新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

青森山田高校のサッカーは未だ発展途上だった

2024-01-07 07:33:47 | コラム
高校サッカーの準決勝戦を観て:

青森山田高校が市立船橋高校にPK戦で勝ってしまった試合を観ていた。青森山田高校のサッカーはこれまでに何度かテレビ観戦する機会があったが、残念ながら当方の好むサッカーはやっていなかった。だが、高校生の段階としては、身体能力に優れ体格の良い子供たちを集めて、あのレベルで勝てるように良く(厳しく?)鍛えてあるので、良い結果を出せるのは当然だったと見ていた。

昨日も、市船の持てる力を発揮できないように押さえつけて、1対1の同点でPK戦にまでもつれ込んで結果としては決勝戦に進んでしまった。私が見た青森山田のサッカーは「シュートやパス等の全てに近いキックをインステップで強く蹴る段階にあるサッカー」だったが、トーナメントを勝ち上がる技巧も充分に教えられていたようで、市船に最後まで思うようにやらせていなかったのが勝因だっただろう。

サッカーについては、経験上からも言える事がある。それは大まかに言って「全てのキックをサイドキックで蹴って微妙なコントロールをする基本重視の(技巧派的な)段階」と、青森山田のサッカーのように「全部のキックをインステップで強く且つ正確に蹴る段階」と二つの段階しかないのである。その段階が常に順繰りに回ってきていて、そこで上手くコントロールもできて、シュートまで持って行けるサッカーが出来るのだ。

青森山田はその「インステップで強く且つ遠くまで正確に蹴る事が出来る段階」にあったので、どちらかと言えば市船の「サイドキックで柔らかに蹴る方式」は自分たちとは文化が異なるサッカーに出会って戸惑い、自分たちの思ったサッカーにならず、相手と一緒になって遠くに強く蹴ってしまって不正確になったまま最後まで修正できず、80分が終わってしまったように見えた。私の目には市船の何処が良いのかは遂に見えてこなかった。

ここで話を大きく変えて、英語の勉強に持っていこう。ここでも経験談になる。私は英語力が最も良く現れるのは英作文だと思っている。その英文の書き方(話し方に見える傾向も殆ど同じだが)の進歩の過程にも二段階がある。何れが上か下かの問題ではないと思っている。即ち「非常に優しい単語を使って誰にも分かりやすい文章で思う事が表現できる段階」と「難しい単語ばかり使って格調高く重苦しい英文を書いて自己満足している段階」とあるのだ。

これらの二つの段階は当人が意識していようといなかろうと、順番に回ってきているのだ。私が思う最も優れた書き方(話し方)とは「中学校1年の教科書に出てくるような易しくて平明で簡単な単語を使って、単調になっても構わないから短い文章で思う事を表現すること」なのだ。だが、その域に達した時が来ても、何故か「もっと大きな文語的な単語(big word)を使ってでも、持って回った表現になっても、格調の高さを追求しよう」となってしまうものなのだ。

ところがある時、突然その格調高さが「下手な文章」と余り変わっていない事に気が付いて愕然となり、「易しい単語で解りやすい文章を」と目指すようになるのだ。そしてまた、ある日突然に「何でこんな幼稚な文章しか書けないのか」と、愚かにも気が付いて「難しい単語を沢山使って格調を高め」て「何が言いたいのかサッパリ??」と非難されてしまう事になるのだ。

私はこの2段階への出入りの繰り返しで何時の間にか、立派な英語力を獲得できるのだと信じている。だが、究極的には「易しい単語を解りやすい文章」の域に達すべきだと信じている。という事は「青森山田はインステップキックとサイドキックを使い分けが出来る段階に上がっていく必要がある」と言いたいのだ。何故か、この強豪校からは余り沢山日本代表選手が出ていないような気がする。