気ままに

大船での気ままな生活日誌

平家物語 芭蕉と小林秀雄

2008-12-14 14:16:41 | Weblog
鎌倉女子大の公開講座”平家物語”も、一昨日が今年最後の講義でした。今回は”一谷合戦の哀話”というテーマで、”知盛最期””落石”そして゛小宰相身投”と巻第九の最終盤の、哀れを誘う物語が解説されました。

麻原美子先生によるこの講義では、テキストの”平家物語”(岩波文庫)のほか、そのときどきの場面に関連する様々な資料が手渡されますが、それがとても面白いのです。資料としては吾妻鏡、玉葉、愚管抄などの歴史本が中心ですが、よく知られている謡曲や、現代の評論文なども紹介されることもあります。

ボクの好きな小林秀雄の”平家物語”も、宇治川先陣の場面で紹介されました。”先駆けの勲功立てずば生きてあらじと誓える心生食(いけすき;名馬)知るも”の正岡子規の歌の書き出しで始まる、戦前に書かれた評論文です。”子規の心が平家物語の美しさの急所に鋭敏に動いた様が感じられ、詩人がどれくらいよく詩人を知るか、その見本のような歌と思われて面白い。”そして小林はさらに、こう続けます。”平家の中の合戦の文章は皆いいが、宇治川の先陣は、好きな文章のひとつだ。盛衰記でもあのあたりはすぐれた処だが、とても平家の簡潔な底光がしているような美しさには及ばぬ”。

小林秀雄の”平家物語”を読んでのち、また原本を読み返すと、なるほどなるほど、ここは、そういうことだったのか、ずいぶん浅はかな読み方をしていたな、そんな思いにかられます。”このあたりの文章からは、太陽の光と人間と馬の汗とが感じられる、そんなものは少しも書いていないが”なるほど。”終わりの方も実にいい。勇気と意志、健康と無邪気とが光輝く””平家の人々はよく笑い、よく泣く。僕らは、彼ら自然児達の強靭な声帯を感じるように、彼らの涙がどんなに塩辛いかも理解する。誰もいたずらに泣いてはいない。空想は彼らを泣かすことはできない”なるほど、なるほど。

小林秀雄にはもうひとつの戦後に書かれた”平家物語”があります。その、終盤にこんな文章をみつけました。「芭蕉は義仲が好きだった。なぜこのすぐれた自然詩人が、自然を鑑賞したことなど一度もなかった義仲を好んだのか。この理由を彼に教えたのは”平家”以外のものではあるまい。”木曾どのと背中合わせの寒さかな”は、”さてこそ栗津の軍(いくさ)はなかりけれけれ”と続くのである」

そういえば、芭蕉は義仲びいきでしたね。”おくのほそ道”の北陸路の小松で詠まれた”むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす”の名句は、親を亡くした2才の義仲を引き取り、育てた平家の武将、実盛の甲のことです。そして、今も義仲寺で、背中合わせで一緒に眠っています。

芭蕉は相当な平家物語通であったことを今回の講義で初めて知りました。今回の講義資料のひとつに、芭蕉の”笈の小文”がありましたが、そこには今回の一谷合戦を含む、平家物語の記述が多々ありました。

ボクが敬愛する芭蕉と小林秀雄も愛読していた平家物語。これからは、ボクももう少し念を入れて(受講中、いねむりしないで/昼食のあとの講義なのでついトロンとしてしまうのです;大汗)勉強してみようかなと思いました。
。。。

この講義は女子大の二階堂学舎で二週間に一度、行われていますが、鎌倉駅からここまでの約半時間の散歩コースも、講義同様、いつも楽しみにしています。この日も、まず八幡さまの神苑牡丹園の紅葉を。








途中の小学校にへんな木が。黄色いシールで幹をまいて、”森パンの木プロジェクト”とかの案内がありました。なんでしょうか。



女子大二階堂学舎の冬桜とサザンカ。赤と白、源平合戦ですね。




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