気ままに

大船での気ままな生活日誌

思い出旅行(1)

2006-08-31 18:56:13 | Weblog
満員でキャンセル待ちになっていたA旅行社のツアーが、急遽OKとなり、出かけることになりました。黒部アルペンルートと上高地を訪ねる旅です。このコースは、私達の新婚旅行コースの一部にもなっていましたので、久しぶりに行ってみようかと応募しておいたのです。ミスターが、巨人軍は永遠に不滅です、と涙ながらに叫び、後楽園球場を去った年ですから、もう30年以上も昔になります。

東京駅八重洲口に集まった、参加者のほとんどが熟年夫婦でした。総勢20数名が上越新幹線のマックスとき315号に乗り込みます。あっという間に高崎、そして、清水トンネルに入りました。長いトンネルです。すぐ川端康成さんの名文を思い出しました。ーーー「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった 夜の底が白くなった」いいですね、小説の書き出しではピカイチですね、和歌では西行の「心なき身にもあはれはしられけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」ですね、俳句では芭蕉の 「よくみれば なずな花咲く 垣根かな」でしょうか、川柳ではと、頭を巡らします、「本降りに なって出て行く 雨宿り」 これですね、映画のラストシーンは、ーーと連想ゲームの輪を広げます。すると突然、「長いトンネルを抜けると、目の底が白くなった」で目が醒めます。越後湯沢に着きました。

ここから先は、私には初めて乗る路線です。はくたか6号で、富山まで行くのですが、帰ってから時刻表で調べてみましたら、北越急行という路線を使っていました。米どころだけあって、豊かな水田地帯が続きます。魚沼の地名も看板で見えましたので、きっと、あの有名銘柄もこの辺りなのでしょうか。初めてのところは、何気ない、どんな景色でも全く飽きません。しばらく走り、直江津に着きました。搭乗員さんが駅弁を配ってくれます。謙信公お立ち弁当とあります。この近くに謙信さんの難攻不落といわれた山城、春日山がありますので、そこに因んだ名前でした。普段は倹約家の謙信さんは、合戦の前には、大盤振る舞いの食事を用意したそうです。それで、お立ち弁当という名前なのです。陣中食のしそにぎりと栗おこわをメインにした、おいしいお弁当でした。

直江津からは海辺を走る、北陸本線に入ります。糸魚川、親不知、魚津など知ってる名前の駅を過ぎ、富山に近づく頃、車内アナウンスがありました。おわらの風の盆は9月1日と2日に行われまーす、どうぞ、おいでください、との短い案内でしたが、お祭り好きの私としては、聞き逃せません、とくに風の盆は「一度は行きたい老舗盆踊り」です。これはワイフも同様で、すでに、ツアー仲間から、かなりの情報を集めています。富山の近くの八尾という小さな町に、大勢の人が詰めかけるため、交通手段と宿泊場所が問題になります。雑魚寝して泊まる旅館が八尾にあるので、そこを利用するツアーがいいのではないかと、ワイフは言います。いびきや寝相も気になるし、よその奥さんが隣に寝ているのも、落ち着かないしね、というと、いいのよ、風の盆は夜中じゅうやっているから、寝ないでいいのよ。明け方帰ってきて、ちょっと休めばいいのよ、と言うのです。なるほど、これにしよう、来年は、と二人で合意しました。でも、すぐ、定員が埋まっちゃうらしいのよ、だそうです。また、来年もキャンセル待ちになりそうです。

そうこうしている内に富山駅に着きました。駅の売店で名物の鱒寿司を売っていました。赤い鱒と白い鱒の絵の、2種類の弁当がありました。グルメに詳しいワイフが、赤の方が上等で、高いけどすぐ売り切れるのよ、と言っていました。私が大船の鰺の押し寿司は、安い方がおいしいよ、と言うと、そんなことはないと一蹴されました。新婚旅行のときは、今回と逆コースで、アルペンルートを終え、富山駅に着きました。そのとき、ここで、鱒寿司を買い、飛騨高山に向かう列車に乗り換えました。それが、赤だったか、白だったか、(ワインみたいですね)憶えていません。 

(つづく)






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