先生知ってますか、あそこの赤い口紅の女文士は、白樺派の武者小路実篤の愛人だったそうですね、と無名人Mは小林に話しかけます。虚をつかれた小林は口をもごもごしています。大阪毎日にいた、真杉静枝は若いときは大変な美人だったそうです、武者が最初に彼女に出会ったとき、あなたは笑うとセザンヌが描く女にそっくりだ、また、別のとき最中を食べる静枝の様子をじっと見つめ、こんなにおいしそうに食べる人を見たのははじめてだと、言ったそうです、そしてそのあと、お決まりのコースです、愛人関係になりました、先生、武者さんというと、宮崎に新しき村をつくったり、真理先生じゃないけど、ほんとうに純粋の人で、まじめな印象ですけど、愛人をつくるなんて信じられますか、とMは畳かけます。小林は、それにしても、お前はずいぶんつまらないことまで知っているんだな、真杉の親戚かなにかかと問います。いや、たまたま、私の現世の縁者が大船行政センターの2階の図書館で立ち読みしているのをスーと飛んで行って、覗いてきただけですよ、林真理子の「女文士」という真杉の自伝みたいな本です、そこに今言ったことが全部書かれています、とMは答えます。
純粋で正直だからこそ、そういう関係になるのだ、そういう純な心がないと、文学者として大成しない、と小林はつぶやいて、口紅の女文士をしみじみと眺め直しました。ちょうど、大船軒の鰺の押し寿司を、本当においしそうに、ぱくついているところでした。なるほどと、うなずきながら、M君、俺だって、と語りはじめました。中原中也との三角関係のことです。話の内容は自分の行為を正当化させているようにも聞こえました。Mは尋ねます。比企幼稚園の向こうの妙本寺の海棠の花の下での中也と話し合いをしたそうですね、世間では、あれは和解の会談だと、言っていますが、本当のところどうなんですか。小林は、遠くをみるような目で、いや、和解なんか一生出来るものか、ただ、会っただけだ、中也も分かっているはずだ、と言って、珍しく涙目になりました。しばらく沈黙が続いたあと、Mはあの海棠は今もそのままですかと聞きますと、あれは枯れちゃったよ、今あるのは、二代目のものだよ、今でも、花の時期には、飛んでいって見にいくんだ、思い出さんこんにちわ、だ、島倉千代子だな、と照れくさそうに言いました。Mが、でも海棠の花は海蔵寺の方がいいですね、と言うと、俺も亀ヶ谷に住んでいたことがあるからよく分かるよ、と答えました。調子に乗って、菖蒲もいいですよ、最近「さらい」の表紙を飾りましたよ、と言いますと、そんなことは、どうでもいいという顔で、また真杉静枝の方に目を向けていました。
田村も真杉以上に波乱の現世でした。ペンネームの名前をいくつももっていますし、不倫歴も真杉に負けません。ふたりは、うなずいたり、肩に手を回したり、ため息をついたり、ふたりのために世界はあるの、と言った感じで話がつきないようでした。すると、真杉のところに、三枝との話を終えた、高見が近寄ってきました。どういう関係だと、小林が少し不快そうにつぶやきます。また天国で三角関係になるとまずいと思い、Mは即座に答えます。現世で親好があったそうです、愛人関係ではなくドライな関係です、葬儀のとき弔辞を読んだと聞いています。それも真理子の本からの情報か、と小林が聞きます。そうです、と答え、つづけて、真杉は、同じ白樺派の美男子の志賀直哉にも関心をもったみたいですよ、結局、進みませんでしたが、と言ったとたん、小林の目がきらりと光りました。脇差しに手がいったようにもみえました。しまったとMは思いました、志賀は小林の師匠です、小説の神様は、小林にとっても神様みたいな人だったのです。愛人がどうのとか、いう話題の中に志賀を入れるのは小林の前では禁句だったのです。Mは急遽話題を変えます。
