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まりっぺの平凡日記

毎日平凡に生きれるって幸せなんだ。でもその平凡っていうのは意外と難しい。

爆睡で、びっくり!?

2014-11-10 16:47:05 | Weblog

先週の木曜は母の病院でした。

状況からして、今回は絶対に受診の際、同席しようと思ったのに、母は私にアッシーはさせるものの、診察室には一人で入ると言いはり、今回も結局、診察室の前で、私は待つことに…

彼女のしたいようにさせたいと思ったし、いざという時は先生から「ご家族を…」と言われるだろうし、今回も先生に会うことは諦めた。

そして「声が出ないのは風邪だろうだって」と言いながらケロッとして、診察室から出てきて、「先生、私は後どのくらい生きられますか?って聞いたら「それは僕にはわからない」と先生が仰った。あははははっ…」と言って、少し安堵の表情になっていて、私も少し安心した。

すると、「お昼を食べて帰ろう」と言う母。

「何食べていく?」と聞くと

「中華そば」と言うので、近くの中華屋さんに入ったら、イマイチ外し、残念な気持ちで、母を送り届け、一人麻布に帰ったら、何とも言えぬ疲労感…

翌日、お昼頃、母に電話を入れると「昨日の中華のリベンジをしたい」と言うので、午後一番で迎えに行き、シェラトン都ホテルの四川に行ったら「麻婆豆腐のランチセット」と頼む母。

お~い!食欲不振に、口内炎で四川風麻婆豆腐なんて無謀ではありませんか…と思っていたら、「もうやけくそよぉ~」と言い、時間をかけながら8割型食べてくれた。

良かったというか、この人、二日続けて、中華を食べようと思うことが信じられん…と呆気にとられながら、その日は夕飯の買い物をして、母を送り届けた。

土曜日は母に食料品を届けた後、どうにもこうにもしんどくて、22時頃から寝てしまった。

で、トイレに行きたくなったので、起きて、用を足し、ベッドに再び戻った際、時計を見たら3時だった。

あぁ~まだ3時なのね

と、夜中の3時だと思っていたら、何と午後3時で、唖然とした。

で、今日は7階のマダムが「ママと皆でご飯食べよう」とお誘いの電話があったのですが、先週二日、調子こいて中華を食べに行った母が再びダウンしていたので「せっかくですが、ママ、あまり食べられないから…」とお断りしたら、

「皆で、賑やかに食べたら、気が紛れて、食欲も出るわよ」というので、

「いや、寝込んでいるし…」と言えば

ご主人が電話口に出てきて

「アルコールで消毒すれば大丈夫でしょう」と言って食い下がる。

そのお誘いをお断りするだけで、今日ももう疲れてしまったので、再びまた今日も寝ようかと思うのであります。


今日のご飯…

2014-11-04 19:15:55 | Weblog

薬の副作用で、口内炎やら食欲不振の母に、かぼちゃのスープ、豚汁、マッシュドポテトに近いポテサラ等を作って、足りない栄養は野菜ジュースを絞っては届けていたが、料理が苦手な私はそれ以上、母が食べられそうなメニューが思い浮かばないので、

私「何なら食べられそう?」と聞くと

母「美味しいもの…」

私「何が食べたい?」

母「美味しいもの」と何を聞いても美味しいものと答えられ、余計に何を作ればいいのかわからない…

かぼちゃのスープ、豚汁とポテサラのサイクルでは流石に食べる方も、作る方も飽きる…

で、今日は朝からどうしようかなぁ~と思っていたら、ユキねぇが鯖を届けてくれた。

魚が大好きな母、今はお刺身などの生ものは食べられないので、今日は鯖を焼いて、豚汁の残りで雑炊に決定(*^^)v

さて、明日は何にしよう(;_;)

 


決め付ける母

2014-11-03 19:30:30 | Weblog

昨日はちょっと調子が良さそうだった母。今朝からまたダウン…

このところパンプキンスープやら、豚汁やら、生姜ごはんなど体に良さそうなものを差し入れるも、料理が不得意な私、今日はどうしよう?と思いながら冷蔵庫を開けたらおじゃががあったので、マッシュポテトくらいのやわらかさにしてポテトサラダを作り、それ以上、何をどうしていいのか思い浮かばずに、ポテサラと自家製野菜ジュースを持って、家を出た。途中、パステルのプリンを買って母に届けるも寝ているので、「病院に行こう」と言うと

「これは風邪ではない…私は肺がんだ」と言う。

私「えっ、この間は肺にポツポツと小さなものがあるけど、先生はリンパ癌で、肺癌とは言わなかったよね?」

母「この1ヶ月薬を服用しても効かずにあっという間に進行したのよ、これは…」

私「ぢゃぁ、尚更、病院へ行こう」

母「木曜日の予約日に行くからいい…もうどうせ長くないだろうし…」

厄介すぎてこれでは会話が成立しないと困り果てていると、癌友から電話がタイミングよくかかる

彼、曰く「その具合の悪さは薬が聞いている証拠。口内炎ができるほどの薬が、今は喉のただレになっているんだろう」と母にアドバイスしたら、母も少し安心したらしく、電話の後は野菜ジュースを一気飲みしてくれた。

