新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

何故我が国では政治に金がかかり、問題が生じるのか

2024-01-21 14:13:57 | コラム
それは「我が国民の民度の問題」ではないのか:

神戸学院大学・上脇博之教授の告発に端を発したと報じられている、自民党内の派閥の政治資金規正法に定められた収支報告書不記載の件は、遂には岸田内閣総理大臣兼総裁の「政治刷新本部」設置から、今日では乾坤一擲の自派閥の解散宣言にまで至った。岸田総理/総裁はこの手法で国民の政治への信頼を回復させると意気込んでおられる。その意図は壮なりだと思うのだが。

当方はこれまでに何度も政治と政治家が関連した問題が起きると「そういう問題を起こした政治と政治家も宜しくないが、所詮はそういう国会議員を選んでしまった我が国の有権者の民度をこそ問題にすべきではないのか」と提議してきた。言いたかった事は「国政に出たいと立った者も、そのおらが村の先生に一票を投じた選挙民の程度が疑問である」なのだ。

世上流布されている真しやかな物語では「選挙には金がかかる。何故なら議員は地元に複数の事務所を設け、それに見合うかそれ以上の私設秘書を雇って、地元の冠婚葬祭に常に顔を出させ、村祭りの盆踊りに参加し、地元の要望(陳情か?)に応えて橋を架け道路を建設し、鉄道の駅を新設させる等々の、本来は村議会・町議会・市会議員が果たすべき役割に奔走して、初めて地元民の信頼を勝ち得て票に繋がるのだ」となっていた。

当方は90歳を超えた今日までの、有権者となってからの70年間に一度たりとも地元選出の国会議員は言うに及ばず、市会議員にすら接触された事がなかった。投票依頼の電話がかかってきたのは、公明党の後援者からだけだった。それでも、故安倍元総理がいみじくも言われた「悪夢の民主党政権」の援護をしようと考えた事はなかった。その自由民主党のこの救いようもない程度の悪さを見せつけられては、言うべき言葉を知らない。

だが、この度の件で自由民主党の内部の統制が取れておらず、法令を遵守しようとしていない立法府の議員たちの醜態をこれでもかと見せつけられては、失望落胆する前に「彼らのような程度の低い輩を選んでしまった、我と我が身を含めて、我が国の一般の有権者たちの「政治」と「国家」についての理解の不足振りと、投票する事が自分たちの国と政治への意思表示である事が理解できていない事態に今更ながら愕然となり、呆れ果てているのだ。

自分たちを選んで下さった有権者の方々に断りもなく「政治に金がかかるのは地元民のせいだ」と言わんばかりに、政党交付金を与えられながら、政治資金パーテイを開催し、そこから上がってくる収入を法の定めるように記載せずに消費して良いのだと理解していたなどと、いけシャーシャーとほざくに至っては「先ず、彼らを選んでしまった事を反省すべき」であり、朝日新聞の扇動に乗って「裏金」呼ばわりできる立場にはないと自覚すべきだ。

マスコミはこの期に及んでも、未だに「安倍派五人衆」などと如何にも偉い議員さんの管理不行き届きだったかの如き扱いをしている。正常な感覚を持つ新聞社だったのならば「このような自党を誤った方向に導いた者たちを、二度と選ばないようにしよう。自由民主党には猛省促そう。政治資金規正法の規定を抜け道がないように厳正に改正せよ」とでも社説で指摘してもバチは当たらないと思う。

テレビ局も新聞社や通信社の元論説委員だの何のと、裏の事情に詳しい人たちを集めて「実はこれ~然々だった」と解説させてばかりいないで、もっとより建設的に「自由民主党内部の刷新」ではなく、長年の取材で知悉しているはずの「政界を明るく健全であり、真に国民の為になる政治をするよう刷新し改革せよ」と建議でもされたら如何か。岸田総理にも、木原誠二片腕にも、積極的に正面から物申しても良いのではないか。

さらに、日本全国津々浦々の国民に「民主主義とはそもそも如何なるものか」を、誰にでも解るように解説すべきではないのか。現在、多くの国会議員たちが唱えている「民主主義」の中身は本来のdemocracyとはかけ離れた「極端に近い平等の事であり、はき違えた自由」のようにしか思えない。民主主義は万能の特効薬のような制度でも思想でもないのだ。

ここに、英連合王国の往年の首相チャーチルの名言「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが」を引用して終わろう。