今日は、奥さん方は、飲み会には出ず、日帰りの南イタリア旅行に行っているようですが、なんでこのくそ暑いときに、あちらに行かれたのですか、とMは尋ねました。われわれは暑さ、寒さは感じないから、関係ない、行き先は、俺のファンという大船に住んでいる奴の意見だ、そいつはときどき、俺の墓お前で、立ち食い蕎麦は、鎌倉駅構内の大船軒がうまい、中華は大船の千馬が安くてうまい、飲み屋はかんのん、とかつまらないことをぐたぐた言っているが、この前はJTBのツアーで行った南イタリアが良かった、シチリア島は、ギリシャ、ローマいろいろな文化が融合した建造物が見られて面白い、是非行ってください、と言うのだ、それをワイフに伝えたら、松ヶ岡自治会で提案し、そこに決まったらしい、と答え、大分機嫌が直ってきました。あっ、西側に陣取る、哲学者グループの方でなにか動きがあったようです。
(つづく)
純粋で正直だからこそ、そういう関係になるのだ、そういう純な心がないと、文学者として大成しない、と小林はつぶやいて、口紅の女文士をしみじみと眺め直しました。ちょうど、大船軒の鰺の押し寿司を、本当においしそうに、ぱくついているところでした。なるほどと、うなずきながら、M君、俺だって、と語りはじめました。中原中也との三角関係のことです。話の内容は自分の行為を正当化させているようにも聞こえました。Mは尋ねます。比企幼稚園の向こうの妙本寺の海棠の花の下での中也と話し合いをしたそうですね、世間では、あれは和解の会談だと、言っていますが、本当のところどうなんですか。小林は、遠くをみるような目で、いや、和解なんか一生出来るものか、ただ、会っただけだ、中也も分かっているはずだ、と言って、珍しく涙目になりました。しばらく沈黙が続いたあと、Mはあの海棠は今もそのままですかと聞きますと、あれは枯れちゃったよ、今あるのは、二代目のものだよ、今でも、花の時期には、飛んでいって見にいくんだ、思い出さんこんにちわ、だ、島倉千代子だな、と照れくさそうに言いました。Mが、でも海棠の花は海蔵寺の方がいいですね、と言うと、俺も亀ヶ谷に住んでいたことがあるからよく分かるよ、と答えました。調子に乗って、菖蒲もいいですよ、最近「さらい」の表紙を飾りましたよ、と言いますと、そんなことは、どうでもいいという顔で、また真杉静枝の方に目を向けていました。
田村も真杉以上に波乱の現世でした。ペンネームの名前をいくつももっていますし、不倫歴も真杉に負けません。ふたりは、うなずいたり、肩に手を回したり、ため息をついたり、ふたりのために世界はあるの、と言った感じで話がつきないようでした。すると、真杉のところに、三枝との話を終えた、高見が近寄ってきました。どういう関係だと、小林が少し不快そうにつぶやきます。また天国で三角関係になるとまずいと思い、Mは即座に答えます。現世で親好があったそうです、愛人関係ではなくドライな関係です、葬儀のとき弔辞を読んだと聞いています。それも真理子の本からの情報か、と小林が聞きます。そうです、と答え、つづけて、真杉は、同じ白樺派の美男子の志賀直哉にも関心をもったみたいですよ、結局、進みませんでしたが、と言ったとたん、小林の目がきらりと光りました。脇差しに手がいったようにもみえました。しまったとMは思いました、志賀は小林の師匠です、小説の神様は、小林にとっても神様みたいな人だったのです。愛人がどうのとか、いう話題の中に志賀を入れるのは小林の前では禁句だったのです。Mは急遽話題を変えます。
今日は、奥さん方は、飲み会には出ず、日帰りの南イタリア旅行に行っているようですが、なんでこのくそ暑いときに、あちらに行かれたのですか、とMは尋ねました。われわれは暑さ、寒さは感じないから、関係ない、行き先は、俺のファンという大船に住んでいる奴の意見だ、そいつはときどき、俺の墓お前で、立ち食い蕎麦は、鎌倉駅構内の大船軒がうまい、中華は大船の千馬が安くてうまい、飲み屋はかんのん、とかつまらないことをぐたぐた言っているが、この前はJTBのツアーで行った南イタリアが良かった、シチリア島は、ギリシャ、ローマいろいろな文化が融合した建造物が見られて面白い、是非行ってください、と言うのだ、それをワイフに伝えたら、松ヶ岡自治会で提案し、そこに決まったらしい、と答え、大分機嫌が直ってきました。あっ、西側に陣取る、哲学者グループの方でなにか動きがあったようです。
(つづく)