そして「そうよね、この具合の悪さは服用している抗癌剤のせいよね」と言う。

私「えっ?この間の病院の後、「何の薬?」って聞いたら「知らない」って答えていたよね?」

母「多分、抗がん剤でしょ?」と言う。

もうこうなったら今週の木曜日の受診は私は何がなんでもくっついていかないといけないわと思う、月曜日であります。


今日は…

2014-11-02 19:11:23 | Weblog

朝9時頃、宅急便が来て起こされた。荷物を開けてみると、母の友人がプロポリスが口内炎に良いのでは?と言って送って下さったものだった。

早速、恵比寿に届けようと思っていたら、9時半頃、滅多に鳴らない私の携帯が鳴った。

しかも知らない番号からだ…

誰だろう?と思って出てみたら、テニスレッスンで一緒のおじいちゃまからだった。

以前、「よく十番の蕎麦屋に行くんだよ」とレッスン中に仰っていたので、「近所なので今度是非御一緒しましょう」と言う会話をレッスン中にして、連絡先を渡したことがあったT氏(85歳)は、クラスの中で、最年長。とても品のある紳士的なおじさまで、クラスの女子といつも「素敵よねぇ~絶対に良い家柄の出よねぇ~」と噂している方だ。

「今日は蕎麦を食いたいので、ご都合がよければご一緒してもらえませんかね?」とのお誘いの電話だった。

一瞬、母のことが頭をよぎったが「是非、ご一緒させてください」と言って待ち合わせの時間と場所を決めてから、猛ダッシュで用意をし、昨夜煮込んだぶた汁と今朝送られて来たプロポリスを恵比寿へ届けがてら、母のチェックに行ったら、昨日よりかは顔色が良かったので、「お昼はちょっとテニスのおじさまとランチしてきます」と行って、出かけた。

一旦、麻布に車をおいてから、待ち合わせ場所でおじさまと落ちあい、ヒルズよりのお蕎麦屋さんに行ってみると長蛇の列だった。外で85歳のおじさまを立たせて待つのも如何なものかと思い、商店街の真ん中にあるお蕎麦屋さんに行ってみたら、空いていて、すんなり吸われた。

お蕎麦をすすり、食後には上島珈琲でお茶をしながら、普段レッスン中にはあまり話さない身内話で、どんな方なのか漸くわかった。

元々は京都出身で、東京の大学へ進学し、会社勤めを終えられてからはローンテニスクラブなどの役員をし、大学のテニス部の監督などをされたりし、今年の3月に奥様が他界され、今はバツイチのお嬢さんが週の半分くらいお食事を作ったり、身の回りの世話をしてくださっているらしい。残りの半分は一人で好きなものを食べたり、飲み歩いたりする。週に2回、白金店のスパで運動し、週1でテニススクールに来て、悠々自適な暮らしをされているが、ごはんを一人で食べるのがとにかく寂しくて、ご飯が美味しく感じないとのことだった。

私も大雑把に百歳の祖母を去年自宅で見送り、今は母が体調を崩していることなどを話した。

最後に「あぁ~楽しい食事だった…テニスは後1~2年続けられそうだし、こうやってお友達になってくれたからまたたまにこうやって食事に付き合ってね」と仰って、おじさまは銀座の三越に夜のお惣菜を買いに行ったのであります。

テニスを後1~2年続けようという元気があるすごいおじさまだなぁ~と感心しつつ、私は本当に高齢者にはよく好かれるなぁ~と思いながら、急いで、麻布の家に帰り、今度は野菜ジュースを絞って、本日2度目のママの偵察へ行って来た。そしてまた一日が終わってしまったのであります。

 


母、寝込む…

2014-11-01 22:17:32 | Weblog

相変わらず、食欲がない母、どんどん免疫力が落ちていき、一昨日恵比寿に帰ってから寝込んでしまった。

こんな時こそ麻布で過ごせば?と聞けば、散らかっていて落ち着いて寝ていられないと言う…

今日はもう声も出ずに電話すら出ないので、朝、冷蔵庫にあったかぼちゃでパンプキンスープを作り、冷凍保存しておいたごはんをチンして、生姜ごはんでおむすびを作り、にんじんジュースを絞って行ってみた。

