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大船での気ままな生活日誌

MET 印象派編(メトロポリタン美術館展 #6)

2022-06-04 08:41:49 | Weblog

おはようございます。

メトロポリタン美術館展の感想記はこれが最後となりまする。これまで、本展の章立てを無視して、画題順に紹介してきましたが、やはり最後に本展の章立てを明らかにしておこうと思います。ルネサンスから19世紀まで500年間の西洋絵画史を彩る巨匠たちの作品が時系列で並ぶ構成になっている。

METヨーロッパ絵画部門

第1章 信仰とルネサンス(イタリアと北方のルネサンスを代表する画家たちの名画17点)

第2章 絶対主義と啓蒙主義の時代(君主が主権を掌握する絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術、各国の巨匠たちの名画30点)

第3章 革命と人々のための芸術 (19世紀はヨーロッパ全土に近代化の波が押し寄せた激動の時代の、市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画18点)

。。。。。

今回の”MET印象派編”はすっぽり第3章に入る。なお、ポスト印象派も含まれている。各絵画の説明は公式サイトの解説による。

シスレー ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋 1872年 1872年にシスレーはここで数回にわたって制作しており、初期印象派運動の典型的な夏の風景画の1点。

ルノワール 海辺にて 1883年 印象主義と、古典主義という、ルノワールの新旧のスタイルをいずれも示す、特徴的な表現による人物と風景の絵画。 

ルノアール ヒナギクを持つ少女 1889 彼の人物画には晩年まで一貫して、若くふくよかな体つきの女性が登場する。彼女たちはルノワールにとって、量感表現や光の効果など、絵画の様々な課題の検討に最適なモチーフだった。

エドガー・ドガ 踊り子たち、ピンクと緑 1890年頃 ドガは、踊り子を好んで多く描きました。ここでは、物陰から覗き見た、舞台裏で衣装を整える踊り子たちの姿を描いている。この作品が描かれた頃、ドガの視力はすでに著しく衰えていた。それでも踊り子たちのふとした仕草を捉えるドガの目は鋭く、画面は鮮やかな色彩で輝いている。

セザンヌ リンゴと洋ナシのある静物 1891–92年頃 この作品に描かれたリンゴと洋ナシは、堅固な形態を持ち、並々ならぬ存在感を放っている。机は傾き、壁は歪んでいるように見えるが、画面内の全ての要素が絶妙なバランスで描かれており、構図には確かな安定感がある。当時の大衆からは受け入れられなかったが、先進的な画家や美術批評家たちからは称賛され、死後にはキュビスムをはじめとする20世紀初頭の前衛芸術に多大な影響を及ぼした。

モネ 睡蓮 1915-1919 モネは、ジヴェルニーの自邸の庭に造った睡蓮の池を1897年頃からモチーフとし、約30年間描き続けた。これを描き始めた時から、睡蓮のテーマで一室を飾る構想を立て、1915年頃からモネが「大装飾画」と呼んだ大画面の作品を次々と生み出す。その中の一つである本作には、当時白内障に侵されていたモネが見たヴィジョンとも言える遠近感のない不思議な光景が広がっている。空や様々な植物が池の水に反映する虚構と、水面の睡蓮の葉や水中の水草といった現実の対比から画面は構成され、それが青、緑、黄、白などの縦横無尽な筆致で彩られている。こうした抽象化された画面は、抽象表現主義の先駆けとして評価され、まさに前衛画家モネならではの作品となっている。

ゴッホ 花咲く果樹園1888年 1888年2月、ゴッホはパリを離れ、南仏のアルルに移り住みました。その年の春、ゴッホは果樹園の絵を数多く描きます。《花咲く果樹園》の画面下半分には色鮮やかな花咲く草地が広がり、新緑の木々は生き生きと空を覆い、人気のない風景には穏やかな空気が流れています。浮世絵を愛好したゴッホは日本に憧れと夢を抱き、陽光と色彩であふれる南仏とユートピアとしての「日本」を重ねたと言われています。アルルの風景に魅せられたゴッホは、それらを輝く色彩によって描くことに没頭しました。

メトロポリタン美術館 セントラルパークの東中央、五番街にそびえるメトロポリタン美術館。1870年創立。先史時代から現代にいたるまでの5千年の美術品が300万点以上も所蔵されている。

以上で国立新美術館で開催された”メトロポリタン美術館展”の”完”といたしまする。とても面白い展覧会でした。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (4)
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