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気ままに

大船での気ままな生活日誌

谷風と雷電

2011-01-15 18:10:08 | Weblog

ぼくが子供の頃には、谷風梶之助と雷電為右衛門はよく少年漫画や読み物に取り上げられていて、知らない子はいなかった。白鵬の連勝記録が話題になっていたとき、谷風がひょいと顔を出し、懐かしく思った。結局、白鵬の連勝は谷風の63連勝に並んだところで、稀勢の里に止められた。

昨日、国技館の相撲博物館で”谷風と雷電”展をやっていたので覗いてみた。いつになく面白い展示であった。谷風が着ていた、かたびらや雷電の道中羽織があったが、さすがに大きなサイズであった。また、江戸時代でも、両力士は、(ぼくらの少年時代同様)人気があり、錦絵の題材としてよく取り上げられていたようで、その一部が展示されていた。勝川春英の”関取両国橋通行の図”や勝川春亭の両力士像などである。当時の力士が、武士同様、刀を差していたことがこれら錦絵からわかる。

今場所は初日が、天覧相撲だったが、江戸時代では、将軍の上覧相撲が名誉あることだったことだったようだ。また、谷風が仙台の出身で、連勝を阻まれた小野川をライバルとし、同時に”横綱免許”(これも展示されていた)を受けたことなど、はじめて知ったことも多かった。一方、雷電は長野県東御市(上田や小諸と隣接する市)出身で、松江藩お抱え力士になったが、谷風没後の江戸相撲を支え、生涯、わずか10番しか負けなかったという。史上最強の力士は雷電だとよくいわれるが、双葉山も、大鵬も白鵬もかなわなかっただろう、とぼくも思う。お墓は、奥さんの実家の千葉県佐倉市臼井の菩提寺にあるそうだ。お墓巡りも好きなので、今度、訪ねてみよう。

 

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国技館へ ジンクスは破れなかった

2011-01-15 10:39:49 | Weblog

大相撲初場所6日目、序盤好調の稀勢の里を応援に国技館へ。相手は苦手力士、琴奨菊。一抹の不安はあった。それは、ぼくが国技館に応援に行くと、必ず稀勢の里が負けるということ。ほとんどジンクスといってよい。このジンクスをぼく自身も破りたかった。

国技館に行くときは、必ず、セットで隣りの江戸博に寄る。午前中、国技館のチケットを買ってから、展覧会をみて、2時頃戻り、幕内力士の入場を見学するのが、お決まりのコースだ。この日も、江戸博で、”江/姫たちの戦国”展をみて、2時ちょっと過ぎに戻った。

ななななんと、ちょうど稀勢の里がタクシーから降りて、入場する場面に出くわしたのだ。大接近して、目の前の稀勢の里をみた。いつもは、入館して、内側から着流しの力士の姿を撮影するのだが、そのときは、カメラを取り出そうとする間に、入場してしまった。で、残念ながら、写真はない。初場所は寒いので、着流し姿というわけにはいかず、羽織を着ている。鼠色の渋い着物姿だった。いつもと、違う出会い。ということは、ジンクスが破れる兆候に違いない、そう確信した、そのときは。

十両の取り組みから、椅子席で、焼き鳥としゅうまいをツマミに、ビールを飲みながら観戦した。そして、幕内入場があり、わが稀勢の里は東から入場。拍手もひときわ大きい。大金星以来、人気が上がったようだ。そして、白鵬の横綱土俵入り。”安美錦がんばれ”の声援。太刀もちが安美錦なのだ(笑)。一度ならず、何度もで、白鵬も気を悪くしたのでは(笑)。強くなればなるほど、また、憎まれ役になっていくもので、白鵬もそういう道を歩み始めているのかもしれない。

そして、待ちに待った、稀勢の里対琴奨菊戦。あっという間に、制限時間いっぱい。立ち上がった。あああ稀勢の里、たちまち土俵際まで追い込まれる。しかし、残った残った。盛り返すぞ、と思ったとたん、琴奨菊のがぶり寄り、寄る、寄る、寄る。あああああ、ぎゃふん。♪のぞみも夢も はかなく消えて唄も涙の 渡り鳥♪ 落ち葉しぐれになってしまった。またもや、ジンクスはやぶれなかったのであった。

両国駅前の居酒屋で、やけ酒を飲んだのはいうまでもない。今日は、絶対勝つでしょう、ぼくが国技館に行かないから。

・・・・・・

土俵入り

稀勢の里 落ち葉しぐれの巻(敗北の決定的瞬間は肉眼でみていますので、帰ってからテレビで撮りました)


 

 

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