本当に調子が悪そうなので「病院に行かない?」と聞いても、

「来週、木曜日にもう予約が入っているからそれまで頑張る…」と言う

「私がこっちに泊り込もうか?」と聞いても

「気を遣うからいい」と言う。

「そんなに体調悪いなら、予約は関係なしに病院に行った方がいいと思うけど…」

「もうどうしようもなくなったらいつでも救急車呼べるように、枕元に携帯置いてあるから大丈夫」と私が何を言っても聞いてくれない母。

そこへ来て、このところ毎日「私が死んだら…」と必ず、日に何度も死んだ際の話題を持ち出す。

「わかったけど、死ぬことばかりではなく、よくなることも少し前向きに考えて」と励ましても

「いつか死ぬんだから、今から現実を直視しておきなさい」と言う。

毎日、このような会話では私が参りそうであるが、ここで、先に私が凹むわけには行かず、母が「とにかく、今日は一日寝ている」と言うので、私は麻布へ買える道すがら、野菜を大量に買い込み、先ほどからお得意の栄養満点の豚汁を仕込み中であります。とりあえず、これくらいしか今の私にできないのが何とももどかしいところですが、とにかく目の前のことを一つづつ取り組んで行くしかないなぁ~


近況

2014-10-28 20:32:45 | Weblog

遠ちゃんの死亡説を確認するがために、先週の月曜日にマンションを訪ね、「連絡下さい」というメモをポストに入れてきてもその後、息子さんから連絡が全くない。その間、仲間たちが物凄い捜索をし、どうにか息子さんのことを知る人と連絡を取ることができ、その結果、10月9日に息子さんが帰宅したら、遠ちゃんは既に息がなかったらしい。一応、角膜などは提供して、荼毘に付し、葬儀をせずに散骨するとのことがわかった。

それぢゃぁ、あまりにも淋しいので、偲ぶ会を仲間内でしようと、先週は皆のスケデュール調整等でバタバタする反面、ウチの母のことでもてんてこ舞いする一週間でした。

母は告知を受けた日に、まず腫瘍を小さくさせるための強力な薬を1ヶ月分処方された。

飲み始めた翌日より、下痢、ムカつき、胃痛、口内炎等の沢山の副作用に苦しめ始めた。

ムカつきや胃痛があるので、食欲が落ちたが、食べないと強い薬は飲めない。しかし、食べると口の中や喉元に複数できた大きな口内炎が痛み、数口食べると、神経的にやられ、食後にはお腹を壊し、あれよあれよという間に体力も落ちてしまった。そうなると食べることすらギブアップしたくなるようで、全くの悪循環

どんなに具合が悪くても食べることが大好きだった母も「地獄のようだわ」と弱音を吐く。

そこで、人と一緒に食べたら少しは気も紛れるかと思い、このところ殆ど麻布に来て過ごすようにした。

そして、なるべく口当たりの良い、柔らかいシチューとか、ポテトグラタンとかを一緒に食べるようにしている。そして、量が食べられないから、食間に人参、りんごとはちみつの自家製ジュースや、バナナジュースとか、甘酒に生姜をすりおろして、温めて飲ませるようにしているが、彼女が口に物を運ぶたびに、なるべく気にしないように心がけているものの、どうしても母の表情が気になる私。

私が、次から次へといろんな食べやすいものを考えては出し、顔色を見ると、母も副作用で苦しみながら「心配してくれるのはわかるがちとストレス」的な空気が家の中に充満する。でもそんな空気を醸し出さないように頑張っている母のオーラがプンプンに充満する。

あぁ~これからが正念場なのに、今からこんなぢゃどうなっちゃうのかな?と思わないでもないが、とにかく今はできることを一つづつやっていくしかないか…


遠ちゃん…

2014-10-20 15:26:07 | Weblog

最近、あまりブログはアップしてない…っていうか、母のことはなるべく頑張って動き回るようにしているのですが、他のことは自分から動くということをあまりしていない。

仕事も入ってきたものはちょこちょこやっているし、友達からお誘いがあればなるべく出かけるようにはしているが、母と一緒にいる時は殆ど携帯にも出ないし、家にいても、仕事のメールを見るとやらなきゃいけなくなるから、夜までPCを開くことは殆どしていない状態。

で、昨日は母の用事で、夕方、目黒に行き、ママシッターが終わった後で、テニスにだけは行き、帰宅したのは夜の11時半過ぎ。

帰宅後、一昨日の晩、あけたきりのメールをチェックした…

話はぶっ飛びますが、25年程前、学生の頃、アメリカの航空ショーのバイトで知り合ったカメラマンの遠ちゃんとは、それ以来、飲み仲間になった。20歳くらい年上だが、私のことはまりっぺ、まりっぺと可愛がってくれ、野球を見に行ったり、キャンプに一緒に行ったり、飲みに行ったりして、彼の飲み友達とも仲良くなった私だが、この数年、祖母や母のことで一緒に遊ぶことは少なくなったものの、数ヶ月に一度はメールや電話で話していた。

