こんばんわ。
先日、山のホテルの躑躅を見てきたときに、近くの成川美術館に寄った。ぼくの好きな堀文子の展覧会が開催されていた。堀文子の花/野の花にひかれてというタイトル。
箱根の芦ノ湖を望む成川美術館は、100点を超える堀文子コレクションで知られる。今回はそのうち、二十数点ほどの各地の花々をモチーフにした作品が並ぶ。
成川美術館から芦ノ湖を望む。この日、富士山は雲隠れだった。翌朝の山のホテルではばっちりだった。
堀文子さん(1918-2019年)は、数年前、100歳でお亡くなりになった。1967年に、自然の中にいないと酸欠すると、都内から大磯の高麗山に移り、そこに晩年まで過ごした。加えて、軽井沢やイタリアのトスカーナの自然の中にアトリエを構えた。さらに、ときどき世界放浪の旅にも出ている。82歳まで三度のヒマラヤへの旅では、5000Mの高地の岩場で幻の花、ブルーポピーに出会った。
20数点、展示されているが、まず、ぼくも大好きなヒマラヤのブルーポピーの絵から。
全山が石ころだらけの山。岩陰に、ひっそりと咲いていたブルーポピー。薄絹のような青い花のあどけなさとは裏腹に、蕾も茎も葉も全身に金色の棘を生やしていた。可憐な花とは全く違い、決して群れず、ただ一株だけで生きる孤高な存在だった(文は堀文子)。堀文子は、”群れない 慣れない 頼らない”をモットーに生きて来た。ブルーポピーに自分自身を写していたのだろう。
ブルーポピー
孤絶の花、ブルーポピー
そして、イタリア、トスカーナ地方の野の花の絵にも出会えてうれしい。これらの絵を見ると、むかし、イタリア旅行で見たポピーの花咲くトスカーナの草原を思い出す。
トスカーナの花野
ひまわり畑
トスカーナの麦畑 赤い花はポピー
以上の作品だけで、十分、満足だったが、ほかにもいいものがいっぱい。
大磯の山や軽井沢で見た野の花々。
仙人草
仙翁
桔梗
牡丹
紫陽花
椿
芽吹く頃 引っ越してきた大磯の高麗山の芽吹きのうつくしさに感動して描く。
春の庭 49歳のとき青山から大磯の高麗山の麓に移ったとき枝垂れ桃と愛猫五助も一緒に来た。
地に還る日 晩秋、老醜を見せずに地に還る落葉のうつくしさにはいつも息を飲む。
自然と生命を描きつづけた堀文子さん。この写真を見ると、2010年10月の平塚美術館の”堀文子展”初日の出来事を思い出す。何と、堀文子さんが見学に来られていたのだ。当時は90歳を越えたばかり。そして、回りの人に、この猫は、うちの物置から出てきたのよとか、若いときの絵をみて、上手ね、どうやって描いたのかしら(笑)とか、この絵は、思い出のある絵なのよ、どこで所蔵しているの?とか、画家自らの”ギャラリートーク”をなさってくれた。とても、ぜいたくな時間だった。
とてもすばらしい展覧会だった。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
箱根の湿生花園のブルーポピー。最近は見られなくなったのは残念。やはり低地では棲めないのか。あるいは、群れているのがいけないのか(笑)。
ここは取っても心安らぐ場所ですよね。
ブルーポピーは薬用植物園でも見れます。
まだ時期は早いと思います。
冷房のお部屋の中にあるのでガラス越ししか見れません
堀文子さんのことウイキペデイアを斜め読みしましたが、スーパーウーマンに思えます。
92歳にして、画家自らの”ギャラリートークをされるなんてそのようなエネルギュッシュな方もおられるんですね。
なんと言っても、ヒマラヤの全山が石ころだらけの山の岩陰に、ひっそりと咲いていたブルーポピーの作品にはある種のショックを受けました!
”群れない 慣れない 頼らない”って真似出来そうにないです。
このような日本画は拝見したことない気がしますが、どの作品からも力強いインパクトを感じます。
大正生まれの方の気骨も感じます。
有難うございました。
NHKの趣味の園芸の表紙も描かれていたような。
半夏生。
この花を知ったのも、院展でのことでした。
閏年にも因りますが拙誕生日となるからです。
芯のある、それでいてたおやかな方でしたね。
80歳を過ぎて、ヒマラヤ山脈に三度もと、スーパーウーマンですね。平塚美術館でお会いしたときは、車いすで、正式なギャラリートークではなく、ぽつりぽつり感想を述べているのを傍で聞かせてもらいました。
堀文子さんは、花の絵だけでなく、人物、動物、微生物まで生物全般をモチーフにしていて、きっと小父さんにも気に入ってもらえると思います。
半夏生の日が誕生日とはいいですね。半化粧してお出かけでしょうか。