として残ったそうだ。

当方は「岸田総理/総裁は内向きの刷新に精一杯の努力を傾けておられるようだ」と批判した。簡単に言えば「我が国の政治の形を刷新しようとしたのではなく、自由民主党の内部を刷新して国会に臨もうとされただけ」の事のようだ。

これでは当方が指摘し続けてきた「国民の生活が少しでも楽なるような具体的で目に見える効果が出るのか」は極めて疑問だと思う。刷新の会合を連日開かれても円は高くならないだろうし、賃金は上昇しないと思う。

岸田さんは「先ず党内を改革して、国会を乗り切って、そこから先に民の竈から煙が立つような政治の改革を手がけようという遠大な計画を立てておられる」と解釈しない限り、安倍派と自らは会長ではなくなっている岸田派と二階派を解散させた大事業の狙いが見えてこないのだ。これらの大仕事に集中してきた岸田内閣の閣僚と自民党員はもう草臥れて、国民の為の政治に取り組む気力と体力が残っているかと心配になる。

1月24日 その2 政治の何処が刷新されたのだろう

2024-01-24 08:08:44 | コラム
岸田総理/総裁の渾身の努力は解るが:

刷新したのは3派閥の解散であり、等の内規をどのように変えるかという個装の発表に止まったように思える。報道によれば、26日(金)から国会が開かれるので、その前に何としても「刷新」される必要に迫られていたのだそうだ。でも2派閥が政策集団として残ったそうだ。

当方は「岸田総理/総裁は内向きの刷新に精一杯の努力を傾けておられるようだ」と批判した。簡単に言えば「我が国の政治の形を刷新しようとしたのではなく、自由民主党の内部を刷新して国会に臨もうとされただけ」の事のようだ。

これでは当方が指摘し続けてきた「国民の生活が少しでも楽なるような具体的で目に見える効果が出るのか」は極めて疑問だと思う。刷新の会合を連日開かれても円は高くならないだろうし、賃金は上昇しないと思う。

岸田さんは「先ず党内を改革して、国会を乗り切って、そこから先に民の竈から煙が立つような政治の改革を手がけようという遠大な計画を立てておられると解釈しない限り、安倍派と自らは会長ではなくなっている岸田派と二階派を解散させた大事業の狙いが見えてこないのだ。これらの大仕事に集中してきた岸田内閣の閣僚と自民党員はもう草臥れて、国民の為の政治に取り組む気力と体力が残っているかと心配になる。


夢に出てくるとは

2024-01-24 07:28:17 | コラム
夢=将来実現したい願い、理想:

マスコミは屡々「夢」を上記のような意味で使い「若者は夢を持とう」であるとか「夢に向かって邁進しよう」など言って激励する。時には過剰に煽り立てているような事もある。だが、広辞苑には「睡眠中に持つ幻覚、普通目覚めた後に意識される」などとある。これから取り上げるのは、こちらの方である。今回は単なる私事なのだが、こういう思ってもいなかった事が夢にまで出てくるとは、不思議なものだというだけの話。

実は、当方は去る22日で満91歳に達していた。正直に言って、この年齢に達した事を色々な意味で意識している。本来は「無病息災」であるのに「一病息災」などと言って一度大病をすると、回復後の節制これ勤めて長生きしているという事のようだ。こちらは一病どころか三病を抱えて、主治医に指示されたストイックな生活を続けていた所、気が付けば昨年には90歳という、予想もいなかった年齢に達していたし、今度は91歳である。

そこで22日の夜に見た「夢」である。何処からともなく聞こえて来た声が「折角91歳まで来たのだから、もう一踏ん張りで100歳を目指しなさい」と言うのだった。「そんな事など考えてもいないし、こんなに年がら年中体のあちこちが痛み、三病も抱えて病院通いを続けるのは辛いだけで、無理な相談だ」と答えた。すると「90年も何とかなってきたのだから、その一割の9年間を持ち堪えれば良いのだぞ」と押し返されたところで目が覚めた。

現実には90歳に達したところで、友人やジムでの顔なじみの人たちに「次は目標を100歳に設定して、もう一頑張り」などと激励(なのかな?)されたのだった。これは単なる譬え話のような事だと解釈して、そんな夢というか目標を立てる事など全く考えてもみなかった。

しかし、このような事が夢に出てくるとは、もしかすると当事者の私は知らず知らずの間に100歳を意識してしまっていたのか、何となく夢を意識させられていたのかと、その恐ろしさのようなものを感じていた。