昨日の夜、メールを開けるとその飲み友の一人Sさんから「遠○カメラマンの件」というタイトルのメールが入っていた。

開けてみると「遠ちゃんが亡くなったって噂で聞いたんだけど、本当?何か知ってますか?」と書かれていた。

遠ちゃんは毎晩のように飲み歩き、数年前に末っ子の娘が私立を受けたいと言ったら、「受験料があったら一体、何杯、ビールが飲めると思ってるんだ?」と言い放った程の酒好きだったから、いつかは酔いつぶれて帰路に車でひき逃げされて死んじゃうんじゃないかとは思ってはいたものの、Sさんからの死亡説は初耳

8月に「荒木町で流しそうめんやるから食いに行こうぜ」とメールは遠ちゃんからもらっていたが、ちょうど富士山に登る予定だったから断ったのが、遠ちゃんと最後に取った連絡だった。

Sさんのメールに「まさか…」と思い、遠ちゃんの携帯に電話をかけると呼び出し音はなるものの応答なし…この時点で、零時を回っていたから、もう寝てしまったのか?と思い、携帯にメールを打っても送信できない…

最後の頃、遠ちゃんは大分、お金に困っていたので、携帯の料金が支払えないのであれば、電話自体がつながらないはずだ…

8月まで通じていたメアドにメールを送信できないということはどういうことだろう?と思いながらSさんに連絡してみると、他の飲み友達が最近、荒木町で遠ちゃんを見かけないから、どうしたんだろう?と言っていたら、亡くなったらしいというあやふやな情報があったという。

今の時代、皆、携帯で個人のやりとりだから、遠ちゃんの飲み友達も連絡の取りようがないとのこと…

ふむ…

遠ちゃんはバツが3つか、4つついていて、最後の奥さんとは数年前から別居中。最後の奥さんとは十数年前に2~3回、私も会ったことがあるが、彼女の連絡先は知らない…

さて、どうしようか…と思って、とりあえず葉書を書いてみることにした。

「遠ちゃん、元気にしてますか?電話しても出ない、メールしても送信できない…酔っ払った勢いで、携帯失くしたんでしょ?とにかく、至急連絡せよ!」と書いて、今日、投函するつもりだった。

しかし、投函して、万が一、遠ちゃんが亡くなっていて、奥さんの所にはがきが転送されて、それから奥さんが私に連絡してくるまで、時間がかかるだろうと思い、私はそのハガキを持って、今朝、遠ちゃんちまで行ってみた。

管理人さんに「すみません。○○号室の遠ちゃんと連絡がとれないんですけど…」と切り出したら

「えっ…あの…息子さんはいらっしゃいますよ…」と何か口ごもった感じ

「息子さんではなくて、酔っ払い親父の方なんですが…亡くなったって、噂を聞いたんですけど、違うよね?」と詰め寄る私

管理人さん「息子さんはまだここに住まわれていますが、今日もお仕事に出られました。お父さんに関しては先週の日曜日に救急車が来て、病死みたいですが…それ以上は私の口から言えないので…」と言う。

仕方がないので、息子さんがこの葉書を見て、連絡くれるのを待つしかないかな…と遠ちゃんちのポストに葉書を投函して、帰宅した。

夜には連絡があるかな…と思っても、何か落ち着かない…そういえば遠ちゃんの昔からの友達に10年くらい前に会った時名刺をもらったことを思い出すも、彼の名前が思い出せない…この際、名刺の整理もしようと思い、名刺入れの整理を始めた

あった!Tさんだぁ~!と思って、彼の携帯に電話をしてみたら、「このところ、全然連絡取ってないけど、調べてみる…」とはたまた、遠ちゃんの死亡説の真相がわからない返答。

とりあえず、待つしかないなぁ~とわかっちゃいるが、突然すぎる彼の訃報が本当なら寂しすぎるなぁ~


あれから一週間

2014-10-17 22:58:47 | Weblog

母の再発が確定されてから、先生を信じ、二人でできるだけのことをやって頑張っていこうと、腹をくくったこの一週間。

母、先週の木曜から飲み始めた薬があまりにも強く、翌日にはお腹を壊し、この一週間は口内炎で食欲も落ち早速副作用が出たため、なるべく癌友や、幼馴染とごはんを食べる機会を作ってもらうように根回しをした。一人で食事をしていると口内炎の痛みにばかり気が行ってしまうが、誰かと食事をする方が気が紛れるだろう…それに私といつも一緒というのも関しされているようで嫌だろうし(ーー;)

私は家の整理を以前よりかは気合をいれてやりつつも、物凄く捨てているつもりでも、仕事関係の書類は捨ててもあまり捨てた感がなく、私の断捨離はめげそうになっては「本当に必要か?」と自分に問いただしては、「いらないけど、置いておいてもそう大した場所塞ぎではない」と思い、棚に戻す。

結局、少量しか処分できないから、こんなんじゃ一生片付かないよなぁ~と思っては「これはママが生きるのに必要なものか?」と質問を変え、「ママが生き延びるには全然関係ない」と思って捨てるようにしている。

