こんばんわ。
東京国立博物館で開催されている”古代メキシコ展”。つづきです。
次のような章立てになっている。今回は第3,4章のマヤとアステカとなりまする。
第一章 古代メキシコへの誘い
第二章 テオティワカン 神々の都
第三章 マヤ 都市国家の興亡
第四章 アステカ テノチティトランの大神殿
第三章 マヤ 都市国家の興亡
マヤは前1200年頃から後16世紀までメキシコと中米の一部(メソアメリカ)一帯で栄えた文明であり、後1世紀頃には王朝が成立した。王や貴族はピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦などに特徴をもつ力強い世界観を有する王朝文化を発展させた。本章では、マヤの文化的発展と王朝史に焦点を合わせ、特に王朝美術の傑作と名が高い、「赤の女王のマスク」をはじめとする王妃の墓の出土品が本邦初公開される。
では、本展の目玉展示から。会場の一画、紅い照明に照らされた洞窟のような部屋。そこに赤い衣をまとう人影が。この方が”赤の女王”。1994年、パレンケ遺跡の神殿で発見された女性遺体。一緒に埋められていた豪華な副葬品から高貴な女性と推定され、DNA鑑定などから、パレンケ最盛期のバカル王の王妃と推定された。通称、”赤の女王”と呼ばれる。
赤の女王のマスク・冠・首飾り 7世紀後半 パレンケ13号神殿で真っ赤な辰砂(水銀朱)に覆われて埋葬されていた”赤の女王”。このマスクをはじめとする品々を身に着けていた墓の主はパカル王妃。まるでそこに女王が横たわっているような感じで鑑賞できる。
マスク、冠、首飾り。胸と肩を覆うケープ状の織物はクブと呼ばれるマヤ王族が身につけていたもの。
ヒスイ製のマスク
パカル王とみられる男性頭像(復元)
96文字の石板 783年 パレンケ遺跡の王宮で見つかった、パカル王以来の歴代の王が即位したことがマヤ文字で刻まれた石板。マヤの人は、優れた書跡碑文を芸術品として愛好したが、その最高峰に位置するものとのこと。
(拡大)
猿の神とカカオの土器蓋 600~950年 トニナ出土 猿の形相をした神の像で、猿が好んで食べるカカオの実の装飾がみられる。カカオ豆は飲料にするほか、スペイン侵攻時には通貨として使われていたことが知られており、重要な交易品だったそう。
トニナ石彫 708-721年
土器 600-830年
土偶 600-950年
後古典期のチチェン・イッツァ地域(9世紀にはマヤ低地南部の多くの都市は衰退し、中心はユカタン半島北部に移る。チチェン・イッツァとはマヤ語で「聖なる泉のほとりの水の魔法使い」を意味する。
カスティーヨ (ククルカンノ神殿)
二つのアトランティス像。 玉座(または祭壇)を懸命に支えていた者たち。
トゥーラのアトランティス像 900~1100年
チチェン・イッツァのアトランティス像 900~1100年
チャクモール像 900~1100年 チチェン・イツァ、ツォンパントリ出土 後古典期のチチェン・イツァやトゥーラで多く見つかる彫像で、アステカにも受け継がれた。腹の部分が皿のようになっており、供物や時には生贄の心臓が捧げられることもあったとみられる。

















今宵は青森ねぶたをテレビ桟敷で。
