気ままに

大船での気ままな生活日誌

砂の器

2007-01-30 10:56:48 | Weblog
先日、鎌倉芸術館で、野村芳太郎監督の1974年作品、「砂の器」をみてきました。30年以上前の映画ですが、今回のは、デジタルリマスター版で封切り当時のクリアーな映像を楽しめます。加えて、ステレオもグレードアップしてありますので、この映画で重要な役割をもつ音楽もハイレベルの音質で聴くことができます。

この映画は、以前、テレビの名画鑑賞番組などで観たことはありますが、松本清張の推理小説的な面ばかりが印象に残っていました。すなわち、被害者が東北なまりで話していた、そして、カメダという言葉を何度も使っていた、それにこだわり、東北の羽後亀田で捜査をするが、一向に進まない、しかし、島根県出雲地方に東北なまりで話す地域があり、近辺にカメダケという地名がある、ということに気づき、捜査が急進展する、そういったストリーばかりが記憶に残っていました。

ところが、この映画のみせどころは、そんな筋にではなく、映画後半の、殺人犯である、天才音楽家和賀英良(加藤剛)のピアノと彼が指揮するオーケストラの協奏曲(ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」)の、哀しみを帯びた音楽にあったのです。そしてその音楽に連動させた、和賀英良の悲しい子供時代の回想シーンにあったのです。

・・・加藤剛とよく似た目をもつ子役(春田和秀)と、らい病の父親(加藤嘉)が、追われるように故郷を離れる、巡礼姿で、その日暮らしを続けて行く、海辺の村、山里、どこに行っても安住の地はない、石を投げられ、泣きべそをかく子供の目、楽しそうに校庭で遊ぶ小学生をみる塀越しの子供の目、病気になった父親と別れるときの子供の目が痛々しい、そして、それぞれの目が、今「宿命」を演奏している加藤剛の目に重なっていく・・・。

・・・流浪の旅を続ける親子の前に、ひとりの心やさしい巡査(緒形拳)が現れる。病気になった父親を入院させ、そして子供を養育する、しかし、しばらくして、子供は父親に会いたいためかどこかに失踪する。そして時が経ち、引退した元巡査が伊勢参りに出かけたときに、渥美清館主の映画館で、ある写真を見つけて驚く、あの少年の成人した姿だ、それが天才音楽家であった、彼は音楽家と東京で二度会う、父親はまだ生きている、是非会ってくれと懇願する、しかし、音楽家はすでに戦後の混乱期に籍の詐称をしていて、現在は有力政治家(佐分利信)の娘(山口果林)と婚約をしている、今更戻ることはできない、殺意がうまれる・・・

・・・天才音楽家が作曲し、今、演奏しているピアノと管弦楽の組曲「宿命」は、まさに自分自身の過去であり、現在であった、溢れるような思いが、ピアノの高いひびきに、管弦楽の怒濤の音色の河に乗り移っていく、演奏会場には逮捕状をもった二人の捜査官(丹波哲朗と森田健作)の姿がみえる、そして演奏が終わる、万雷の拍手、婚約者と父親の笑顔、そして音楽家のずっと遠くをみているような目・・・

すばらしい映画でした。犯罪の動機を重視する社会派推理小説家、松本清張の原作の意図を、音楽を効果的に使うことによって、見事に、観客の心に染みこませることに成功したと思います。その意味で、この映画は音楽映画だといっても言い過ぎではないと思いました。音楽監督は芥川也寸志さんで、映画の中の演奏会の実際の指揮は、加藤剛さんの後ろでしていたそうです。「宿命」の作曲は新進作曲者の菅野光亮さんでした。しかし、10年ほどあと、44才の若さでこの世を去ります。

むかしの、いい映画が、映像だけではなく、音までがきれいになって生まれ変わってきてくれて、今の若い人に、そして、むかしの若い人にも同じ感動を与えてくれる、いい時代になりましたね。

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写真は大磯の海岸です。「砂」と「親子」ということで。



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