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気ままに

大船での気ままな生活日誌

松ヶ岡暑気払い(3)

2006-08-21 22:08:17 | Weblog
先生知ってますか、あそこの赤い口紅の女文士は、白樺派の武者小路実篤の愛人だったそうですね、と無名人Mは小林に話しかけます。虚をつかれた小林は口をもごもごしています。大阪毎日にいた、真杉静枝は若いときは大変な美人だったそうです、武者が最初に彼女に出会ったとき、あなたは笑うとセザンヌが描く女にそっくりだ、また、別のとき最中を食べる静枝の様子をじっと見つめ、こんなにおいしそうに食べる人を見たのははじめてだと、言ったそうです、そしてそのあと、お決まりのコースです、愛人関係になりました、先生、武者さんというと、宮崎に新しき村をつくったり、真理先生じゃないけど、ほんとうに純粋の人で、まじめな印象ですけど、愛人をつくるなんて信じられますか、とMは畳かけます。小林は、それにしても、お前はずいぶんつまらないことまで知っているんだな、真杉の親戚かなにかかと問います。いや、たまたま、私の現世の縁者が大船行政センターの2階の図書館で立ち読みしているのをスーと飛んで行って、覗いてきただけですよ、林真理子の「女文士」という真杉の自伝みたいな本です、そこに今言ったことが全部書かれています、とMは答えます。

純粋で正直だからこそ、そういう関係になるのだ、そういう純な心がないと、文学者として大成しない、と小林はつぶやいて、口紅の女文士をしみじみと眺め直しました。ちょうど、大船軒の鰺の押し寿司を、本当においしそうに、ぱくついているところでした。なるほどと、うなずきながら、M君、俺だって、と語りはじめました。中原中也との三角関係のことです。話の内容は自分の行為を正当化させているようにも聞こえました。Mは尋ねます。比企幼稚園の向こうの妙本寺の海棠の花の下での中也と話し合いをしたそうですね、世間では、あれは和解の会談だと、言っていますが、本当のところどうなんですか。小林は、遠くをみるような目で、いや、和解なんか一生出来るものか、ただ、会っただけだ、中也も分かっているはずだ、と言って、珍しく涙目になりました。しばらく沈黙が続いたあと、Mはあの海棠は今もそのままですかと聞きますと、あれは枯れちゃったよ、今あるのは、二代目のものだよ、今でも、花の時期には、飛んでいって見にいくんだ、思い出さんこんにちわ、だ、島倉千代子だな、と照れくさそうに言いました。Mが、でも海棠の花は海蔵寺の方がいいですね、と言うと、俺も亀ヶ谷に住んでいたことがあるからよく分かるよ、と答えました。調子に乗って、菖蒲もいいですよ、最近「さらい」の表紙を飾りましたよ、と言いますと、そんなことは、どうでもいいという顔で、また真杉静枝の方に目を向けていました。

田村も真杉以上に波乱の現世でした。ペンネームの名前をいくつももっていますし、不倫歴も真杉に負けません。ふたりは、うなずいたり、肩に手を回したり、ため息をついたり、ふたりのために世界はあるの、と言った感じで話がつきないようでした。すると、真杉のところに、三枝との話を終えた、高見が近寄ってきました。どういう関係だと、小林が少し不快そうにつぶやきます。また天国で三角関係になるとまずいと思い、Mは即座に答えます。現世で親好があったそうです、愛人関係ではなくドライな関係です、葬儀のとき弔辞を読んだと聞いています。それも真理子の本からの情報か、と小林が聞きます。そうです、と答え、つづけて、真杉は、同じ白樺派の美男子の志賀直哉にも関心をもったみたいですよ、結局、進みませんでしたが、と言ったとたん、小林の目がきらりと光りました。脇差しに手がいったようにもみえました。しまったとMは思いました、志賀は小林の師匠です、小説の神様は、小林にとっても神様みたいな人だったのです。愛人がどうのとか、いう話題の中に志賀を入れるのは小林の前では禁句だったのです。Mは急遽話題を変えます。

今日は、奥さん方は、飲み会には出ず、日帰りの南イタリア旅行に行っているようですが、なんでこのくそ暑いときに、あちらに行かれたのですか、とMは尋ねました。われわれは暑さ、寒さは感じないから、関係ない、行き先は、俺のファンという大船に住んでいる奴の意見だ、そいつはときどき、俺の墓お前で、立ち食い蕎麦は、鎌倉駅構内の大船軒がうまい、中華は大船の千馬が安くてうまい、飲み屋はかんのん、とかつまらないことをぐたぐた言っているが、この前はJTBのツアーで行った南イタリアが良かった、シチリア島は、ギリシャ、ローマいろいろな文化が融合した建造物が見られて面白い、是非行ってください、と言うのだ、それをワイフに伝えたら、松ヶ岡自治会で提案し、そこに決まったらしい、と答え、大分機嫌が直ってきました。あっ、西側に陣取る、哲学者グループの方でなにか動きがあったようです。

(つづく)
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松ヶ岡暑気払い(2)

