土曜の午後、散歩の途中、八幡さま裏の県立近代美術館鎌倉別館に寄った。野中ユリのあの美しいブルーをもう一度、観たくなったのだ。
野中ユリは、1938年東京生まれである。15歳の頃”私は画家だ”と突如宣言、銅版画を始めている。その後、美術学校に行かず、ほとんど独学で研鑽した。17~18歳の頃に瀧口修造に出会う。57年に瀧口企画のグループ展「銅版画展」に初出展。59年以降は個展を軸に活動し、現在に至っている。
技法がまた多彩である。銅版画から入ったが、その後、平版、印刷版画、デカルコマニー、コラージュ、パステル、油彩、タブロオ・コラージュ、オブジェと拡がる。そして、本の装幀、挿画も手掛け、詩人、文章家でもある。今、話題の、どんな泳法も世界的レベルでこなす萩野公介選手みたい(笑)。
展示室前の階段のコーナーにデカルコマニーの小作品がずらりと並んでいる。多くは、うつくしい空色、水色の中に(このブルーがとてもきれい)、白色、透明の、まるで原生動物のようなものが浮かんでいる、あるいは飛んでいる。いきなり、野中ユリの世界に引き込まれる。そこに詩:瀧口修造、絵・造本:野中ユリの、”星は人の指ほどの”という豆本のように小さな、野中ゆり私家本(限定250冊)も展示されている。
本展示室に入ると、野中ユリのデビュー作品銅版画が8点ほど並ぶ。そして、がらりと雰囲気が変わって、60年代のコラージュがつづく。ナンセンス詩人の肖像(口絵)とか澁澤龍彦の”狂王”の挿画とか。シュルレアリスト群像は裸体がうごめくような図。そして、ほぼ制作年代に沿って、”妖精たちの森”や”夢の地表”シリーズなど、独特な雰囲気を醸し出している。
大きな油彩画も。”発生について”、画面全体に淡い青、緑、黄が覆い、その右端に生まれたばかりのような白い植物がいる。青い花のシリーズはデカルコマニー。野中ユリは青色についてこんな風に思っている。
空の青や水の青は誰もが熟知していると思っているのに、なおあこがれることしか出来ない色のようでもある。すべての生存より古い色だからなのだろうか。透明なものの膨大な重なりから青という色が生まれることの不思議さ。私は青い色に手を浸しながら仕事をしているのに、青い色は本質的に距離を含んでいるようで、いつも遠いのである。
うつくしい装幀本もたくさん。澁澤龍彦をはじめ、寺山修司、種村孝弘、武田百合子など。そして、文芸読本/宮沢賢治も。
はじめに観たときは、うつくしい青ばかりが印象に残っていたが、今度は、さまざまな色と形の幻想世界を楽しんできた。
”天使について―フラ・アンジェリコ/函のある” 1990年 コラージュ
”連作「蓮華集」その9 大日如来を囲むラサの寺院と僧院”1999年 コラージュ
”夢の地表Ⅰ 愛の歌” 1978年 コラージュ、パステル
”青と黄のデカルコマニー” 1983年頃 デカルコマニー
”ジョバンニとカンパネルラ9” 1996-2002年 コラージュ
”マルセル・ブルーストと弟”1996年 コラージュ