旧軽井沢宿場町(現、旧軽銀座)は碓氷峠の麓にある。中山道はここから碓氷峠を登ってゆく。この峠の”頂上”に、長野県と群馬県の県境がある。そこからの眺めが良いというので、ホテルから赤い小さなバスに乗って出掛けた。因みにこの峠は自転車で登ることは危険なので、禁止されている。
終点は、熊野皇大神社前。この神社は日本武尊の勧請といわれる古社である。面白いことに、この神社は県境をまたいで建っているので、社の左半分が長野県、右半分が群馬県の住所となっている。だから、この神社の狛犬は、片方は長野犬で、もうひとつのは群馬犬なのだ(爆)。
県境を示す本殿。
ここの狛犬は珍しい形をしていたので、説明板を読んだら、室町中期の作で長野県でも一番古い狛犬だそうだ。群馬犬はどうなのだろうか、説明がなかった(笑)。で、写真は長野犬のだけ載せる。
樹齢800年と伝えられる、りっぱなご神木があった。シナノキだった。これは名前の通りシナノ(信濃)側にあった(笑)。
峠の茶屋ではないけれど、力餅家さんが、5,6軒あった。神社の前のお店は、県境を示す煉瓦まで置いていた。どっち側で食べれば、力が出るのだろうか。総理大臣になりたい人は群馬県側がいいかもしれない。全員アホだったけど、4名も出している。かかあ殿下になりたい人も群馬側がいいだろう。理屈っぽくなりたい人は長野県側へどうぞ。でも出世はしません。
マラソンの好きな人は、群馬県側がいいです。むかし安政遠足(マラソン)というのが、あってここがゴールなのです。安政二年、(現群馬県)安中藩藩主が、藩士たちに安中城から碓氷峠山頂の熊野権現(この神社のこと)まで七里強の行程を走るように命じたのです。その証拠が、昭和30年に碓氷峠の茶屋から発見されて、”安政遠足保存会”が組織され、毎年5月の第2日曜日に、同じコースを走るマラソンが行われているそうです。
見晴らし台まで県境が。石の真ん中に穴があいている。むかしは綱が通してあったのだろうか。
見晴らしが良かった。天気の良い日は群馬側の両毛三山、長野側の日本アルプスもみえるそうだ。
あ、そうそう、(ぼくもそうだけど)帽子の失くしやすい人は、群馬側の見晴らし台には行かないでください。霧積温泉が近くなのです。
。。。。。
帽子 (西條八十)
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうねえ
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ
母さん、あれは好きな帽子でしたよ
僕はあのときずいぶんくやしかった
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね
紺の脚絆 に手甲をした
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね
けれど、とうとう駄目だった
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでしょうね、そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と
その裏に僕が書いたY・S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく
終点は、熊野皇大神社前。この神社は日本武尊の勧請といわれる古社である。面白いことに、この神社は県境をまたいで建っているので、社の左半分が長野県、右半分が群馬県の住所となっている。だから、この神社の狛犬は、片方は長野犬で、もうひとつのは群馬犬なのだ(爆)。
県境を示す本殿。
ここの狛犬は珍しい形をしていたので、説明板を読んだら、室町中期の作で長野県でも一番古い狛犬だそうだ。群馬犬はどうなのだろうか、説明がなかった(笑)。で、写真は長野犬のだけ載せる。
樹齢800年と伝えられる、りっぱなご神木があった。シナノキだった。これは名前の通りシナノ(信濃)側にあった(笑)。
峠の茶屋ではないけれど、力餅家さんが、5,6軒あった。神社の前のお店は、県境を示す煉瓦まで置いていた。どっち側で食べれば、力が出るのだろうか。総理大臣になりたい人は群馬県側がいいかもしれない。全員アホだったけど、4名も出している。かかあ殿下になりたい人も群馬側がいいだろう。理屈っぽくなりたい人は長野県側へどうぞ。でも出世はしません。
マラソンの好きな人は、群馬県側がいいです。むかし安政遠足(マラソン)というのが、あってここがゴールなのです。安政二年、(現群馬県)安中藩藩主が、藩士たちに安中城から碓氷峠山頂の熊野権現(この神社のこと)まで七里強の行程を走るように命じたのです。その証拠が、昭和30年に碓氷峠の茶屋から発見されて、”安政遠足保存会”が組織され、毎年5月の第2日曜日に、同じコースを走るマラソンが行われているそうです。
見晴らし台まで県境が。石の真ん中に穴があいている。むかしは綱が通してあったのだろうか。
見晴らしが良かった。天気の良い日は群馬側の両毛三山、長野側の日本アルプスもみえるそうだ。
あ、そうそう、(ぼくもそうだけど)帽子の失くしやすい人は、群馬側の見晴らし台には行かないでください。霧積温泉が近くなのです。
。。。。。
帽子 (西條八十)
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうねえ
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ
母さん、あれは好きな帽子でしたよ
僕はあのときずいぶんくやしかった
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね
紺の脚絆 に手甲をした
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね
けれど、とうとう駄目だった
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでしょうね、そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と
その裏に僕が書いたY・S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく