おはようございます。
2007年に東博で”インカ・マヤ・アステカ展”が開かれたが、今回は、地域をメキシコに絞り、後二者にテオティワカンを加えた”古代メキシコ展”が開催されている。
こんな魅惑的な看板が迎えてくれる。
三つの看板スターは、左から、死のディスク石彫(テオティワカン文明)、赤の女王のマスク・冠・首飾り(マヤ文明)、鷲の戦士像(アステカ文明)である。それぞれの文明の代表作品である。
BC1500年頃から16世紀のスペイン侵攻までの3千年以上にわたり、多様な環境に適応しながら、独自の文明が花開いた。ここでは、マヤ文明(BC3世紀~AD16世紀)、アステカ文明(14 ~16世紀)、テオティワカン文明(1~7世紀)の三つの文明に焦点を絞っている。
それぞれの文明の所在地。古代都市テオティワカンは現在のメキシコシテーに隣接している。
展覧会場内は撮影が許可されているので、たくさん撮ってきたが、代表的なものに絞ろうと思う。
次のような章立てになっている。
第一章 古代メキシコへの誘い
第二章 テオティワカン 神々の都
第三章 マヤ 都市国家の興亡
第四章 アステカ テノチティトランの大神殿
以下、順に展覧会場の解説を参考にしながら、記録しておきたい。前編は第1,2章のみ。
第一章 古代メキシコへの誘い
今から1万3千年以上前にシベリアからアメリカ大陸に渡ってきた人類は長い放浪を経て、メキシコに到着した。そこで、数千年にわたり、多様な環境に適応した民族集団が生まれ、文化も誕生した。BC1500年頃、メキシコ湾岸に興ったオルメカ文明は、メソアメリカで展開する多彩な文明のルーツともいわれる。
オルメカ様式の石像 半人半ジャガーの幼児像(前1000~前400)オルメカ文明は、巨石人頭像で知られるが、これはヒスイを使った小品。ジャガーを信仰していた。
第二章 テオティワカン 神々の都
この古代都市(1~7世紀)は、ティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で、太陽のピラミッド、月のピラミッド、羽毛の蛇ピラミッドそして南北5キロにわたる道(死者の大通り)が基点となり各施設が配置されている。宮殿、神殿のほか多数のアパートメントが立ち並び、10万人ほどが住んでいたという。
太陽のピラミッド テオティワカン最大の建造物であり、200年頃建造されたと考えられている。
羽毛の蛇ピラミッド(背後の写真)の壁面を飾る大石彫の一部。巨大な石彫で飾られた羽毛の蛇ピラミッドは、全体が王の権力や冠に込めた権威を表わす、メソアメリカで最初の大モニュメントだった。
羽毛の蛇神石彫 200~250年 羽毛の蛇ピラミッド出土(羽毛の蛇神は王権の象徴だった)
シパクトリ神飾り石彫
死のディスク石彫(300~550年)太陽のピラミッド、太陽の広場出土(メキシコ先住民の世界観では太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていた。この作品は地平線に沈んだ夜の太陽を表わすと考えられている。)
復元すると直径1.5mにもなる大型の石彫。
鳥形土器 250~550年 多くの貝が貼り付けられた、鳥の形をかたどった土器。メキシコ湾岸地域との交易で貝などを手に入れていた商人の墓からの出土品。
嵐の神の壁画(350-500)背負い籠と手にトウモロコシをもつ。
賑わう会場。
盾を持つ小像(450-550)
耳飾りをつけた女性立像 200-250年 月のピラミッド出土
人形骨壺(450-550)移民地区のオアハカ地区から出土。
三足土器(450-550)生贄儀礼の神官が描かれてる。
椀 200-250年 羽毛蛇ピラミッドから出土
トランペット 10-250年 巻貝の先端を切り落とし吹口とした。
香炉 350-550年 戦士の魂を鎮める行事に使われたと考えられる。
では、第二会場へ。