おはようございます。藤田嗣治展鑑賞記録もいよいよ最終回となりまする。
第二次世界大戦が終わり、従軍画家だったこともあり、”戦争協力者”といちゃもんをつけられ、日本に居づらくなっていた藤田嗣治は、1949年に日本を去り、ニューヨークへ。さらに、懐かしいパリへ移り、晩年まで過ごした。1955年にフランス国籍を取得、1957年にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を贈られた。最終章は、戦後の日本での作品と、ニューヨークやパリで制作された素晴らしい作品が並ぶ。
第7章 戦後の20年/東京・ニューヨーク・パリ
優美神(1946-48) 聖徳大学 美校時代の師匠、黒田清輝の智・感・情を彷彿とさせる。
私の夢 (1947) 新潟県立美術館 マドレーヌを描いた”眠れる女”の再現。まるで涅槃図のよう。
カフェ(1949)ポンピドゥ・センター ニューヨークで制作。窓の風景はパリ。ふと、ぼくの好きな、マネの”フォリー=ベルジェール劇場のバー”を思い出した。
さて、この観賞記録は、第4章の乳白色の裸婦の時代から出発したので、初めに戻りましょう。
第1章 原風景/家族と風景
藝大所蔵の自画像、父の像、婦人の像など。
第2章 はじまりのパリ/第一次世界大戦をはさんで
二人の女(1918) 北海道近代美術館
私の部屋、目覚まし時計のある静物(1921) ポンピドゥ・センター 日本の帝展にも送られ、日本デビュー作ともなった。モンパルナス、ドランブル通りのアトリエで。
第3章 1920年代の自画像と肖像/”時代”をまとうひとの姿
エミリー・クレイン・シャドボーンの肖像(1922) シカゴ美術館 背景に銀箔を用いている。この頃、金箔をよく用いたが、銀箔が確認されるのはこの作品のみ。
自画像 (1929)東近美所蔵
本展の特長(サイトより)
1)史上最大級の大回顧展。没後50年の節目の機会に相応しく、史上最大級の規模で、精選された作品100点以上を展示します。
2)欧米の主要な美術館所蔵の藤田の代表作が来日!パリのポンピドゥー・センターや、ベルギー王立美術館、アメリカのシカゴ美術館など、欧米の主要な美術館から、初来日作品も含め約20点の代表作が集います。
3)藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による裸婦10点以上が集結!数年前に修復を終えた大原美術館の《舞踏会の前》や東京国立近代美術館の《五人の裸婦》など国内の代表作に加え、海外からも1920年代の最盛期に描かれた「乳白色の下地」による裸婦像が集います。
4)上野に藤田が還ってくる!東京美術学校(現・東京藝術大学)で学び、昭和前期に日本に帰国した際には東京都美術館にて展示の機会を重ねた藤田にとって、上野は画家としての原点といえます。藤田の回顧展が上野、東京都美術館で開催される初めての機会です。
とても素晴らしい展覧会でした。
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