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気ままに

大船での気ままな生活日誌

古代メキシコ展(2)マヤとアステカ

2023-08-05 18:14:49 | Weblog

こんばんわ。

東京国立博物館で開催されている”古代メキシコ展”。つづきです。

次のような章立てになっている。今回は第3,4章のマヤとアステカとなりまする。

第一章 古代メキシコへの誘い
第二章 テオティワカン 神々の都
第三章 マヤ  都市国家の興亡
第四章 アステカ テノチティトランの大神殿

第三章 マヤ  都市国家の興亡

マヤは前1200年頃から後16世紀までメキシコと中米の一部(メソアメリカ)一帯で栄えた文明であり、後1世紀頃には王朝が成立した。王や貴族はピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦などに特徴をもつ力強い世界観を有する王朝文化を発展させた。本章では、マヤの文化的発展と王朝史に焦点を合わせ、特に王朝美術の傑作と名が高い、「赤の女王のマスク」をはじめとする王妃の墓の出土品が本邦初公開される。

では、本展の目玉展示から。会場の一画、紅い照明に照らされた洞窟のような部屋。そこに赤い衣をまとう人影が。この方が”赤の女王”。1994年、パレンケ遺跡の神殿で発見された女性遺体。一緒に埋められていた豪華な副葬品から高貴な女性と推定され、DNA鑑定などから、パレンケ最盛期のバカル王の王妃と推定された。通称、”赤の女王”と呼ばれる。

赤の女王のマスク・冠・首飾り 7世紀後半 パレンケ13号神殿で真っ赤な辰砂(水銀朱)に覆われて埋葬されていた”赤の女王”。このマスクをはじめとする品々を身に着けていた墓の主はパカル王妃。まるでそこに女王が横たわっているような感じで鑑賞できる。

マスク、冠、首飾り。胸と肩を覆うケープ状の織物はクブと呼ばれるマヤ王族が身につけていたもの。

ヒスイ製のマスク

パカル王とみられる男性頭像(復元)

96文字の石板 783年 パレンケ遺跡の王宮で見つかった、パカル王以来の歴代の王が即位したことがマヤ文字で刻まれた石板。マヤの人は、優れた書跡碑文を芸術品として愛好したが、その最高峰に位置するものとのこと

(拡大)

猿の神とカカオの土器蓋 600~950年 トニナ出土 猿の形相をした神の像で、猿が好んで食べるカカオの実の装飾がみられる。カカオ豆は飲料にするほか、スペイン侵攻時には通貨として使われていたことが知られており、重要な交易品だったそう。

トニナ石彫 708-721年

土器 600-830年

土偶 600-950年

後古典期のチチェン・イッツァ地域(9世紀にはマヤ低地南部の多くの都市は衰退し、中心はユカタン半島北部に移る。チチェン・イッツァとはマヤ語で「聖なる泉のほとりの水の魔法使い」を意味する。

カスティーヨ (ククルカンノ神殿)

二つのアトランティス像。 玉座(または祭壇)を懸命に支えていた者たち。 

トゥーラのアトランティス像 900~1100年

チチェン・イッツァのアトランティス像 900~1100年

チャクモール像 900~1100年 チチェン・イツァ、ツォンパントリ出土 後古典期のチチェン・イツァやトゥーラで多く見つかる彫像で、アステカにも受け継がれた。腹の部分が皿のようになっており、供物や時には生贄の心臓がげられることもあったとみられる。

第四章 アステカ テノチティトランの大神殿
 
 
首都テノチティトラン 湖の上の都市。現在のメキシコシティーはこの上にある。
 
 
アステカでは太陽は消滅するという終末信仰が普及していて、人間の心臓を神に奉げることで太陽の消滅を先延ばしすることが可能になると信じられていた。そのため人々は日常的に人身御供を行い生贄になった者の心臓を神に捧げた。また神々に雨乞いや豊穣を祈願する際にも、人身御供の神事を行った。アステカは多くの生贄を必要としたので、生贄を確保するために戦争することもあった(Wiki)。
 
 
装飾髑髏 1469ー81 20~30歳の成人男性の頭蓋骨に貝殻と黄鉄鉱で装飾を施したもの。アステカで”死者の世界の主”ミクトランテクトリ神を表していると考えられる。

 
 
シベ・トテック神の頭像 1325-1521 シベ・トテックとは”皮をはがれた我らが主”という意味で生贄となった人間の皮をまとう神。
 
 
夜空の石板 1325-1521 両脇には金星と星、中央には鷲と兵士が表されている。戦争や生贄で亡くなった兵士の魂は太陽と共に天空を旅しなければならない。
 
 
鷲の戦士像 1469~86年 テンプロ・マヨールの北側、鷲の家で見つかった等身大とみられる戦士の像。王直属の「鷲の軍団」を構成した高位の戦士、もしくは戦場で英雄的な死を遂げ鳥に変身した戦士の魂を表している。
 
 
 
トラロク神の壺 1440~69年 テンプロ・マヨール、埋納石室56出土 雨の神であるトラロクはメソアメリカで最も重要視され、多くの祈りや供え物、生贄が捧げられた神。水をたくわえるための壺にトラロク神の装飾を施すことで、雨と豊を祈願した。
 
 
近年出土した金製品の数々。
 
 
耳飾り 1486-1502
 
 
チポナストリ (木鼓)1325ー1521 ほかに笛などの楽器類も。
 
 
プルケ神パテカトル像 1469-81年 リュウゼツランの発酵酒、プルケはアステカの儀礼で重宝された。パテカトルはその発酵を促す植物オクパト発見した神。
 
 
(公式サイトから)メキシコには35もの世界遺産があり、なかでも高い人気を誇るのが、古代都市の遺跡群です。前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻までの3千年以上にわたり、多様な環境に適応しながら、独自の文明が花開きました。本展は、そのうち「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点をあて、メキシコ国内の主要博物館から厳選した古代メキシコの至宝の数々を、近年の発掘調査の成果を交えてご紹介するものです。普遍的な神と自然への祈り、そして多様な環境から生み出された独自の世界観と造形美を通して、古代メキシコ文明の奥深さと魅力に迫ります。
 
(完)
 
では、おやすみなさい。
 
いい夢を。

今宵は青森ねぶたをテレビ桟敷で。
 
追加 22:07 居待月
コメント (6)
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