マンションの大規模修繕工事で足場が組まれ、窓は愚か、カーテンさえも開けられない暗い部屋で、こんなことばかりしていては私の気も滅入ってしまうので、土曜日は母校の学園祭に幼稚園からの同級生と行き、帰りにお茶をして数年のブランクを埋めるがごとく二人で近況報告をした。私は祖母や母のこと…彼女は妹が今年、白血病になってしまったこと…

月曜日はあるテレビ局の大型番組でチームを組んだ仕事仲間と久々の再会。

火曜日は母の用事で一日アッシー。

水曜日、母、食欲がなく、あまり食べられずにみるみる内に痩せたからクロレラとかアガリクスとか色々試そうかと思うと弱気になっているので、「まぁ~それも悪くはないけど、そういうサプリ系は弱みに漬け込む悪徳商法が多いから、なるべく普通の食材で、緑黄色野菜やしいたけ類を食べるようにして、それでも足りない分はちゃんとした製薬会社のものを購入した方がいいと思うよ」とアドバイスをする。

木曜日はテニス。

そして今日、母がとあるブランドのファミリーセールに行きたいと言うので、再びアッシーをするはずが…

買い物に行きたいと言っていた母よりも私の方が買い物しまくったΣ(|||▽||| )

買い物中、母、「これを買っても、来年の夏、着られるかしら?」とか、私が夏物を買ったら「来年、これを着るあなたを見ることができるかしら?」などと弱気な発言をするので、「長くないと思っている人がそもそもセールに行こうなんて思わないでしょ…」と突っ込む私。

買い物の後は、オークラで明朝のごはんを調達

その後、麻布に二人で戻り

野田岩のうなぎで栄養補給し、さっき母を恵比寿に送り届けてきました。とりあえず、セールにも行ける体力はまだ残っているし、今日は外で気分転換もできたし、夜は口内炎にも良いであろう鰻で栄養が取れたから、母と私にとってはなかなか良い一日でした。


さぁ~これから再び…

2014-10-09 20:06:35 | Weblog

10日前の母の三ヶ月検診…しこりの採取を行った後、二人で「来週は現実を冷静に受け止めましょうね。」と言いながら、二人で妙に冷静を装って大門の

 

麻婆豆腐と小龍包でランチをして、母を送り、帰宅し、暗い気持ちでいたら、翌日は友人が

栄養を付けて元気を出してと鉄板焼きをご馳走してくれた。

そして昨日、ドンドン欠けていく月を見ながら

母の命もこうやってあっという間に消えて行ってしまうのだろうかと月を見ながら涙した。

そして今日、9時からのCT検査と先週の組織の検査結果を母が一人で聞きに行くというので、悶々としながら一晩過ごし、朝8時に「しっかりと先生の言うことを聞いてきてね。」と言おうと思い、恵比寿に電話をしてみたら、なかなか電話に出ない。

9時から検査だからこの時間にシャワーとかを浴びているはずはない…

どうしたんだろうか…と思っていたらやっと15回目くらいのコールで電話を取った母。

あまりにも電話を取らなかったので「どーしたの?」と聞くと

「寝てたzzzあなたこそどうしたの?」と答える母

「えっ…あの…もう8時なんですけど…」と告げると絶句する母。

急いで支度して、病院に行くと言う。

急いで転ばれでもしたら大事だから、45分後に迎えに行くからと言って、電話を切り、私も急いで着替え、迎えに行き、病院へ送って行った。

病院の玄関先で「せっかく送ってきたんだから、私も先生の話一緒に聞こうかなぁ」と申し出るも「いい」の一言を残し、一人でサッサと院内に入って行ってしまったので、一旦、家に車を置いて、並びの氷川様に行って来た。

このところ母は「神も、仏もいない」と言っていたけれど、私は藁をも掴む想いでこの数日、毎朝、お参りに行き「どうか、なんでもありませんように…」と願っていました。

でも、今朝のお参りでは…首にしこりがあるのは明らかだから、なんでもないわけない…と思い「とにかく、母をお助けください」とお願いして、帰宅。

家に帰っても、何も手につかず、2時間も母から連絡がない…

11時を過ぎてやっと「今、終わりました」と連絡が入ったので、「迎えに行くから」と、何も状況は聞かずに、電話を切って、病院で母をピックアップし、近くの中華屋さんに入った。

 

点心と酢豚を食べながら、母より説明を受けた…

組織検査ではリンパのしこりは私たち親子が恐れていた通り、陽性。

これからの治療はまず投薬で、しこりが小さくなるかを見てから放射線治療をしようという見解だという、母の短い説明は1~2分程度のものでした。

「ステージは?」と聞いても「先生は言わなかった」と言う。

「腫瘍はどのくらいの大きさなの?」と聞いても、「知らない」と言う。

「だから、そういう大事なところもちゃんと聞いてきてほしかったのに!」という気持ちを抑えたら、母も空気を読み「先生に1年くらいは生きていられますか?って聞いたら、大丈夫って言われたから、多分、大丈夫なんじゃない?」と言う。

