新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月12日 その3 カタカナ語だとばかり思っていた

2024-01-12 13:02:58 | コラム
「ルッキズム」を知らなかったとはと恥じ入った:

幾つになっても勉強させられるものだと、今さらながら知って大いに恥じ入っている。それが近頃ニュースや新聞?などに見かけるようになった「ルッキズム」なのだった。粗忽にも「また、何処かの跳ねっ返りが、カタカナ語を創造したのだろう」くらいに軽く考えて、念のために検索してみて驚かされた。

何と、それはジーニアス英和にも載っている堂々たる英語で“lookism”だったのだから。意味は「容貌、外見による差別」で「外見至上主義」ともいうようだった。語源(由来?)は“look”という単語と“ism”を繋ぎ合わせたとの解説もあった。知らなかった我と我が身の浅学非才を恥じた。だが、Oxfordには何故か載っていなかった。

なお、LIFULL Storiesというサイトには「ルッキズムという言葉は、1978年の雑誌「ワシントンポストマガジン」で初めて使用されたといわれています。そこで掲載された「Fat Pride」というタイトルの記事に、太っているだけで尊厳を傷つけられたとして抗議活動をした人々が作った新語がルッキズムだと紹介しています。」とあって、故事来歴まで勉強させて貰えた。

これを読めば、アメリカが発祥の地とあっては、誇り高き英連合王国の権威ある辞書には載っていない訳だと知り得たのだった。今回の教訓は「迂闊にまたぞろ何処かで誰かが新手のカタカナ語を創り出したのだろうなどと決めつけない事」だった。

1月12日 その2 「政治刷新本部」について

2024-01-12 10:44:11 | コラム
飯島勲氏は言われた:

つい先ほど、当方独自の考えで岸田総理の「政治刷新本部」を批判した。その直後にPresident誌の最新号で飯島勲氏が「岸田内閣は先頃閉じた国会では14本もの政府提案の法案を成立させたし、少子化対策・(私の見解では)処理水排出等々をキチンとやり遂げておられるにも拘わらず支持率は最悪で17%、青木の法則では50%を切るなど不可解な状態だ」と指摘しておられたのを読んだ。

誠に尤もな指摘であり反論の余地などないと思う。だが、何となく偶々タイミングがピタリと合って、当方の批判に対する反論を読んだかのようだった。官邸におられる飯島勲氏の立場からすれば、そう言われるのは当然であり、そう言われて不思議はない内容だろうと思う。

私は既に「岸田内閣は上記の飯島氏が取り上げられた例が示すように、やるべき事を何件もやり遂げておられた割には、減税を打ち出すと批判されてしまったように、国民(というよりもマスコミとする方が正確かもしれない)に信頼されず、支持されない方向に進んで行ってしまう」のだった。私が見るその要因は「民の竈から煙が立たない政策が多いから」と表現したが、国民が生活を楽しめるような手を打ってくれないという事ではないのか。

今回の「政治刷新本部」にしても同様で、本部を設けて刷新して「派閥を無くす、収支報告書不記載を許さない、政治資金パーティーを自粛するか形を変えて行う等々」を成し遂げたとしても、円安が是正されるとか、物価上昇が止まるとか、人口の東京一極集中が止まって地方の絶滅寸前の自治体が減るとか、タクシーが何時でも拾える時代に戻るとか、バスが減便されないとかいう良い方向に結びつく訳ではないとしか思えないのだ。

以前にも述べたことで、私の主張または指摘は完全な誤りかもしれない(50年程前に聞いて印象に残った英語の表現で“I could be entirely wrong.”というのがあったが)、これが当て嵌まるかもしれないと思いつつも、思うところを「後難を恐れず」に主張した次第だ。「貴殿が言う通りだ」か「貴殿が言うことはこの点が誤っている」と受け止められた方は、どうぞ遠慮なくご指摘下さい。よろしくお願いします。


「政治刷新本部」の初会合が開催された

2024-01-12 07:35:29 | コラム
若狭勝弁護士は「何も期待していない」と言い切った:

岸田総理/総裁肝いりの刷新本部の最初の会合が開催されたと報じられた。元は自民党の衆議院議員だった若狭勝弁護士はTBSの報道1930(だったか)で「(この本部には)何も期待していない」と言い切っておられたのが印象的だった。当方は既に「岸田総理はこのような内向きの案件に関わり合っていても良い時ではないのでは」と疑問を呈してあった。

収支報告書不記載の問題で既に身内から逮捕者が出ては、38名もの人数を集めても「刷新」に気を配らざるを得なかったのだろう。岸田総理が打たれる手は何時も何か問題が発生した際に、「何はさておいてもその案件への対策を講じる事が重要」であって、自分の方から何か積極的に仕掛けて行かれる事は少なかったと思っている。即ち、悪く言えば「モグラ叩き」的な手法が主体と見た。

岸田総理は「刷新して国民の信頼を回復する」と意気込んでおられた。確かに調査次第では17%という低い支持率が出ていては「回復」を言いたい心情は察するに余りある。だが、本部を設けただけの政策で早急に多くの国民が「そうだ。岸田内閣を信頼しよう」となると思っておられるのだろうかと疑問に感じてしまう。自分が率いる組織が弛んできたから引き締めようとするのに、最高顧問だの38名の委員が必要になるのだろうか。

組織を率いる者としては「自分はかくあるべしと思う方向に、斯く斯く然々の手段で持っていこうと思うが如何」と自らの案を諮るのか、または限定された人数を委員に指名して、夫々の者に異なる分野の改革案を割り当てて、会合の初開催日にプリゼンテーションを実施させて、相互に意見を交換して積極的に腹蔵なく叩き合い、その結果から採るべき方向を見出すようにしていくのが会議ではないのか。沢山の人を集めて意見を言わせては「船頭多くして云々」となってしまうのではないのかと不安になる

会合の「頭取り」とやら(だったのだろうか)の画面を見ると、大勢の委員が疑心暗鬼というのか、方々を上目遣いに見渡して不安そうに見えたのも気になった。あの席に呼ばれたからには、各委員は確固たる意見を持っていて、誰に遠慮することなく、例えば「派閥解消はかくあるべし」というような自分自身の率直な意見を披露すべきではないのか。誰かが言っていたように「こんな事を言えば、後々虐待されるのではと恐れている場合か」という事。

岸田総理は能登半島周辺の地震対策に47億円だったかの予算を取られたようだし「激甚災害」の指定もされたようで、決して刷新本部だけにかまけておられた訳ではないと十分に承知している。だが、私は総理が出向かれれば警備や安全上の問題はあるのだろうが、一刻も早く災害の現場を見舞われて仮令限定された人数になっても被災者に「必ず復旧するよう最大の努力をします」くらいの言葉をかけても良くはないかと、ついつい思ってしまうのだ。

失礼を顧みずに何度でも言いたい事がある。それは「緊急や非常事態の際には、対処すべき案件の優先順位を正確に付けていただきたいのです」なのだ。刷新本部の役職に「無派閥の議員を登用すれば良い」という問題ではないと思う。