新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国の「民度」に問題が

2024-01-23 07:16:36 | コラム
谷川弥一(前)国会議員の正直な?発言に思う:

谷川弥一氏の人となりについては週刊誌が詳しく伝えていたので、そちらをご参照願えば充分だろう。私は昨日の谷川氏が議員辞職を申し出た後の記者会見での放言に、あらためて我が国の国民の芳しいとはとても評価できない民度(広辞苑には「生活や文化の程度」とある)の問題をイヤという程見せつけられた。谷川氏の乱暴な語り方は以前にも放映されていたので今更云々はしないが、放言/失言と言うよりも表現の拙さに問題があると思う。

私は「問題になりそうな言辞を弄する、能力が低い連中を国会に送り込んでしまう事の裏には、我が国の有権者の民度の低さがあるのでは」と、予てから指摘してきた。それは「その程度の候補者を選んだ/推した方にも責任がある」という意味だ。

昨日の谷川氏のぶっきら棒な発言の中で最も印象に残ったのは、大要「金を集めなければ力が出ないので、一生懸命に集めた。そしてどのようにしたかは言わないが、方々で使った。だが、結果としては大臣にはなれなかった」という辺りだった。「なる程。谷川氏は純真無垢に大臣になる事を目指して国会に出て行こうとしたのか」と理解した。「その為に金を集めなければならない」とは正直に言われたのだろうが、そういう意味なのか。

その件を聞いて思いだしたのが、往年は卒業式で歌った「仰げば尊し」の2番の一節だった。即ち「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」をそのまま実行に移そうと励まれたのだった。谷川氏にとっては建設業が踏み台で、それを基にして励み「末は博士か大臣か」に向かって素直に邁進したのだろうと思って聞いた。彼が地盤にした県には失礼かも知れないが、その点が価値の基準になっているのかと考えさせられた。

より素直に言えば「あの程度の識見の人物が国を動かす国会議員になり、その先には中央官庁の大臣にまでなる事が価値の基準であり『身を立て 名をあげ やよ 励めよ』の教えの実現なのだ」という事。岸田総理/総裁も内向きの政治刷新に専念される必要があるのだろうが、あのような単純素朴な(私はnaïveと言いたいが)人物を公認して推した責任をどうお考えかと尋ねたくなる。

話は違うかも知れないが、この度の収支報告書不記載の件で、議員辞職という止むを得ない場合を除けば、岸田総理/総裁以下で責任を取った者がいたという報道はなかった。岸田総理にした所で、会社に譬えれば社長である。会社か社員が問題を起こした時に辞任するか減俸という罰を自らに課している。派閥を解散するだけで責任を取った事になるのだろうか。安倍派の大臣を解任すれば済む事態だったのだろうか。不可解だ。

谷川氏の件に戻そう。彼は記者の追及を避けて最後まで4,000万円の使途を明かさなかった。それがその不記載問題だと言われればそれまでだが、不記載を修正して記帳すれば事が終わったとして、総理/総裁が認めて許すのであれば、問題は何にも解決されていないのではないか。そこまでやろうともせず、「刷新本部」で会合しているのは「体の悪い逃げ」の態度ではないのか。ここにも「程度の問題」でなければ「民度」の問題が見えるのだ。