このところ母は「自分にはもう時間がない」と言っては身辺整理をしたり、私にどう生きて行って欲しいということばかり話していたし、癌ができた場所が場所だけに、余命宣告が一ヶ月とか、三ヶ月だったらどうしようと心配していたが、診察後の彼女の表情や食欲を見ても「けっして楽観出来る状態ではないけれど、とりあえず最悪な状態ではないからこれから余命のことは考えずに真剣に良くなるための治療のことを考えねばならない」と思い、少しだけホッとしたと同時に、気が引き締まる思いがした。

そんなことを考えていたら、母が「この1週間、あなたは本当に心を入れ替えて、なんでもママの言うことを聞くからなんてしおらしく言っていたけど、これで、また徐々にろくでもない娘になっていくんでしょうね。」と憎まれ口をきく。

まぁ、どんな憎まれ口を聞いても、もう少し、元気で過ごしてくれるならいいか…

ママタンの介護が終わって、これから晩年を楽しんでもらいたかったのに、新たな発病はショックではあるものの、前向きに頑張ってくれるなら、私も頑張ってサポートするからね、ママ\(*⌒0⌒)♪


明日は待機

2014-10-08 11:37:19 | Weblog

当マンション、が大規模改修工事をしているので、マンションの周りには足場が組まれ、朝8時過ぎから人がベランダを右往左往している。

母との同居も急がなきゃいけないから家の中のものを本腰入れて片付けないといけないのに、窓は開けられない、人がベランダにいるからカーテンも締めっきりの暗がり…しかも騒音の中での一日家にいると気が狂いそうになる。

この1週間、母のことが気がかりでしょうがないが検査結果が出るまでは、心配してもしょうがないとわかりつつ、あまり考えないようにしても家の整理、同居、母の病状や治療など今後のことが頭の中をぐるぐる周わるし、母は毎日「どんな結果が出ても、私は受け入れようと思うからあなたもしっかりしてね。」と言われ、何とも言えない気持ちで、私は何も順調に進まない。

明日、母はCTを撮った後、先週採取された組織の結果を聞きに病院に行くので、私もついていくと行っているのに、母は頑なに拒否する。

「ママは大事なところを聞き逃すから、頼むから一緒に行かせて」と言っても「一人の方が気が楽だから」という。

私も数週間前カウンセリングを受けようと思った時、母は慌てふためき、「一緒に行く」と言うのを物凄く強い口調で断ってしまった為、それ以上、私も母を説得することができないので、今朝、母の癌友にどう思う?と相談の電話をしてみたら、

「ママがそういうなら明日は一人で行かせれば?治療とかが始まる時に家族は改めて呼ばれると思うし」とのアドバイスだったので明日はやきもきしながら麻布で待つことにしました。

冷静に考えても、先週、先生が触診と組織を採取し、検査に出して、あまりにも大変な状況だったら、私の方にすぐに連絡があるはずだし、一週間私の方に連絡がないということは大丈夫なのだろうと自分に言い聞かせる。

そんな一週間を過ごしていいる中、先日、仕事のオファーが来ました。しかもこの仕事6月頃に大至急人を探しているからと言われ、いろんな書類を直ぐに送ってと言われ、せっつかれたのに、その後4ヶ月も連絡がなかったとある語学学校。

非常勤でいいという仕事のオファーでしたが、4ヶ月音沙汰がなかった上、いきなりすぐ来てと、このタイミングで言われても、今は到底、仕事を受ける気になれず、ちょっと考えさせてくださいと電話を切った。