2006-08-21 14:33:04 | Weblog
酒が回り始め、あちこちのたまりから、なごやかな笑い声に混じって怒声も聞こえてきました。天国では通常、みなさん、とても、もの静かで、まるで天使のようにふるまっています。争い事など聞いたことがありません。ただ、今日のお盆の暑気払いと年末の忘年会の日だけは、別です。この両日、天国総督は、住民のマインドコントロールをはずし、ガス抜きをします。ですから、この日は、現世の性格がもろに出てしまいます。それ以上に困るのは、現世では、理性というもので、深層心理というか、真性の性格というものを隠していたのですが、今日はその理性もはずされますので、すべてをさらけ出すことになります。それがどうしても耐えられないと、今回欠席された方も数名いるようです。野上弥生子夫妻もそうだと聞いています。

高見と前田が言い争いをしています。高見がピースを1箱吸いきって、いらいらしているのを見て、前田が、そんなに吸いたければ、そこの、いわたばこの葉っぱでも咬んでればいい、と突き放したのが、けんかの発端です。花の時期には、これをわざわざ見学にくるほどで、傍の岩の壁にはたくさんのいわたばこが生えています。今は花はありませんが、生き生きとした葉は、たばこ葉にそっくりです。何っ、と前田は青筋をたて、なんだ、お前のうち(墓)は、大げさで、大きいばかりで、情緒なく、全然ここには似合わないぞ、高野山にでも引っ越せ、同じようなのがいっぱいあるぞ、小林のように石ころを重ねた、ひっそりした五輪塔の方がここでは尊敬されるんだ、と言い放ちました。前田も負けていません。お前こそなんだ、マンションでいえば、最上階の東南の角みたいなところに住みやがって、一番値段も高いんだろう、身分不相応とはお前のことだ、それに比べ、俺のところは、日当たりは悪いし、風通しも悪い、中古マンションなら一番売れにくいところだ、ただ誤解のないように言っておくけど、あの家の形は俺の本意ではない、周りのものが、つくってくれたんだ、と言い返しました。そのあと、絵のこと、詩のことで言い合いが続きました。こんな会話も聞かれました。今お前が書いている絵はなんだ、どいつもこいつも、みんな洞窟に入っているではないか、そんなに「洞窟の頼朝」が忘れられないのか、とか、なんだそんな寝不足の赤い目をして、おまえこそ、家の前の、赤い芽の詩が乗り移っているぞ、とか、です。

突然向こう正面から、大きな声がありました。小林です。おい、高見、そんなところで高見の見物をしていないで、こっちへ下りてこい、一緒に貸本屋をやった中ではないか、そんな話をしようじゃないか、と助け船を出します。二人が今にも取っ組み合いの喧嘩になりそうだったからです。たばこは、あるかい、と高見が聞くと、マルボローライトならある、という言葉でいそいそと下りてきました。一服つけながら、終戦の年、本に飢えていた市民のために、鎌倉文士が自分達の蔵書本を持ち寄り、貸本屋をつくった頃の話をし始めました。川端康成、久米正雄などの名前も聞こえてきました。しばらくすると、高見の表情がだいぶ、おだやかになってきました。貧乏だったけど、いい時代だった、と涙ぐみます。高見が赤い目をこすり、向こうをみると、三枝博音がいます。国鉄の鶴見事故で天国に来られた方ですが、鎌倉アカデミアの校長だった方です。終戦後、鎌倉に自由な大学をつくろう、と材木座の光明寺を教室にして発足したのが鎌倉アカデミアです。残念ながら4年半で終わりましたが、山口瞳、いずみたく、前田武彦等ユニークな人材がここを巣立ちました。高見が、この学校を小説(小説神聖受胎)のモデルにしています。ちょっと話してくるよと、高見は、三枝の方に移っていきました。

小林はぐるっと全体を見渡します。左手前方に目をやり、女性陣は少ないな、たった3人かと、小声で言いながら、ひとりぽつんと、好物のおざわ屋のたまごやきをつまみながら、ノートにペンを走らせている、四賀光子に大きな声で呼びかけました。おい、この前、地上に舞い降りて、八幡さまのぼんぼり祭回顧展というのをみに行ったら、昭和44年の、あんたのぼんぼりの和歌が飾ってあったぞ、アポロ12号、なんたら、かんたらという歌だったが、たいしたことないな、隣のフクちゃんの月面着陸の漫画の方がよほど、良かったよ、と言ってしまいました。小林は批評とは人をほめることだという意味のことをどこかに、書いていますが、面と向かうと、正反対の対応をしてしまいます。自分でもいやな性格だと思いつつ、まー、しょうがねーやと思っているようです。四賀の顔が氷りつきます。小林の二の矢がいきます。なんかノートに書き込んでいるようだけど、天国でもまだ、つまらない和歌をやっているのか、いくらやっても西行にはかなわんよ。四賀がキッーとした顔を小林に向け、こちらでは、川柳に転向しましたよ、と怒りを帯びた声で言ったあと、ちょうどいいのが出来たから、披露しましょうかと、「飲んだくれ 天国行っても くだをまき」とやってしまいました。小林の顔がみるみる赤くなっていくのが遠目でも分かります。これ以上、続けるとまずいと思ったらしく、隣に座っていた無名人Mが、先生、まーまーと、天国名酒の古史の寒梅の一升瓶を抱え、小林の空になっていたコップにどくどくと、つぎ始めました。そして、してやったりと満足そうな四賀の横で、これまでの騒動が全く耳に入らないほど、二人の世界につかっている、厚化粧の女文士に矛先を変えようと、次の言葉を考えていました。

(つづく)


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