おはようございます。ご機嫌いかがですか。ぼくは夜明けと共に起き出し、富士山が見えそうな日には隣りの棟の7階まで行き、富士山を眺めます。それほど、富士山が大好き。さて、きょうの話題は、ぼく同様、富士山が大好きな画家、横山大観の展覧会のことです。
最近、大観の絵を観る機会が多くなったが、富士山ばかりの展覧会というのは初めてかもしれない。それが平塚市美術館で始まったというので早速、みに行ってきた。
全部で前後期合わせて、54点。よくぞ集めた、いろいろな所蔵先と交渉するだけでも大変だろうなと思った(笑)。所蔵先を挙げてみると、奈良博、野間、三溪園、静岡県立、横浜美、メナード、三の丸、小田原高校、伊豆市、氷川神社、茨城近代、ポーラ、霊友会、大松美、山梨県立、遠山、慶応幼稚舎、東近美、高島屋、ひろしま美、北野美、日本美術院、大観記念館、五島美、富士美と実に多岐にわたる。それだけ、大観富士は日本中に分布しているのだ。
ほぼ時系列の展示で、明治28年(1895)作の”武蔵野図”(奈良博)から始まる。明治元年(1868)生まれだから、幾つのときに描いたかすぐわかる。そして、すぐ横に、ぼくも目白の野間記念館でみたことのある、明治43年作の、富士・三保図屏風に再会。そして、大正に入り、6~7年(1917~18)作の群青富士(屏風)。静岡県立美術館蔵。琳派風の、うつくしい絵。
水墨画の名作”生々流転”を描いたのが、1924年(大正13年)、そのあと、1927年(昭和2年)を境にして変化する。皇室からの依頼もあり、旭日と富士の図が目立ってくる。扶桑第一峰(三の丸尚蔵館)もそれ。さらに、昭和15、6年に入ると、戦時の国威発揚のための、聳える富士が多く描かれ、この時期の作は、まるでハンを押したような富士が並ぶ。きっとあちこちから依頼があったのではないか。そういう時代の中でも、富士山と周囲を描いたものには、大観らしい風景が拡がっている。
神州正気 1942年 大松美術館蔵
山に因む十題 霊峰四題・秋 1940年 ポーラ美術館蔵
そして、戦後も亡くなるまで富士山を描き続けた。大観の言葉を思い出す。”富士の名画とゆうものは昔からあまりない。それは形ばかりうつすからだ。かたちだけなら子供でも描ける、わたしは理想をもって、全身全霊をうちこんで描いている”
春光る樹海 1946 ひろしま美術館蔵
蓬莱山 1949 高島屋蔵
或る日の太平洋(習作) 1952年 日本美術院蔵
砂丘に聳ゆ 1941年 メナード美術館蔵
1895年から1956年までの60年間の、様々な表情の富士山を眺め、とてもいい気持ちにさせてもらった。この日は富士山の初冠雪の日で、思い出に残る展覧会だった。