この仕事の返事も明日の母の結果を聞いてからじっくり考えようかと思う。


検査

2014-09-30 15:33:31 | Weblog

今日は7月以来の母の病院の日でした。

母と一緒について行きたかったものの、気を使うから一人で行きたいと母が言う。

どうせ、今日はしこりの部分の組織でも摂って、検査をし、結果は来週辺りだろうと思い、私は家で待機。

10時過ぎに、母から「今、診察が終わった」と連絡があったので、迎えに行ってから、母の用事で港区役所に行き、帰りに大門の新亜飯店でランチしてきました。

今日の診察では案の定、しこり部分の組織を採取され、来週CTを撮るそうで、結果は来週に持ち越しです。

夏に私のイライラを母にぶつけてしまい、本当に申し訳なかったと今更ながら思う。

母も老化するわ、薬の副作用で体はしんどいわ、再発の不安やらで参っていたんだろうな…

とにかく、これからまた色々大変になるんだろうなぁ~と今は漠然と思ふ


罰があたったのかなっ…

2014-09-27 18:18:15 | Weblog

最近、ブログをあまりアップしなかったのは気分的にメッチャブルーで、口に出したり、文章にしてしまうのが怖くて…

夏から自分の検査がひっかかったものの、先生には経過観察で大丈夫だと言われているのに、やはり心の底では嫌な気分があった。

そしてママタンがいれば母との不穏な空気も紛れていたのに、今年の夏から母と同居の話が出てから直接ぶつかることが多くなった。

一昨年、母の癌が見つかった時に、何を言われようとも、ママが一番嫌な気分でしんどいだろうから、どんな理不尽なことがあっても絶対に私は耐えようと決めたはずなのに…

祖母が亡くなり、母の化学療法や放射線治療も無事終わり、少しづつ元気になった母。後は3ヶ月に一度の検診を受けながら薬の服用をきちんとしていれば、再発を予防できるだろう思っていたら、この数年私が口答えしないことをいいことにどんどんわがままになる母に、体調の悪い私がストレスを感じ、夏くらいからちょこちょこ喧嘩をするようになった。

本当にこれで同居なんてできるのか…と家族なのに、お互い嫌な思いをすることが多く、うんざりするやら二人だけの家族なのにいがみ合って悲しいやら…

そんな険悪な空気を断ち切ろうとお神輿を担ぎ活気をつけようと思ったのですが…

でも一昨日の祖母の誕生日に、祖母の大好きだったプリンを花を持って恵比寿に行ったら、母

「来週の検査、ひっかかると思う」と突然、告白する。

7月にはなかったしこりができているというのです。

あぁ~なんで私は数年前にママが発病した時に、ママには一切口答えしないと誓ったことを今年の夏に破ってしまったのだろうと、今更ながら後悔する…

私が夏に体調のことで心配をかけたり、自分がイライラして、母に負担をかけたんだろうかと自分を責めてしまう日が続いています。

でも今更自分を責めたりしてもしょうがない。来週3ヶ月目の検診に母が行って、ちゃんと先生に見て頂いてから、これからのことを考えるしかない…

大したことではないことをとりあえず今は祈るしかないし、その結果次第では再び親子で奮起して母の老いと向き合わなければならないと思う…とりあえず、母を一日でも早く麻布に連れてこようとやっと決心もついたし…

今日は湿っぽいアップですが、来週からまた心を入れ替えて、再びどんな状況でもメゲないブログを目指そうと思うサタデーナイトなのであります


今更ながら十番秋祭り

2014-09-24 11:21:56 | Weblog

今年のお祭りは数年に一度の宮神輿が出るので、絶対、担ぎたい!と思い、今まで半纏の確保をお願いしていた方に連絡を取ったら、町内会を辞めてしまったから、今年は口添えできないと1ヶ月程前に言われてしまった(;_;)

でもやっぱり宮神輿、担ぎたい!と言う気持ちが強く、八百屋のお母さんに誰か、町内会の人を紹介して~!と頼み込み、十番のペットショップのお兄さんを紹介してもらった。

で、無事半纏をゲットして、日曜日は朝8時より十番稲荷から、6町内会の人たちと宮神輿を担ぎ、午後は各町内会の神輿を連合で担ぎ、半纏をこの時点で返そうと思ったら、「青年会のも担ごうよ!」と言われ、ついつい調子をこいて 

こんなメークまでして八時頃まで、十番の商店街を神輿と共に練り歩きました。今年は肩にあざは作らなかったものの朝から夜までテンション上げまくりで結局、翌日はぐったりし、一日寝込んだzzz

お神輿の熱気が冷めない内にブログをアップしようと思いつつ、その後は夏からの続いている幾つかの病院通いやら、マンションの大規模改修工事でベランダの植木やら物置の整理、ママ任務やら、家の整理、テニスやら毎日バタバタとし、アップできぬまま時間が過ぎてしまいました。 


夏の疲れを吹き飛ばすっ

2014-09-13 21:58:05 | Weblog

9月に入り、大分、過ごしやすくなり、夜はむしろ肌寒いくらいの今日この頃。

夏の検査で引っかかり、別に大したことはないのだけれど、いろんな病院で色々と診てもらうということがちと気分を重たくする…

そして、最近、めっきりおとなしくなったが…ママとの同居で頭を抱える中、とある日本語学校で日本語を教えないかという話が舞い込んできた。けど、プライベートで英語は教えたことがあれどもクラスを受け持ったことがないので、どうしようかと迷っているのに、前方はドンドン話を進め、プレッシャーやら不安がまたのしかかり、胃も痛くなる。

片付けなきゃ、日本語教師をやるなら、大学で勉強した以来、すっかり日本語教師の教科すっかり頭の中から消えているから、勉強しないといけないし、今月は幾つかの病院の予約があり、気持ちだけが焦るが何もやる気が起こらない…

