ぼくが子供の頃には、谷風梶之助と雷電為右衛門はよく少年漫画や読み物に取り上げられていて、知らない子はいなかった。白鵬の連勝記録が話題になっていたとき、谷風がひょいと顔を出し、懐かしく思った。結局、白鵬の連勝は谷風の63連勝に並んだところで、稀勢の里に止められた。
昨日、国技館の相撲博物館で”谷風と雷電”展をやっていたので覗いてみた。いつになく面白い展示であった。谷風が着ていた、かたびらや雷電の道中羽織があったが、さすがに大きなサイズであった。また、江戸時代でも、両力士は、(ぼくらの少年時代同様)人気があり、錦絵の題材としてよく取り上げられていたようで、その一部が展示されていた。勝川春英の”関取両国橋通行の図”や勝川春亭の両力士像などである。当時の力士が、武士同様、刀を差していたことがこれら錦絵からわかる。
今場所は初日が、天覧相撲だったが、江戸時代では、将軍の上覧相撲が名誉あることだったことだったようだ。また、谷風が仙台の出身で、連勝を阻まれた小野川をライバルとし、同時に”横綱免許”(これも展示されていた)を受けたことなど、はじめて知ったことも多かった。一方、雷電は長野県東御市(上田や小諸と隣接する市)出身で、松江藩お抱え力士になったが、谷風没後の江戸相撲を支え、生涯、わずか10番しか負けなかったという。史上最強の力士は雷電だとよくいわれるが、双葉山も、大鵬も白鵬もかなわなかっただろう、とぼくも思う。お墓は、奥さんの実家の千葉県佐倉市臼井の菩提寺にあるそうだ。お墓巡りも好きなので、今度、訪ねてみよう。