あんなに大好きだったテニスにさえも行く気がしない…一応、レッスンや友達に誘われればどうにかコートには行く。行ったらテニスをしたくなるはずと思うも、あまりやる気が出ない。とはいえ、今週も週3のペースでテニスには行っているが、どうにもこうにも、人が誘ってくれたりしない限り、家から、いや、ベッドから出たくない…不安感が強く、何もしたくない、体が重いのです。

もしかして私って欝ぢゃないの?と先日、ふと思った。

ベッドから出たくなくて、ただただボォーっと寝転がって、夜眠剤で寝付く。

これマジやばいかも…と思って、先週、病院に行って相談してきた。

で、不安を和らげる薬みたいなものと胃薬を処方してもらい、1週間様子を見ることになった

その時、頂いたお薬の説明書を帰宅後、じっくり読んで、今まで暗い気分だったのが、大笑いすることになった。

「一般名:ドンペリドン錠」って…

どうせなら、液体ドンペリで歌舞伎町あたりでドンペリドンドンって騒ぎたい感じな名前だ…

さて明日は

十番の秋祭りで

 

十番稲荷の

宮神輿を担ぎます 

去年は喪中の為、泣く泣くお神輿を断念したので、今年は宮神輿と十番のパティオのところの町内会のお神輿を担がせてもらうことになっています。

とりあえず、怪我をしないように、この所の厄を落として、景気付けてこようと思います


プリ、無事退院

2014-09-09 13:09:13 | Weblog

1週間前にとある病院内の駐車場で車をぶつけられ、病院からプリウスをディーラーに直接持っていき、キズモノに乗って都内(主に港区)を走るのが嫌で、代車を頼んで、プリを即入院させた。

で、代車が来たら「多○」のわナンバーで撃沈された私。

翌日のテニススクールの駐車場では人の目を盗むように駐車するほどだった。

しかし、大騒ぎして代車を用意させた割には乗ってねぇじゃないか!とYに言われるのも癪だったのテニスの後は川崎のCOSTCOへ友達に頼まれていたトイレットペーパーを買いに走り、夜分にこっそり帰宅。

友人曰く「多○ナンバーが嫌だと言う割に遠出したわね」と言うので、

「だって川崎なら多○のわナンバーで走っても恥ずかしくないけど港区辺りは恥を晒すことになる」と言い放った私。

金曜日には用事があって多○のわナンバーで母のところへ行くことになった。用事を済ませ、恵比寿から麻布に帰ろうと思って、駐車場を出ようとしているのに、アルファードが駐車場に入ってきたので、思わず

「出る方が先でしょ!「多○のわ」だからって舐めんなよ!」と怒鳴って入ってきた車をバックさせた。

そして、祖母の家の前の坂を降りて信号を左折しようと思ったら、反対車線から右折する車が私よりも先に曲がったので、「私の方が左折なんだから先だろぉーっ!多○だからって舐めんなよ!」

はたまた中国大使館の裏を通ってからたぬき坂を上がって行っているのに、上から下がってくる車がいたので「上り優先だろ!多○だからってなめてんじゃねぇ~!」と腹が立つことばかりだった。

で、漸く日曜日にプリの臓器移植が完了し、迎えに行き、延々と多○のわナンバーは人生最悪のひと時だったとYに愚痴ったら、「プリウスαごときでそんな態度、でかくしなくても…」みたいなことをYが口にするので

私「もう次はレクサスに乗ってやる!」

Y「レクサスは決行対応冷たいよ。」と言うので

私「それは貧乏人が見栄を張ってやっすいレクサスに乗るからです!ベンツだってAとかBやBMの3も貧乏人が見栄張って買う車種だから、小馬鹿にされるんです。そんな見栄で乗って笑いものになるくらいなら軽ではないそこそこの国産車を買えばいいし、馬鹿にされるのが嫌なら、馬鹿にされない程度のモノを身に付け、それなりの生活ができるように頑張るプライドを持たないと人間はいかんのですよ!大体馬鹿にされる人に限って被害者意識丸出しでみっともないったらありゃしない!それにロールスロイスだって何故か群○や茨○ナンバーとかだと滑稽だとあなたは思わないの?身分相応という言葉が日本語にはあるんです!」とたかだか多○のわナンバーごときでスィッチが入る私

その後のYとの雑談では話題ががらりと変わり

私「そーいえば、この間、ネット見ていたらとある人権保護団体が職員を募集しているらしいんだけど、給料がいいから応募してみようと思うのよね」という世間話になった

Y「どの口が人権保護団体の職員に応募するって言ってるんだ。多○ナンバーは有り得ないとか、ベンツのAやBM3を差別しているくせに…」と失笑する

確かに言われてみればおっしゃるとおり…舌の根が乾く前によくもそんなことをぬけぬけと言えたもんだと自分ながらに苦笑。

何はともあれ、プリちゃんが元気になって戻ってきて、良かったと思う週の始まりなのでした。


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